1 神
あの日、始まりの町でつげられた通告に彼らは震撼した。
恐怖に、あるいは、驚きに。 そして、あるいは歓喜に。
「二万五千人のβテストプレイヤー諸君。森羅万象を内包したこの世界へまずはようこそと言おう。そしておめでとう。今、この時間をもって君達は新世界への先駆者となった」
広場の巨大な石碑の上に浮かぶ半透明の身の壮年の男は、両腕を広げ大仰に祝福する。
純白の衣を垂らして威風堂々とした姿は、神神しい威容を持っている。
「事前情報を極力制限されたこの世界の情報のことごとくを暴き出す楽しみをどうか満喫してくれ」
そして眼下にたむろする人々に見下すでもなく、微笑むでもない、冷徹にして情熱を籠めた眼差しを向けた。
「さて、諸君。いきなりで申し訳ないが、いくつか、仕様の変更をお伝えしよう」
朗朗とした明るい声での宣言に、開幕クエストイベント、もしくはサービス開始早早に致命的なバグでも発見されたのかと不安を募らせる。
男はそんな空気を一蹴する。
「ご安心を。バグやゲームバランスの異常ではありません」
あちこちから安堵の声が耳に止まり。
「ただ――」
男が纏う雰囲気が業務的かつ演者的だったそれから、演目を楽しむ観客のそれへとガラリと変わる。
「このゲームの最終ダンジョンクリアまで、ログアウトの一切は禁じられた」
二十一世紀の終盤、既存のネットワークは情報量の増加に通信速度の限界を迎えた。そこに一人の天才が各国では未だに実験段階だった量子コンピューターと共に、ある技術を持ち込んだ。
それはネットの海を立体化する試みだった。
学会に彗星の如く現れた彼は助手に手伝われ、自らのうなじに、正確にはうなじに埋め込まれたジャックに、プラグを突き立てた。
椅子に崩れ落ちた彼は一見昏倒したようにも見え、会場は一時騒然となったが、さらにそれを飲み込む驚嘆が支配した。
壇上に設置されたディスプレイの中を倒れた天才が歩き回っていたのだ。 あまつさえ、こう話した。
「私は――ヒトの魂の完全な電子信号変換に成功した」
その一言に会場は熱気に包まれた。
懐疑的な視線もリアルタイムで質疑応答を繰り返したことで絶え、その言葉は事実であると克明に証明され、電脳と名付けられた新技術は一夜にして世界に広まった。
特許権すら放棄し、システムの全てを記した膨大なデータだけを残して姿を消した孤高の天才は、技術者からは救世主と呼ばれ、宗教者や人権団体からは悪魔と蔑まれた。
それは実用化するまでに様々な妨害、法の壁に当たった。それでもあらゆる人間が好奇心に抗えず、導入されていった。
始めは、軍事目的にだった。
だが、一世紀も経つ頃には、中流家庭にもありふれていた安価な義体のように、装着する手術を幼少に受けて接続端子を個人が持つ世になっていた。
そんな新たな可能性にゲームメーカーが目を付けない訳がなかった。
行き詰まりを感じていゲーム業界に新風を吹き込んだメーカーがあった。
ゲーム内の箱庭に意思を溶かし込む――俗にダイブと呼称される――という発想が生まれるに至ったのだ。
かくして紆余曲折を経て、ダイブゲームは誕生した。
ユーザーは大人数でのプレイを望み、それがオンライン化するまでには時間はかからなかった。
それから数年もすれば金をもて余したマニアがどハマりし、全身を義体に替えてどっぷりと長時間プレイするなど、社会現象を報じられるほどに浸透していた。
そんなある日、老舗メーカーからひとつの新作が発表された。
最新の物理エンジンを用いた究極のリアルとファンタジーの調和、とだけ知らされ、デモムービーも広報も一切を絶った前代未聞の事だった。
電脳には様々な憶測が飛び交い、噂が噂を呼んだ。
その名も『traveler』。
後に、その名は史上最悪最大の電脳事件の舞台として歴史に刻まれる。