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五分で読める AI短編小説集

好きな人の好きな人

作者: アイキカイ
掲載日:2026/02/22

 放課後の教室には、まだ夏の熱が残っていた。

 私は窓際の席で、ノートを閉じる。

 前の席には、彼がいる。

 山本くん。

 背中越しでも分かる。

 少し猫背で、髪が柔らかくて、シャツの襟がいつも少し曲がっている。

 私はずっと、この背中を見てきた。

 授業中も。

 テスト中も。

 プリントを回すときも。

 でも話したことは、ほとんどない。

 理由は簡単だ。

 彼には、好きな人がいるから。

 私はそれを知っている。

 知っているから、何も言えない。

 その日、彼が珍しくこちらを振り向いた。

「ねえ」

 心臓が跳ねる。

「消しゴム、落としたよ」

 机の脚のそばに白い塊が転がっていた。

「あ、ありがとう」

 声が裏返る。

 彼は少し笑った。

「よく落とすよね」

「う、うん……」

 覚えてるんだ。

 そんな小さなこと。

 胸が痛くなる。

 好きな人がいるくせに。

 私は視線を逸らす。

 彼は一瞬、何か言いかけて、やめた。

 それから数日後。

 私は見てしまった。

 廊下で、彼が女子と話しているところを。

 長い髪。

 細い指。

 優しそうな笑顔。

 彼は少し照れた顔で話していた。

 ああ、やっぱり。

 この人だ。

 私はすぐに分かった。

 胸の奥が、静かに沈む。

 その日の帰り道。

 靴箱の前で、彼が立っていた。

 私を待っているように。

「……あの」

 彼が言う。

「ちょっといい?」

 私はうなずく。

 昇降口の外。

 夕方の光。

 影が長い。

 彼はしばらく黙っていた。

 靴先で地面をこする。

 そして意を決したように顔を上げた。

「俺さ」

 喉が鳴る。

「好きな人、いるんだ」

 知ってる。

 でも頷く。

「うん」

「ずっと前から」

 知ってる。

 ずっと見てたから。

「そっか」

 声が少し震える。

 彼は続ける。

「でもさ」

 手が、制服の裾を握る。

「その人、たぶん……」

 言葉が途切れる。

 私は笑おうとする。

「応援するよ」

 彼が止まる。

「え?」

「その人のこと、好きなんでしょ」

 私は視線を落とす。

「今日、見た」

 彼が息を飲む気配。

「廊下で話してた子」

 沈黙。

 私は続ける。

「きっとあの子だよね」

 胸が痛い。

「優しそうで、可愛くて」

 言葉が滲む。

「お似合いだと思う」

 彼は何も言わない。

 私は笑う。

「だから——」

「違う」

 私は顔を上げる。

 彼が見ている。

「違うよ」

 真っ直ぐに。

「俺が好きなのは」

 心臓がうるさい。

「ずっと前から」

 彼が一歩近づく。

「消しゴム落とす人」

 世界が止まる。

「授業中に、前の席の背中見てる人」

 呼吸ができない。

「俺が振り向くと、慌ててノート見る人」

 足が動かない。

「俺の好きな人は」

 彼の声が少し震える。

「君だよ」

 音が消える。

 風も、声も、靴の音も。

 ただ彼だけがいる。

「……え」

 私はかすれ声を出す。

「でも」

 頭が混乱する。

「廊下で話してた人」

「あれ、幼なじみ」

 間抜けな声が出る。

「え」

「恋愛相談してた」

 彼が苦笑する。

「君の」

 世界が揺れる。

「どうしたら話せるかって」

 私は動けない。

「ずっと好きだった」

 彼が言う。

「前の席になった日から」

 私は思い出す。

 席替えの日。

 彼の背中が前に来た日。

 私の恋が始まった日。

 彼は続ける。

「君、俺のこと見てたでしょ」

 顔が熱い。

「俺もさ」

 彼が笑う。

「後ろ、気になってた」

 涙が出る。

「だから」

 彼が言う。

「好きな人の好きな人が」

 少し照れて。

「自分だったらいいなって」

 私は泣きながら笑う。

 そうか。

 私はずっと、

 好きな人の好きな人を見ていた。

 ——それは、

 私だった。

 夕方の光の中で、

 初めて彼の隣に立つ。

 前でも後ろでもなく。

 同じ向きで。

 同じ速度で。

 帰り道を歩き出した。

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