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昔馴染の犬系クール美人が俺にベタ惚れなせいで修羅場になった  作者: 夏目くちびる


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008 賢者との攻防

 × × ×



 真宮に恋の可能性を語った二日後。俺は、企画部の杉原(すぎはら)課長に呼び出されていた。



 指定された会議室に入ると、そこには杉原課長と人事部の課長である守本(もりもと)さんがいた。どうやら、穏やかでない状況に巻き込まれてしまったらしい。杉原課長は眉間にシワを寄せて侮蔑の混じった視線で俺を見ていたが、反面、守本課長はいつも通りの極めて毅然とした冷静な姿勢で挨拶を寄越した。



「どうぞ、お座り下さい」


「失礼します」



 ……俺は。



 俺は、どこか答え合わせを終えたような気分になっていた。人気者の有坂とあんなことがあったんだ。こうなることくらい、予想出来なかったわけもないさ。



「今回お呼びしたのは、あなたと一人の女性社員にまつわる噂の件について確認したかったからです。何か心当たりはございますか?」



 守本課長が、よく通る声で静かに言う。



 俺はこの人を深く尊敬している。恐らく、この会社で最も営利を目的とした活動をしている人だからだ。古き悪習蔓延る我が社の中で、藻掻き、苦しみ、新たな人材獲得のために文化を刷新しようと努力している姿に、憧れすら抱いている節もある。



 願わくば、もっと別の場所で話がしたかった。


 

「ありません、噂とはどのような話でしょうか」


「おい、城田。とぼけるとお前のためにならんぞ」



 杉原課長が時代錯誤の荒い声で言い放つ。そんな言い方で問い詰められれば、普通の社員は萎縮して回答に困るだろうに。



「とぼける? 何をとぼけるんです? 課長。まさか、私とその女性社員が社内で公然わいせつでも働いていると言うんじゃありませんよね?」


「違う。噂というのは、お前が女性社員についての悪評を周囲へ吹聴しているということだ」



 あまりにも誘導が上手くいったせいで、思わず口元が綻びそうになる。隠したつもりだったが、どうやら微妙に表情が動いてしまったらしい。守本課長が、俺を品定めするようにジックリと視線を送っていた。



 ……しかし、なるほど。



 今回は、そういう筋書きか。



「私が、()()()()の悪評を吹聴している、ですか」



 独りぼっちで過ごしてきた俺だ。今までに、こういったトラブルは何度でもあった。何も言えずにビビって黙ってたって、助けてなどもらえないことを俺はよく知っているのだ。



「そうだ。城田、何か言うことがあるんじゃないか?」


「確認させていただきたいのですが、私が有坂さんへ、先日の営業部長の件があるにも関わらず、舌の根乾かぬうちにセクハラをした挙げ句、失敗したことで逆恨みし、彼女の評判を下げようと画策している。そういった旨のタレコミがあったから人事部が私を呼び出した、ということでよろしいのでしょうか」


「む……ぅ」



 ビンゴ。



 口にした後で、ようやく有坂の名前を割ってしまったことに気がついたらしい。杉原課長はしどろもどろになって守本課長に助けを求めた。



「えぇ、その通りです。城田さん。ご説明いただけますか?」


「説明とは、私が有坂さんの悪評を広めるに至った経緯の、ですか?」


「いいえ、違います。僕が聞きたいのは、あなたが噂を吹聴した()()()()()()()()()()()ことへの心当たりの説明です」


「は……ぇ?」



 杉原課長のとぼけた声。彼がリアクションを示さなければ、恐らく俺が間抜けな声を漏らしていたことだろう。



「フラレたから悪評を吹聴する。言い換えれば、自分の失恋を盾に同情を誘い、自分が恋した女性を貶めようとしている、ということです。ありえないでしょう、普通に考えて」



 守本課長は、杉原課長と、杉原課長のように噂を信じたであろう社員全員を見下すような表情を浮かべた。少し怒っているように見えるのは気の所為だろうか。



 杉原課長は、完全に黙りこんでしまった。思慮の浅い人間って、頭のいい人間を見ると怖がって目も合わせないと聞くが、ここまで露骨に逃げているのを見ると少し笑えるな。



「ありえない話ではないと思いますよ、守本課長。仮に、私の自己認識が有坂さんよりも人気者だった場合、都合よく報復が成功すると解釈するのではないかと愚考します」


「……ふふ。確かに、『この窮地ですら否定や弁明より先に目的を明らかにして公平性を保とうとするあなたの自己認識がズレている』という、この上なく荒唐無稽な前提が成立しているならありえなくはないですね」


「この問題の核は恋愛です。それくらいの矛盾も、或いは存在し得るかもしれません」


「しかし、その日、あなたを迎えに来たのは有坂さんだった。実際、監視カメラの映像から確認も取れています。そして、あなたが話の場に喫煙所を選んだ。聞くところによると、彼女はタバコを吸わないようですからね。

 以上の点を踏まえてあなたの意見を成立させるには、心理が矛盾するほど焦がれている相手に対して、一服の片手間に告白するという失礼を働く必要があります。これは、恋愛そのものに矛盾していると思いませんか?」


「……反論ありません」


「ならば、むしろ自然なのは逆。あなたは、あなたにとって何気ない日常の中で唐突に告白されたんですよ。城田さん。

 もし、あなたに罪があるのならば、それは有坂さんにとっての非日常を察してあげられなかったことです。恐らく、彼女は浮き足立っていたことでしょう。もしくは、企画部に足を運んだ際、何か不安を煽られるような光景でも目の当たりにしたのかもしれません」



 ……あぁ、楽しいな。



「そして、喫煙所での一幕を目撃した何者かが嫉妬心を煽られ、あくまで今回の騒動の()()()()を作った。これだけ社員の多い会社ですからね。後は、噂に尾ひれ背びれがついて勝手にあなたを悪者に仕立て上げてくれたわけです。これが、僕が蓋然性理論に基づき導いた仮説です」



 頭のいい人の言葉を聞くのは、本当に楽しい。



「さて、本題に戻りましょう。

 厳しいことを言いますが、ここまで広まってしまった噂を撤回し、あなたの名誉を完全に挽回することは難しいです。社員たちの興味が失せるのを待つしかないのです。

 故に、改めて真犯人の存在を全社員に証明することは無意味です。人は信じたいことを信じ、見たいように見る生き物です。あなたのように合理的な人間は、特に多くから蔑視される傾向にあります。むしろ、社員たちへ真実を伝えることが更にあなたの首を締めかねません。ここまではよろしいですか?」


「はい」


「しかし、僕は罪には必ず罰が必要であると考えます。あなたを貶めようと画策した者に対して、あなたに対し反省の色を示させ、悔い改めるチャンスを与えることこそが正しい選択ではないでしょうか」


「……つまり、守本課長は私が真犯人を知っていると考えているわけですか」


「流石、理解が早くて助かります。もはや、あなただけのためではないのです。断罪は、会社としての規律を守るために必要な、いわば儀式のようなものなのです。そのために、今日はあなたをお呼び立てしたのですよ」



 ……これは、罰だ。



 自分の気持ちから逃げ出して、有坂を十年も不幸にしてしまった罰。ずっと側に居たのに、もう一つの可能性にも気付かなかった罰。俺が誰かを幸せにする上で、必ず贖わなければならない罪の罰。



 ならば、俺のやるべきことは一つだった。



「守本課長。この件は、一度私に預けていただけませんか?」


「妙な提案ですね、理由を教えてください」


「それでは、僭越ながら。

 私の考えは、守本課長とは少し異なります。組織として正しい選択が、第三者による断罪であることも重々承知しております。しかし、それはあまりにも個人の尊厳を踏みにじる行為です。言ってみれば、この場合の犯人の根底にあるのは悪意ではないのです。思慮の浅さと言ってしまえばそれまでではありますが、私はこの、『悪意ではない感情によって引き起こされた結果』を『悪意をもって行われた行為』と同じ尺度で裁くのは間違っていると考えます」


「……ふむ」


「大人として、社会人として。そういう常識に、どうしても考えが寄ってしまうお気持ちも理解しています。しかし、有坂さんへの恋愛感情を第三者の決断によって砕かれてしまうことは、新たな過ちを引き起こすキッカケになりかねません。最悪の場合、そのせいで更に組織としての体裁を保つ努力を強いられる可能性すらあるでしょう。

 ならば、一見遠回りにも見えますが、当人である私に任せていただくのが最も合理的な判断になると愚考する次第です」



 守本課長は、静かに考えてから、再びよく通る声で言った。



「随分と、恋愛に真剣なんですね」


「……いいえ、そんなことはありません。私は二度も逃げたのですから」


「逃げた?」



 ようやく、杉原課長が口を開く。しかし、彼は何一つ理解していない様子。対して、守本課長は俺の瞳の中を覗くように、計るように、ジッと数秒見つめた。賢者の沈黙ほど怖いものは他にないが、黙って待っていると、彼はやがて諦めたように優しく笑った。



「分かりました。この件は、あなたに任せます」


「ありがとうございます、守本課長」


「杉原さん、ご同席いただきましてありがとうございました。片付けは、僕と城田さんでやっておきます」


「そ、そうか。悪いな、守本」



 終始居心地の悪そうだった杉原課長は、脱兎の如き素早さで室から出て行った。きっと、あの人は守秘義務なんて守らず、ここでの出来事も漏らすのだろう。まぁ、今回のケースに関しては、それが俺にとって有利に働くのだろうが。



 ……ひょっとして、守本課長はそこまで見越して彼を同席させたのだろうか。



 だとしたら――。



「こんなことを聞くのも変ですが、守本課長。なぜ、私に預けてくれたんですか?」


「……まぁ、もう上っ面の会話も必要ないですかね。物事の表層だけ撫でて全てを知った気になって、それを大声で叫ぶバカはここにはいませんから」



 痺れること言うなぁ。



「城田さん。あなたは、犯人が『同性』であることを示唆していました。『有坂さんへの恋愛感情』というセリフについてです。あなたは、あの一言で犯人の矛先があなたへ向いていると思わせるように軌道修正した。しかし、結果として僕はそれで気が付いてしまいましたから、少々粗雑な言葉選びだったと言わざるを得ませんね」


「……精進します。よろしければ、守本課長の考えを聞かせていただけますか?」



 守本課長は、ため息を一つ落として語る。



「僕は、このような方法で報復を企む人間は、女の腐ったような男だと思っていました。有坂さんからの告白があったわけですからね。それに嫉妬するのは、決まって男になるはずです。

 しかし、それでは矛盾するのですよ。無能のクセに会社にぶら下がって生き恥をさらしている厚顔無恥なバカ女どもが、有坂さんの悪評を実際に広めていることが」


「……そう、ですね」


「羽虫のさざめきに等しいですが、如何せんあの虫たちは醜い。醜悪な存在が群れを成して蠢いている光景があれば、誰だって嫌悪感を抱きます。低能たちの生態には微塵も興味がありませんが、そんな僕の耳にすら届くレベルで広がっていると言えるでしょう。あれは、まともな知能を持つ一般的な社員たちを誑かすにも足る、十分な騒音となっているのですよ。これを狙ったというのなら、犯人はかなり狡猾な人物ということになります」



 守本課長は、そこで言葉を止めた。なぜか、推理の続きを俺に預けたような気がしたから、俺は恐る恐る彼が考えたであろうストーリーを口にする。



「事実として、有坂さんにアプローチをかける男性社員も増えている。しかし、犯人が男であれば敵を増やすようなマネをするはずかない。

 つまり、男性社員の情報源が女性社員であることこそが、犯人の女性説を裏付けているというわけですね。私が敢えて強調してしまったことが、守本さんの中に蟠っていた疑問を考えさせるキッカケになってしまった。こういうことでしょうか」



 満足そうに頷いてくれた。どうやら、当たりを引いたようだ。



「その通りです。ならば、整合性を得るために導かれる答えは一つです。城田さん。もう一人いるんですね、あなたに恋をしている女性が」


「……」


「そう考えれば、あなたの行動にも納得がいきます。なぜ、過去のあなたが『逃げた』のかは分かりません。しかし、それを贖う機会をあなたに与えるというのであれば、僕の正義とも矛盾しない。だから、あなたに任せることにしました」



 凄いな、この人は。



 一体、後どれだけ積み上げれば、俺は彼に追いつけるのだろうか。



「守本課長には、真犯人も分かっているのでしょうね」


「現時点では不明です。しかし、あなたの過去を探れば見つかるのは自明の理でしょう。無論、預けたのですから、そんなことはしませんがね」


「ありがとうございます」


「気にしないでください。その担保として、僕は僕の本音を汚い言葉で語りました。言うなれば、僕とあなたは互いの手綱を握り合っている状況なのです。フェアにいきましょう」



 この人、どれだけ俺のこと信用してくれてるんだろう。絶対に敵に回したくない。



「さて、僕の仕事はなくなってしまいましたからね。その下らない噂に振り回されて社内風紀を乱している社員たちへの罰と、それを与える筋でも考えておくとしましょうか」


「……よろしくお願いします」



 机と椅子を片付け元の状態に戻すと、守本課長は窓を開けて電子タバコを吸った。当然、室内は禁煙だが、俺も彼に倣って一服つけることにした。



 これで、俺たちは共犯だ。



「城田さん。この際ですからはっきり言いますが、バカは徹底的に見下しなさい。

 同じ人の形をした、会話の成立しない別の生き物がこの世界には確かに存在してしまうのです。そういった連中に対して誠意を向けることは、優しさや思いやりではなく愚行です」


「……」


「あなたは優し過ぎる。もう少し、自分の能力の高さを評価してもいいと思いますよ」



 ふと、彼が話の中で『合理的な人間は多くに蔑視される傾向にある』と言ったのを思い出す。この会社に、彼ほど合理性を突き詰めた人間は存在しない。にも拘わらず、彼は俺に問題を預けてくれた。合理性を無視して、俺に試練を与えてくれたのだ。



 ならば、優しすぎるのはあなたの方ではありませんか。



 ……しかし、そんな軽口は、彼の過去を思うと死んでも口に出来なかった。



「一考してみます。答えは、いずれ必ず」



 すると、守本課長はニヒルに笑った。



「ククッ、よろしい。ここで僕の言葉を鵜呑みにしていたら、それこそ期待外れでした。頑張りなさい、城田さん。僕は、あなたのような人間にこそ、幸せになって欲しいと思っていますよ。例え、どんな形でも」



 こうして、査問は終わったのだった。



「……ふぅ」



 待っとけよ、真宮。



 今度は、絶対に間違えないから。

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