第99話 外れ値
ディアボリカル・アイアンクラッド・ビートル。通称『悪魔の鋼鉄甲虫』と呼ばれ、アメリカの乾燥地帯に生息し、自動車に轢かれても潰れない虫として有名である。最大の特徴は、硬い外骨格。自重の約四万倍相当の圧力に耐えることが可能とされ、他の甲虫と比べても二倍以上の強度を誇っている。ここまでの異質な強度を獲得したのは、『飛べない』という致命的な短所を補うため、外敵から身を守ることに特化したことが要因だと思われる。通常であれば、約2~3cmのサイズとなり、非常に小ぶり。人間と比較すれば取るに足らない矮小な存在であり、いかに異質な強度を誇っていようとも脅威になることはない。しかし、反天則クオリアによって作り出された空間では、普通という物差しは通用しない。
『…………』
鋼鉄甲虫の全長は約3メートル。重さは体積と質量を考慮すると、数トン級。自重の四万倍の強度という特性が引き継がれるのであれば、物理的な破壊は極めて困難な数値だと言える。旧現代兵器で想定するなら、核兵器級のエネルギーかつ、それを一点集中させたレベルでようやく外骨格を突破できると思われる。
「…………」
対するアルカナの瞬間火力は、悪意の爆発力を加味したとしても、ロケット弾程度が限界だと思われる。元々の特色は、意思弾の連射性能と結界崩しによるパワーアップになるが、反転作用のある悪意を主軸にした場合だと同じようにはいかない。意思能力の発動は可能だが、威力や性能は意思と比べれば半減。仮に貫通特化のアイテムを引き当てたとしても、鋼鉄甲虫には通用しない可能性が高い。
ジュリアのアドバイスに従い、悪意用の新たな能力を開発すると予想されるが、失敗に終わる確率の方が高いと考えられる。なぜなら彼は、『悪意』という言葉の意味を誤って理解している。亡き姉を助けられなかったへの行き場のない感情。確かに、解消できないエネルギーは負の側面を持つ。内なる自分へ矢印を向けた執着や憎念は悪意になり得るが、弱い。
『悪意』の本質は、自分ではなく、他者を害する心にある。
相手を傷つける意図を自分の中で明確にし、己が信念に通ずるほど威力が増す。真の意味での爆発力とはこのことを指す。ジュリアはあえてそれを口にしなかった。自分で間違いに気付かせ、自分の頭で創意工夫する。いわば、『戦闘考察力』を養わせることに重点を置いた指導法と思われる。
それが吉と出るか凶と出るかは、アルカナ次第。彼の実力と可能性を信頼したアドバイスではあるが、必ずしも上手くいくとは限らない。目の前の敵を倒すことだけを考えるのであれば、悪意の間違いに気付かせるのが無難だと言える。
恐らくジュリアは、更に先を見据えている。
短期目線ではなく、長期目線。白教、悪魔、騎士団による同盟を皮切りに、人類を味方につけ、天界と敵対することを想定して立ち回っていることが考えられる。その思惑を読み取るには、ジュリア視点に固定し、計画について想起させなければならないが、彼女だけを観察することはできない。情報の偏りを防ぐためにも、『教皇外交録』を正確に記録するためにも、どうしても視点は散らばってしまう。重要な局面であれば、視点を固定させることは可能ではあるが、この場面の見どころはアルカナであって、ジュリアではない。例え、彼女の思惑を知ることが天界の利になることであっても、『記録を公平に取る』という役割から逸脱することはできなかった。
◇◇◇
僕は今、試されている。
悪意を使いこなせるかどうか。
悪意に合った能力を作れるかどうか。
見るからに硬そうな相手を倒せるかどうか。
……ジュリアの助けは期待できない。
戦闘不能状態にあるソラルを守ってもらう役割があり、予期せぬ敵襲に備えて余力は残しておく必要があった。万が一の場合は割って入ってくれるだろうけど、『任された』と言った以上は僕が一人で解決しないといけない。
英国王である前に、僕は男だ。
少なくとも、自分が口にした言葉には責任を持ちたかった。数年前の発言とかだったら、昔と今で心境の変化があるかもしれないけど、彼女に宣言したのは数秒前のことだ。やっぱり一人じゃ無理、力を貸して。なんて口が裂けても言えない。やる前から諦める程度のメンタルだったら、この場に立ってない。初代王マーリンとの戦闘で敗北し、今頃はバッキンガム宮殿で引きこもっていたはずだ。
だから――。
「…………」
反射的に身に纏ったのは、悪意じゃなく意思だった。ポジティブな感情エネルギーを青い光に変換している。完全に意図しないものだったけど、思い返してみれば、未来の僕は悪意を使ってなかった。意思弾を飛ばし、霊特攻の十字架に変える能力しか披露しなかった。もちろんそれが、当時の最善だったと言われれば反論の余地はない。悪意も使えたけど、あえて使わなかった可能性も十分考えられる。
だけどもし、未来の僕が悪意未習得なら話が変わる。
マーリンが持つ『観測の魔眼』は、自身が関与した未来を見ることはできない。霊杖によって死者を呼び出せても、80%の精度しか引き出せなかったのは観測不能の領域が原因のはずだ。このバグった世界の原因がマーリンの『転写体』によるものだと断定し、『観測の魔眼』で見通せなかった未来だとすれば、色々と辻褄が合う。未来の僕は、一度目の砦強襲を経験したけど、二度目の訪問……Bugって砦は経験できなかったことになる。つまり、目の前の敵との対戦内容次第で、未来の僕が成し得なかった『20%の壁』を埋めるかもしれない。
「――――」
感情を整理し、心意気を新たにして、僕は意思を悪意に変換する。亡き姉の負の感情をトリガーに黒色のセンスを纏う。……やっぱり、安定しない。普段の意思と比べれば、顕在センス量が劣る。おおよそだけど、いつもの半分ぐらいかな。攻撃時の爆発力を考慮しても、最大でも1.5倍ぐらいにしかならない気がする。
(なんか違うな……。ジュリアのはもっと凄かった……)
比較対象は、本場の悪意。恐らく、彼女に限った話じゃなく、悪魔の必修科目に該当するはずだ。上手く言語化できないけど、悪意初心者の僕とソラルでは埋まらない壁がある。色が青から黒に変化してるから、出力ミスとは言い切れないものの、根本的な何かを見落としている気がした。
『――――』
しかし、敵は待ってくれない。硬そうな外骨格ごと突進し、僕に迫る。
「よっと」
僕は魔術師タイプだ。苦手な近距離戦に応じるわけがなく、真上に跳躍して回避。甲虫の突進は空を切り、廊下を直進する。
(なにやってんだ、僕は……っ!!)
思い至るのは頭から抜け落ちていた存在。甲虫が進んだ先には、ジュリアとソラルがいる。彼女なら対処可能なんだろうけど、それだと約束を反故したことになる。僕を信頼して任せてくれたジュリアの顔に泥を塗ることになる。
「――――ッッ!!!」
深く考える時間もないまま、僕は天井を蹴りつけ、ジュリアと甲虫の間に割って入る。数メートルの巨体による突進を僕一人の力でどうにかする必要がある。体積も重量も僕が劣っている。アレを凌駕するとしたら、通常の方法では到達し得ない『外れ値』を引き出さなければならない。
(邪魔だな。コイツ)
追い込まれた状況で内に抱いたのは、後ろ暗い感情。内向きじゃなく、外向き。さっきとは方向性が異なる心情が芽生える。僕は確信した。これが悪意の本質だ。ジュリアと僕たちを隔てていた壁だ。見えたなら簡単だ。壁を越えればいい。遠慮なく感情を爆発させればいい。正反対の性質に沿った能力を開発すればいい。
(魔術師は近距離戦が苦手だと誰が決めた!!!!)
悪意を甲虫に向け、世の中の常識に怒りを向け、出力が飛躍的に増大する。体外に溢れんばかりの黒いセンスが放出され、行き場を探している。方向性はすでに定まっている。これ以上は細かく指示する必要はない。少し手を添えるだけだ。
「最尤反転掌」
突き出したのは、右の掌。明確な悪意が込められているものの、完全な脱力によって、力は最小限に留められている。その状態を観測事象に設定。敵との衝突によって起こり得る確率の中から最も起こりやすい結果を選び、反転させる。
『――――――ッッッッ!!?』
ようするに、『最弱の掌』は『最強の掌』に書き換えられる。
僕の掌は硬い外骨格を突き破り、鋼鉄甲虫を近距離戦で打倒した。




