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教皇外交録/聖十字と悪魔の盟約  作者: 木山碧人
第十章 マルタ

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第97話 緊急事態

挿絵(By みてみん)





 倉庫内の戦闘には決着がついた。明確な勝ち負けはつかず、続行は不可能になった。……消化された悪意に害はない。彼女の根っこにあった『筋肉への執着』が満たされたのか、動かなくなった。別にそれ自体は不思議じゃない。食堂でも似たようなことが起きたんだ。いちいち疑問に思ってたらキリがない。そういうものだと受け止め、先に進むべきだったけど、一つ大きな問題があった。


「……ヒュー、ヒュー、ヒュー」


 倉庫内の床で気絶したソラルの容態が極めて悪い。顔を真っ青にして、まともに呼吸ができなくなっている。僕は医療の専門家じゃないから断定はできないけど、病状には少しだけ心当たりがあった。


「まずい……。たぶんだけどこれ、緊張性気胸だ。折れた肋骨か何かが肺に刺さって、中に血が溜まって呼吸ができなくなってる」


「――応急処置できる?」


「どうかな……。やり方は知ってるけど、失敗したら……」


「――専門家に見せるのが安全か。――幸い砦北には大病院長グランドホスピタラーがいるはず」


「ありだけど、最短で行くには中庭を突っ切る必要があるんだよね」


「――虫に囲まれるリスクを取るか、比較的安全に遠回りするか、か」


 ジュリアとのやり取りの末、提示されたのは二択。


 時間をかければかけるほど、ソラルの死のリスクが高まる。


 順路通りに攻略するのが理想だけど、こだわっている場合じゃない。


「中庭を通ろう。人の命には代えられない」


 ジュリアは何も言わなかった。何か言いたげな様子だったけど、僕の決断を尊重して、自分の意見をぐっと我慢してくれた。本来ならじっくり腰を据えて話し合いたいところだけど、これ以上は時間をかけられない。


「「…………」」


 僕たちは倉庫にあった素材をもとに担架を作成。テーブルクロスの端に長めの鉄パイプを二つ巻き付けた簡易的なものだ。それにソラルを乗せ、二人で両端を持って運ぶ。向かった先には三つの扉が見えた。それぞれ砦西、砦中央、砦南方向のルートに対応する。順路、近道、迂回路と言い換えてもいい。僕はすでに決断を下した。迷うことなく真ん中の扉に進み、担架を置き、ドアの取っ手に手をかける。


「「――――っっ!!!」」


 目に入ったのは、想像も絶する光景だった。ある程度の予想はしていたけど、想定を余裕で超えている。思わず開いた扉を閉じ、見なかったことにした。急がなきゃいけないのは分かってる。ソラルの生死に関わるのは理解している。それでも……。


「駄目だ。何があっても、このルートだけは行っちゃいけない」


 僕は見切りをつけ、近道を断念する。ほんの一瞬目にしただけなのに、身体は小刻みに震えていた。これでも、多少の困難には動揺しないぐらいの場数は踏んできたつもりだけど、アレは別格だ。王位継承戦にいた悪霊の比にならない。


「――でも、このままだとソラルは死ぬよ」


「そんなの分かってる! 今、別の方法を考えてるから黙ってて!!」


 これはただの八つ当たりだ。自信のなさと実力不足を棚に上げた言い訳だ。醜い感情なのは自覚してる。彼女は何も間違ったことは言ってない。いつもなら柔らかく返事するけど、言葉に気を遣う余裕がないほど僕は追い込まれていた。


 沈黙の間が続く。ジュリアは口を閉ざし、言われた通りに黙ってくれているだけなのに、嫌な焦燥感に駆られる。必死で考えているつもりだけど、何も思いつかない。考えれば考えるほど解決策が手から遠のいていく気がした。


「――何もないなら応急処置の方法を教えて。――責任は私が持つ」


 これ以上は時間の無駄だと判断したのか、ジュリアは冷静に淡々と蒼色の瞳をこちらに向ける。心の中を全て見透かされているようだった。焦って決断できない僕。まともな案を浮かばない僕。ショートカットから逃げた僕。見限られた。できない人間だと判断された。僕はこれでも英国王なのに……。


「――――」


 パシンと乾いた音が鳴る。一瞬、何が起きたか分からなかった。でも、ジンジンとした痛みですぐに理解できた。平手打ちだ。僕はジュリアにぶたれた。オーバーヒート寸前だった思考が、ほんの少しだけ冷えたのを感じる。今の僕が置かれている状況を客観的に理解できた気がする。色々と考えるべきことは山積みだったけど、やるべきことは単純だ。……まだ僕は彼女の質問に答えていない。


「必要な物資は、胸腔に穴を開けるための5センチ以上ある針状の何かと、空気の通り道を作るためのチューブ状の何か。応急処置ならストローやボールペンの軸とかでも十分だ。本来なら目当ての物を集めるのも一苦労だけど、運よくもここは倉庫だ。絶対に何かで代用できる。まずはそれを探そう!」


 僕は情けない自分をいったん脇に置き、指示を飛ばす。方向性が定まったおかげか、どうにか身体は動いた。命を救いたいという使命感に駆り立てられて、倉庫中を走り回った。深く考えず、使えそうなものを片っ端から集め、両手いっぱいに物資を抱えた後、再びソラルが寝かしつけられる担架に戻る。


「「………」」


 同じく戻ってきたジュリアと共に集めてきた物資を地面に並べる。包帯、消毒液、太めの注射針、点滴用のチューブ……使えそうなものは大体揃ってる。とにかく今は早さが命だ。こうしている間にも、ソラルの息が絶え絶えになっている。


「肺が動いてない方に問題があるから……たぶん僕らから見て右側。胸腔は鎖骨の真ん中から少し下ぐらいだったと思う。曖昧だけど、それ以上の厳密な位置までは覚えてない。ただ、浅すぎたら肺まで届かないし、深く挿し過ぎたら心臓や血管を傷つけてしまうから気をつけて」


 僕は聞きかじった知識で説明を済ませ、ソラルの服を脱がせ、彼の左胸あたりに消毒液をかける。ジュリアは文句の一つも言わず、注射針を構え、僕の指示通りに鎖骨の真ん中から少し下辺りに狙いを定め、準備を整えていた。


「――行くよ。――挿したらチューブは任せるからね」


 緊迫した空気の中、ジュリアはそう言って注射針を左胸に挿した。皮膚を突き破り、肋骨の隙間を貫き、詰まった胸腔に到達したはず。素人判断だから、上手くいったかは分からない。ただ彼女は善処した。僕の指示通りに動き、なんのミスもなく、応急処置をした。後は……。


「これで助かって! お願い!!」


 左胸に空いた穴に点滴用のチューブを入れ込み、空気の通り道を確保する。上手くいけば、詰まった血液と空気が溢れ出し、呼吸が安定するはずだ。


「…………」


 しかし、ソラルはピクリとも動かない。


 呼吸音は聞こえず、死んだようにすら思えてしまう。


「まさか……」


「――失敗した?」


 嫌な予感を口走るものの、僕は手を休めなかった。点滴用のチューブを奥へ奥へと進め、最後の抵抗を続けた。ただ、何も起こらない。嫌な沈黙が続き、チューブを動かす手を止めかけたその時。


「……………………ごほっっ」


 ソラルは息を取り戻す。チューブからは詰まった血液と空気が溢れ出し、再び呼吸ができるようになっていた。素人判断ながら上手くいった。応急処置ではあったけど、ひとまず緊急性はなくなったはず。


「良かった………」


 僕はほっと胸を撫で下ろす。どうにかこれで一息つける。ふと目に入ったのは、ジュリアの姿。手に握った注射針を離し、じっとソラルを見つめている。


「……………」


 彼女は何も言わなかった。良かったも悪かったも、不平不満も感情表現も行わなかった。……ただ、ジュリアとの間に距離ができた。それだけは分かる。取り返しのつかないことをしてしまったのが分かる。


「………ごめん」


「――何に謝ってるの?」


 反射的に出た謝罪に対し、ジュリアは冷たく当たる。


 半端な謝罪は許さない。そう間接的に言われているようだった。


「冷たく当たったし、声を荒げた」


「――それで?」


「申し訳ないと思ってる。今のは僕が全面的に悪い」


「――だから?」


「仲直りしたい。図々しいかもしれないけど、謝罪を受け入れて欲しい」


 質疑応答が続き、僕は出来る限り心を込めて回答する。


 言葉の長さや内容は問題じゃない。今、必要なのは誠意だ。


 合ってるか間違ってるかはともかくとして、僕の心情は伝えた。

 

 後は彼女が決めることだ。何を付け加えようとたぶん干渉できない。


「――もう元には戻れないよ。――隠し事を話してくれるまでは」


 告げられたのは、条件付きの突き放すような発言。


 彼女が気にしていたのは、ソラルの一件じゃなかった。


 これはもっと根深い。恐らくジュリアの出自に関わる問題。


(言えるわけがない。親友エリーゼの記憶を参照してるかもしれない、なんて)


 僕は駄目だと分かっていながら、心の奥底に秘密を隠す。


 それは、彼女との関係性を維持するよりも大事なことだった。

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