第82話 アイデンティティ
意図せぬ挙動をした意思弾。その行く末を見守る必要があった。僕が起こした結果を見届ける義務があった。だから、大財務長との戦闘を切り上げ、首都南西方面に向かった。たどり着いたのは、中央通りに面した道路。周囲には数々の刃物傷が存在し、地面に突き刺さる小刀の付近は捻じ曲がっている。超常現象と断定しても相違なく、それを監視するように立っていたのは、喪服を着た紫髪の女性。容姿は二十代後半。長い後ろ髪を三つ編みにし、左腰に二本の刀を帯び、一つを抜刀。僕の分身体が放った二発の意思弾を斬り裂き、見覚えのある見えない刃をこちらに向けているのが分かる。それ自体は別に気にならない。物品というのは巡り巡るもの。寿命の概念が存在する以上、未来永劫所有するのは難しく、番が回ったまでのこと。僕の視線が自ずと注がれたのは、彼女の足元。
「「「…………」」」
そこには死体が転がっている。生前葬での被害者というやつだ。マルタ騎士団と対立すると決めた以上、誰かが犠牲になるのは分かっていた。覚悟はしていたし、想定もしていた。何事も合理的に判断し、失敗や敗北は期待値の下振れと受け止め、どんな絶望的な状況に陥ったとしても『ツイてなかった』と開き直れるのが僕の長所だ。神や意思能力が介在する以上、常に勝てるとは思っておらず、誰にも負けないと自負できるほどの実力は備わってない。なんせ、今の僕は『観測』の魔眼を有していないからね。未来の予想や予測は困難であり、自分以外の誰かを守るために力を使うことはできない。今回もいつもと同じだ。仕方なかったと割り切って前を向くべきだ。想定の範囲内だと冷静に結果を受け止め、次の手を考えるべきだった。それが僕だ。それが僕の尊厳だ。それが僕のアイデンティティだ。……それなのに、こんな感情を抱くとは思いもしなかった。
「「「その子は僕の部下だ!! 弔い合戦といかせてもらうよ!!!」」」
◇◇◇
クオリアがキレるのを見たのは初めてだった。感情が理性を凌駕し、いつものような冷静で合理的な判断が下せなくなってる。理由も背景も関係性も分かるし、気持ちも痛いほど理解できる。……だけど恐らく、あの女サムライは刃影を殺した犯人じゃない。そんなの少し考えれば分かるのに、部下を殺された事実を受け止め切れず、感情の歯止めが効かなくなってる。もしかすれば、『反天則』の副作用なのかもしれないけど、確かめる術はない。とはいえ、上司の暴走を目撃してしまった以上、見なかったことには出来ず、私の結論は一つに絞られる。
(――よく分からんけど、やるっきゃないか)
緋色の意思を体外に放出し、形作られるのは2P用コントローラー。十字キーとABボタンとマイクがついた原点にして頂点の産物。それに対応するソフトもバグや裏技の宝庫であり、今度は遊びじゃない。真面目に目の前の問題を片づける時にだけ使う装備。……いわゆる、本気だった。
◇◇◇
私が好んで扱う剣術の流派は『示現流』。刀を抜いた状態での上段からの振り下ろしを得意とし、それに特化したものだ。敵に合わせて、あれこれと角度や切り口を考える必要がなく、あらゆる型や技は全て上段の構えから発生する。そのため、思考の迷いやタイムラグが極端になくなり、エネルギー効率も高く、刀を振るうことに雑念が入らないのが最大の長所だった。
……そのため私は、抜刀術を得意としていない。
刀に心得があるものの、抜刀術に関しては素人だと言っていい。陸上競技を職業にしていたとしても、短距離走の選手が長距離走で活躍できるとは限らない。どんな業種でも細かく分野が分かれているように、剣術の流派も同じだった。『示現流』は上段からの振り下ろしは得意でも、それ以外の剣術は得意じゃない。この文法は矛盾しているようでありながら、陸上競技の例を踏まえると十分に成立すると思われる。だからなんだと言う話ではあるが、私は今、長年積み上げてきたアイデンティティを壊すかどうかの瀬戸際に立たされている。
「…………」
滅葬具【羅刹・真打】は、抜刀術前提の能力を備えている。刀を抜くことで刀身に空気の層を纏い不可視化、刀を納めることで空気の層を解放し、高出力の風属性の技を発動可能とする。『抜刀』と『納刀』はセットであり、息を吸って吐くのと同じぐらい欠かせない要素となっている。
とはいえそれは、『示現流』との相性が悪い。抜刀状態を前提とした流派であり、納刀することを前提としていない。そのため、動作には多少の遅れが生じると思われる。慣れれば将来的に使いこなすことは可能ではあるだろうが、慣れない今はリスクが伴う。流れからして闘いは避けられず、考えるべきは二択。
『示現流』か『抜刀術』か。
意思弾を斬った手応えから考えても、敵は強い。私の人生を左右する重要な局面に立たされていると言っても過言ではない。生半可な決断をすれば、殺されるのは目に見えている。未来を優先する余裕はなく、今を優先するなら『示現流』が最も勝率が高いように思われる。……だけど、本当にそれでいいのか。心には一点の曇りがあり、判断を鈍らせる。私はそれを掘り下げる。限られた時間の中で思考を飛躍させる。雲間の中にいたのは一人の女性だった。黒色の長い前髪で目元を隠し、自信のなさを体現していた。初めて出会った頃は敵として見ていなかった。未熟な使い手であり、意思の力もまともに使いこなせていなかった。しかし、彼女は成長した。父親との確執、仲間の死を乗り越え、己がスタイルを確立し、私は負けた。
『【風信子ッッ!!!】』
私は彼女にはなれないし、彼女も私にはなれない。同じではないのなら、彼女になくて、私だけにあるものとは一体なんなのだろう。きっとそれは、『示現流』や『抜刀術』という分野では推し量れない領域。……そこに答えがある。見出さなければ殺される。子供たちの成長を見守りたいという未来も費える。これまでに感じたことのない外的圧力にさらされながらも、私の思考と心は澄んでいた。一点の曇りもなく、雲間が晴れていくのを感じる。結論が出たわけじゃない。何かを閃いたわけではない。ただ、私は知っている。私が私であることに罪はない。誰かに許可を得る必要はなく、歴史と伝統に媚びへつらう必要もなく、指導者の顔色を伺う必要もない。しがらみと束縛を解放すればいい。型や技は勝つための手段であって、目的ではない。そこに縛られているうちは三流だ。教えを守り、破り、離れる。『守破離』を繰り返すことで人は成長する。『示現流』に囚われるうちは変われない。周りが成長し、置いていかれることに危機感すら覚えなくなっていく。年齢のせい。才能のせい。流派のせい。もう言い訳はうんざりだ。意思能力を覚え立ての初心者に負けた事実は揺るがない。あの時点で変わる決断をするべきだった。判断が遅れた、決断が鈍った、流派に縋った。だけどそれは、『過去』の話だ。『今』は自分の手で変えられる。『未来』は私の意思で切り拓くことができる。だとすれば……。
「臥龍岡流――【擬刃丁嵐】」
刀を下段に構えて、私は意思能力を発動する。
同じようで異なる流派。示現流とは似て非なるもの。
これが最初の一歩。ここからやっと、私だけの物語が始まる。




