第8話 脱獄に向けて
9月7日朝。首都バレッタ。別荘ヴィラ・ガーダマンギア内。
案内されたのは、一階にある手広いリビング。白を基調とした年季を感じる家具が並び、クラシックなソファに腰かけるのは青のローブに着替えた青髪の少年。隣には執事風の装いをする年老いた男性秘書官が一人。見たところ、護衛を引き連れてはおらず、必要最小限のメンバーで休暇を満喫しているようだった。
「それで……話って?」
あくびを噛み殺しながら、少年アルカナは問いかける。現イギリス国王に貴重な時間を割いてもらっている。そう考えれば、忍びない気持ちになるものの、手段を選んではいられない。懐から携帯を取り出し、映写機能を使い、資料データを壁面に映し出す。一枚目は首都バレッタ郊外にある施設。石造りの星型要塞が見えた。
「聖エルモ砦からの大脱獄劇。殿下にはそのご協力をしていただきたい」
サングラスを外し、赤縁眼鏡をかけ、始めるのは本気のプレゼンテーション。彼が味方につくかどうかは、このやり取りにかかっている。失敗すれば、敵に回るというリスクを背負いながらも、ここでおくびを出すわけにはいかなかった。
「ここかぁ……。砦内の警備はもちろん、中に入るだけでも相当めんどいよ」
勝手知ったる様子のアルカナは、眉間に皺を寄せ、抵抗感を示す。表面的には幸先の悪い反応に見える。このまま不平不満で押し切られ、交渉が決裂に終わる未来だって見える。……ただ、実のところこれは、好印象の兆し。『面倒くさい』と口にするものは総じて、その事柄に対しての造詣が深い。構造は分かるけど、やりたくないというニュアンスが含まれ、決して対処できないわけではない。だからこそ考えるべきは、彼をどうやってやる気にさせるか。
「感知式の多重構造結界。謎解きやパズルはお好きですか? 殿下」
「それは……食指が動く響きだね。詳細を聞かせてもらおうかな、新米さん」
◇◇◇
聖エルモ砦内。別室。
そこは、一対一で話せる尋問部屋のような場所だった。内装は石造りで、簡素な机と二脚の椅子があるシンプルな場所。正面に座るのは、大病院長と呼ばれる耳長で黒髪セミロングの中年修道士。白十字が刺繍された赤を基調とした赤マントとローブを纏い、黄金色の瞳を輝かせて、質疑応答は続いていた。
「相棒の名はリディア・カデンツァ。風貌は、長い金髪で赤縁眼鏡をかけた社長秘書っぽい大人の女性さ。言うまでもないかもしれないが、僕と同じ超常現象対策局に所属し、階級は白で新米に位置する。今頃は僕を脱獄させるために、色々と手を回している頃だろう」
手錠に繋がれ、向かいに座る僕は、嘘偽りのない本音を語る。わざわざ探りを入れるまでもないが、嘘を見抜く目を持っているのは明らか。それを分かった上でホラを吹くほど馬鹿でもない。この場においては相手の機嫌を損ねないことが、最も建設的に思えた。逆上されて大怪我でもしたら、元も子もないからね。
「口の軽い男だ。義理や人情というものは持ち合わせていないのか?」
「あるのは全幅の信頼さ。宣言した上でも彼女が勝つよ。……必ずね」
質疑応答の末に、僕は大病院長を挑発する。
証人保護プログラムを受ける気なんてサラサラない。
最初から本命は脱獄。隠す必要がなくなったから明かしたまで。
「ソラル、奴を独居房に入れておけ。そして、鼠一匹たりとも侵入を許すな!」
そこで告げられるのは、舞台移動と厳戒態勢。
引っ掻き回すは準備は整った。後は時を待つだけだった。
◇◇◇
9月7日昼。大雨の中、聖エルモ砦付近には想定以上の修道士が哨戒している。基本は二人一組で砦の周囲を徹底的に警戒し、正規ルートの出入り口付近は検問が設けられ、侵入は困難。その上、結界が展開され、常人が触れれば即感知。身元不明の存在が通り抜けることは物理的に困難になっている。
「思ったよりも多いね。大丈夫そ?」
見通しのいい建物の屋上で振り返り、アルカナは問う。
不安そうな面持ちで、自分よりもこちらの心配をしている。
「中のことは、ご安心あれ。それより、外は任せましたよ」
私は覆面を被り、額にあるスイッチを押す。出力されるのは、イタリア系と異世界人の血が混じった男の顔。褐色肌で、耳は尖り、顎は割れ、ボブ風の黒茶髪が実体のない映像でマスク表面に出力される。
「うん、結界の件は任せて。でも、3分が限界だから検問は早めに通ってね」
「……ええ」
赤の修道服を羽織り、目指すのは砦正面。
あいにくの悪天候の中で、潜入は開始された。




