第78話 僕
僕の置かれた状況と両者の立場は概ね理解した。ジェノαは、『血の千年祭』以降に紆余曲折を経て、マルタ騎士団総長に就任。その間に因果を入れ替える能力を習得。常に鎧を着ている無口なルーチオってのは、僕の因果関係が別の誰かと入れ替えた結果の誤った記憶らしい。僕が『生前葬』で暴れないようにするため……とは言ってたが、腹の内はどうなんだろうな。嘘をつけない性格なのはなんとなく分かるが、それは僕のよく知るジェノβの話だ。ジェノαに関しては表面的な性格しか知らねぇんだよな。復讐を真っ向から否定し、責任を自ら背負い、他人を怨まない『自分軸』ってやつを持つ。正義感が強く、立派な信念を持ち、間違ってると感じることがあれば、格上や年上だろうと関係ねぇ。実力が伴わなかったとしても誰彼構わず突っかかるだけの根性があった。知り得る限りは、人を騙せる性格じゃねぇ。ルーチオの記憶捏造の件は仕方ないと思えるほどの情状酌量の余地がある。
……ただそれは、過去の話だ。
ジェノαがそのまま真っすぐ育ったとは限らねぇ。人ってのは、環境や周りの人間関係によって性格が変わる。ポジションから考えれば恐らくマルタ騎士団にどっぷり浸かり、空白の期間は約9か月。それだけありゃあ、性根が腐ってもおかしくねぇ。ただでさえ十代前半は多感な時期だ。強い信念をもっていようが、四大官職の手綱を握れるようになるまでには、相当な苦労があったはず。……まぁ、大前提として、ジェノαと関わった記憶自体が偽物の可能性もあるわけだが、後は『正常』の魔眼の力を取り戻したと思わしきソフィアの手腕次第。
「「「…………」」」
鎖を引かれ、僕を含めた三人は大聖堂前に集まる。オーディエンスは無し。ここなら『生前葬』に必要だと思わしき猫たちが巻き込まれることはねぇ。僕とジェノαの関係性の真偽……魔眼を証明する舞台は整ったわけだ。
「あなたを信頼しています。良からぬことは考えないでくださいね」
白銀の鎧兜を被り直すジェノαは、白い鎖をソフィアに手渡し、忠告する。返事を聞かぬ間に距離を取り、魔眼の影響範囲外に移動していた。どうやら、近くにいると困るらしいな。『正常』に当てられると、白銀の鎧が消えるからか、何らかの能力が解かれるのを恐れてか。色々と考察する余地はあるが、あいつと同じ立場だったら僕だってそうする。
ソフィアは不安定な磁場みたいなもんだ。
安定をもたらすように見えるが、あいつは自然の摂理を捻じ曲げる。能力込みで世界は回ってるわけだが、ソフィアだけは能力に影響を受けない異次元の理を持っている。……『異常』な世界で『正常』でいられる方が、おかしいんだ。圧倒的少数派に位置し、どれだけ常識人であろうと、多数派が世界を形作る。歪んで見えるのは、僕たちか、ソフィアか。客観視ってのは極めて難しく、世界目線ならどれだけ考えても答えが出ない問いだろう。ここで重要なのは主観だ。僕自身がどう思い、どう感じているかだけが判断材料になる。
「さて、始めるよ。元に戻る準備はいい?」
準備万端のソフィアは白い鎖を握り、その場で屈み、耳元で囁く。『ニャア』と言えば始まる。『正常』の理に身を委ね、『あるもの』と『ないもの』がごちゃ混ぜになる。……それは果たして、僕なんだろうか。
『テセウスの船』という思考実験がある。
船を構成する木材が全て新しい木材に入れ替わった時、同じ船と呼べるのかという問いだ。外見はおんなじなわけだが、中身は違う。今の僕が置かれている状況と酷似していた。限られた時間の中でも、一考の余地がある議題だ。この説を問われた場合、一般的には三つの解釈パターンに分けられる。
A、同じである。
B、同じではない。
C、同じとみなされる。
Aは船としての機能の同一性に着目し、Bは物体の連続性に着目し、Cは精神の連続性に着目している。それぞれどこに重きを置いているかによって異なり、どれを選択したかによって回答者の性格が概ね分かる。共通して言えるのは、絶対的に正しい答えなんてもんは存在せず、どれも一理あるってことだ。だからこそここで考えるべきは、客観でなく、個人の主観。僕が何を選びたいと思ったかだ。そこに僕が僕であるべき理由が詰まってる。『正常』の魔眼を許容するか、否定するか、新しい結論に身を委ねるか。主導権は僕にある。それをソフィアは分かってる。ジェノも分かった上で放し飼いしている。流されるだけじゃ駄目だ。僕が選ばないといけない。誰かに選ばせてはならない。僕の人生の舵を取るのは僕でなければならない。
――だから!!!
『…………ッッ!!!!!!!』
骨が軋む音が鳴る。皮膚が裂ける感触がある。焼けるような痛みが首元に走り、目尻には自然と涙が浮かんだ。それでも僕は止まらない。僕が僕であることを止められるやつはいない。魔眼を証明する以前の問題に、解決すべきことがある。
僕は痛みと引き換えに『天鎖』の束縛から解放された。
物理的に死ぬかもしれねぇが、心は生きている。この上なく生を実感し、自分の人生を歩んでいる感触があった。目に見えるものでは計測できない、何物にも代えがたい幸福感が胸の内に広がる。僕は誰の指図も受けねぇ! 神だろうが悪魔だろうが政府の陰謀だろうが、知ったこっちゃねぇ!! 魔眼に干渉させてはいけない領域が僕の内側には存在する!!!
『ニャア!!!! (一斉総送信!!!!)』
僕は右手で地面に猫パンチをかます。持ち得る全てのセンスを消耗し、水中都市ラグーザを含む心の内容物が、ゲロのように溢れ出した。
◇◇◇
物事に想定外はつきものだ。未来を見たわけでもないし、あらゆる事態に備えることはできない。だから時間をかけて準備をする。何が起きたとしても対応できるだけの実力と舞台を用意する。今、目の前に起きていることは対応可能か? 答えは僕にも分からない。だけど、物語は紡がれた。ラウラからバトンは渡された。水中都市ラグーザと首都バレッタの命運を握るのは僕だ。僕の発言と能力と可能性を信じてくれた彼女の期待には、全身全霊で応えなければならない!
「――反重力場形成、空間座標指定」
僕は両手を握り込み、祈るように意識を集中させる。白銀の鎧の基本能力は変わらない。右手が重力。左手が空間を司る。力の一部をジェノβに明け渡したとしても、本質が揺らぐことはない。それをラウラは分かっていた。僕が反応できると見越してパスを投げた。失敗は許されない。責任は重大だ。本当はラウラにやってほしかったことだけど、こうなった以上は僕が頑張るしかないんだ!!
「超光速航法!!!」
次々と生じる質量の塊ごと天に飛ばす、光速を超える粒子に変換し、首都との物理的な衝突を回避する。展開するごとに物凄い勢いでセンスが目減りし、見る見ると身体が疲弊していくのが分かる。どこまで持つか分からない。途中で力尽きるかもしれない。それでも僕は僕でなければならない。平気で人を見殺しにするような人間にはなりたくない。世界にどんな影響が及ぼうとも、今が大事だった。
吐き出される内容物を端から端まで確認したわけじゃない。だけど、自然と目に入った。ジルダ、大外務長、カモラの三名だ。限界ギリギリだけど、恐らく一名だけなら除外できる。空間転移に巻き込ませずに済む。深く考える時間も猶予も余裕もない。今後の展開を考慮して、僕が選ぶのは――。
「………来い、僕の右腕!!!」
全ての意思を振り絞り、都市と首都の衝突は回避される。
超光速で移動した物体と人間たちは、過去の世界へ送られる。
薄れゆく意識の中で、倒れる僕の身体は細い腕に支えられていた。




