第72話 矛盾
ソフィアの強さの本質は『矛盾』だ。感覚系なのに最も適性のない肉体系だと思い込み、誰よりも異常なのに正常だと言い張る。無意識的に自らに制限を設け、それがパフォーマンスに直結した稀有な事例だ。『天然の無意識』ってのが重要で、洗脳だと再現性はなく、他のナンバーズには取り入れられなかった仕様だった。
ゆえに、最強。
弱体化した今となっては過去形になるが、今後どうなるかは分からない。全盛期を超える可能性もあるし、大幅に下回る可能性もある。本人が『矛盾』を自認した上でどう立ち回るかが重要であり、同じ道を辿るようなら……。
「…………」
思惑を胸に潜め、あたいは構える。大穴の底で大量の魔物たちに見守られながら、一対一の状況を作り出す。厳格に勝敗条件を定めたわけじゃないが、最低でもどちらかが致命傷を負うまでは終わらないだろうね。
「確認だけど、聖遺物は使っちゃ駄目ってルールはないよね」
すると彼女は、エージェントスーツに備わる胸元のファスナーを開き、茶色毛のニワトリを見せた。組織秘蔵のコレクションなのか、はたまた、第三者からの貰い物なのか。……なんにしても、切り札を出し惜しむ気はないらしい。
「好きにしな」
あたいは構え、紫色のセンスを身に纏う。
安心したのかソフィアの肩の力を抜いた気がした。
「……ただし、詠唱を待ってやるほど、気長じゃないけどね!!!」
すかさず駆け寄り、戦闘を強制的に開始する。
懐に忍び込んだあたいが振るうのは、右ストレート。
「おっと……」
不意打ちに動じることなく、ソフィアは側転して回避。
今ので倒せるとは微塵も思っておらず、狙いは他にあった。
「粛清烈破光!!!」
回避した方向に拳を定め、センスを放つ。
紫色の光が迸り、直線上のソフィアを狙い撃つ。
物理的に回避が難しい状況。選択肢は自ずと限られる。
「――!!!」
緋色の閃光を伴い、ソフィアは防御の刹光を用いる。
威力は半減され、烈破光を受け止められる程度に留めた。
教科書通りの戦法。予想通りの展開。これだと最強は程遠い。
あたいはセンスを絶ち、消え行く紫光と同化して、距離を詰める。
残滓の影響で感知は困難。チャフグレネードと似た要領で察知を妨害。
視認するのも難しく、あたいは容易に懐に近づき、次の一手を繰り出した。
「………………」
研ぎ澄まされた感覚と共に放たれたのは、裸の拳。
吸い込まれるように腹、胸、頭と正中線をなぞり、打つ。
右左右と交互に拳を突き出し、基本的な動作のみで完結させる。
センスあり気の攻防だと話にならないが、あたいの場合は別物だった。
「――――雲耀三連」
成功を確信し、あたいは心意気を言葉に乗せる。
振りかざした三連の拳は光の軌跡を生み、開花した。
「――――!!!」
迸るのは稲妻の如きエフェクト。『雲耀』に至る刹那の輝き。
上があるのは知っている。『阿吽』が最高火力なのは分かっている。
理論値の場合は『阿吽』三連がベスト。ただ、実践値の場合は話が別だ。
――あたいは『雲耀』を安定して出せる。
それが最大の強みであり、『阿吽』を嫌う理由だ。
だからこそ連撃を可能にした。唯一無二の個性へと至った。
「…………」
ただ、これで勝負が決まるとは思ってない。
あたいが注目するのは空中に放り出された聖遺物。
『――――』
去り行く鶏の足を掴み、情報を読み取る。
根源は『力の渇望』。同調するほどに進化を促す。
60%なら『武器化』。80%なら『鎧化』。100%なら……。
「赤き星の輝きよ、勝利と平和を願う神よ、我に大いなる力をもたらし給え」
◇◇◇
さすがは原点。『雲耀』を安定させ、私を殺すつもりで本気で拳を叩き込んだ。おかげでコンマ数秒は気を失っちゃった。劣化版の刹光三連で防御して助かったわけだけど、その間に聖遺物は奪われ、当然のように詠唱して自分のものにしていた。切り札はなく、魔眼は使えず、刹光勝負では手も足も出ず、身体とセンスは徐々に削られ、敗色濃厚。これからどうなっちゃうの私? と弱気な台詞を吐きたいところだけど、私の長所は持ち前の明るさ。いつものようにメンタルを持ち直し、現実に目を向ける。マルタの変化を見届ける。そこに広がっていたのは……。
「は、ははっ……。いくらなんでもそれはないっしょ……」
溢れ出すのは乾いた笑い。持ち前の明るさを遥かに上回る絶望。
両手には赤と青の槍を持ち、軍神という二つ名が似合いそうな様相。
真紅の鎧に身を包み、細部はニワトリのモチーフが取り入れられている。
「……少しばかり理性を抑えるのが大変でね。見誤ると死ぬよ!!!」
そんな末恐ろしい前置きと共に投擲されたのは、赤い槍。
青い槍に紐づく白い鎖が延長され、不規則な動きを可能とする。
的を絞らせないように縦横無尽に飛び交い、私の背後から迫っていた。
「――――」
私はここぞとばかりに息を吐く。
右手首にある紺碧の腕輪に意識を向ける。
世界に溶け込んでいき、存在認知を不可能とする。
「馬鹿だね。可動域を狭めるまでだよ!」
マルタが展開するのは、私を閉じ込められる程度の結界。
透明化じゃないから出れない。中には飛び交う槍が残ってる。
腕輪の能力を即座に見抜いて、一番面倒な選択肢を提供していた。
(困ったなぁ。使える手札は全部切った。今の私に残ってるものはない)
冷静に現状を分析し、極限まで追い込まれているのを感じる。
変わらないといけない。今の自分から成長しないと殺されちゃう。
「…………」
私は自分の心臓に右手をそっと当て、鼓動を聞く。
そこには、意思の大半を注ぎ、生還した神秘が備わる。
私は一度死んでる。魔眼は使えないんじゃなく、使わない。
使ったら死ぬと本能が知っていた。だからブレーキがかかった。
だって、おかしいもん。私の意思が心臓の機能を負担できるなんて。
意思の力は体系化されてるとはいえ、まだまだブラックボックスが多い。
私は未踏の領域に自ら足を踏み入れる。ここで死んでもいいと覚悟を決める。
「…………」
槍は結界内を切り裂き、片っ端から索敵し、斜め後方から私の方へ迫る。
反撃も防御も回避も難しい。諸々の事情を理解した上で私は左目を見開いた。
「――――」
覚悟に応じ、光を取り戻したのは、『正常』の魔眼。
周囲数十メートルに半強制的な呪いを飛ばし、無効化する。
魔眼の枠組みからは外れている。矛盾してるのも即座に理解した。
任意ではなく強制。恐らく私の身体は、世界の常識が一つも通用しない。
「私は生まれた時から恵まれてる。……そうでしょ? マイマザー」
迫る赤い槍が消え失せるのを見届け、私は言い放つ。
『獣化』が解かれていくマルタの姿を見て、私は確信する。
「天授恩寵。可愛くない子だね。素直にやられておけばいいものを!!」




