第71話 モンスターハウス
独創世界『福音の扉』。マルタ・ヴァレンタインの心の内側を具現化した世界。私は大穴の底に導かれ、大量の魔物に囲まれていた。強弱にバラツキはあったものの、とにかく数が多い! 戦闘経験がレベル1に戻された私にとってはちょうどいい修行場であり、一瞬も気を抜けない修羅場でもあった。
「こんの――!!」
以前の私に特別な意思能力は存在しない。肉体系だと勘違いしていたから、能力開発に意識を割かなかった。多系統の能力は基本技術の習得だけに留め、体術と刹光だけにフォーカスしていた。……今になって伸び悩みの時期がきている。以前の得意分野だけじゃ生き残れないところまできている。
「読みが、浅いよ!!!」
魔物と魔物の隙間から叩き込まれるのは、マルタによる背面からの回し蹴り。一撃で戦闘不能になるレベルじゃないけど、着実に体力とセンスが削られる。すぐに魔物に紛れて姿を消し、接近戦に持ち込むこともできない。
本気で殺しに来ている。
彼女が作った最高傑作だろうが、生物学上の子供だろうが関係ない。とにかく、何がなんでも『生前葬』を成功させたいみたいだった。どこからそのモチベーションが湧いてくるのか。こちらの事情を話せば分かってくれるのか。そんな対話を試みる隙すら与えてくれない。今生き残ることで精一杯だった。
『――――――』
そんな中、突如目が合ったのは、単眼の巨大な魔物。
手足はなく、赤い瞳を怪しく光らせ、私に視線を合わせる。
(嘘……。あれって、邪眼……?)
期せずして出会ったのは、魔眼の対極にいる存在。
上位の悪魔が使えると言われている異能を有していた。
加護と呪いの可動域に縛られる魔眼とは違い、能力は単純。
目が合うのを発動条件とし、対象者は不幸や困難に見舞われる。
個々の思想によって内容にバラツキがあるけど、本質は変わらない。
――悪意。
それが邪眼を発動させる根本的なエネルギー源。
それに紐づくマイナスの事象が自然と引き寄せられる。
「…………っっっ」
奥歯を噛みしめ、起こるべくして起こる困難に備える。
邪眼の厄介な点は、一度目が合えば発動が強制されること。
もちろん例外はあるだろうけど、意思の力だけで防御できない。
魔眼とは違って、相手の同意を必要としないのが最大の強みだった。
『…………』
次の瞬間、視界が大きく揺らぎ、飛ばされた先には黒龍がいた。
空中に転移させられたと気付いた頃には、容赦ない攻撃が振るわれる。
「――ッ!!!!」
テールウィップ。尻尾を鞭のようにしならせ、叩きつける。
反射的に両腕でガードしたものの、それを上回るとんでも威力。
私のセンスとスーツを貫通し、裂傷を伴い、地面に落下していった。
『『『『…………』』』』
そこに待ち受けていたのは、四体の魔物。
巨鎌、巨杖、巨刀、巨盾を扱うユニークな面々。
各々の特徴を活かし、畳みかけるように襲い掛かった。
『――』
真っ先に振るわれたのは、横薙ぎの巨鎌。
死神めいた見た目の魔物が命を刈り取りにくる。
「……よっと」
私は鎌の軌道を見切り、平らな側面に手をつき、受け身兼回避。
『―――カァ!』
次に動き出したのは巨杖を持つカラス的な魔物。
杖先が輝くと、赤い光が私に向けて一直線に迫った。
恐らくデバフ型の魔術。当たれば行動制限を食らうはず。
「なんの!!」
グルンと身体を回転させ、空気抵抗を作り、浮上。
赤い光は私のちょうど真下を通過し、空を切っていく。
『――坐合!!!』
そこに襲い来るのは斬撃。侍めいた魔物の正座からの抜刀。
斜め下から切り上げ、回避中で隙を晒している私に容赦なく迫った。
「白刃砕き……ってね!!!」
角度とタイミングを見切り、私は両拳を突き合わせる。
その中間にあった巨刀は砕かれ、侍魔物のターンは終わった。
『――――』
次に行動を開始したのは、門のような巨盾を装備する魔物。
カラスの魔物が放った赤い光を盾で受け、私に照準を向けている。
(反射か。ありきたりだな)
私がそれに後れを取ることはなかった。
瞬時に特性を察知し、次なる一撃に備えていた。
「頭でっかちだね。知識に頼ると痛い目を見るよ!」
そこで聞こえてきたのは、マルタの声を張った忠告。
仕掛けてくるかと思ったけど、遠くで見てるだけだった。
(ここにきてアドバイス? ……いや、ハッタリかな)
私は私の判断と決断を全面的に信用する。
腕は衰えたとしても、勘は鈍ってないと信じる。
敵の言葉には耳を貸さず、次の行動に移そうとした時。
『――――』
そこに割り込んできたのは、一匹の丸っこい魔物だった。
黒色のフォルムで、尻尾と長い獣耳がついた弱そうな小動物。
無視してもよさそうだったけど、無視できない要素を持っていた。
――身に纏うのは『黄金のセンス』。
俗に言う、『神醒体』。肉体系の極みに到達している。
多分、相手が人間なら何も思わなかった。スルーしていた。
しかし、相手は魔物。意思を持たないはずの存在が持つ意思の力。
(綺麗……)
私はその姿に魅了されていた。目を奪われていた。
魔物の常識から外れ、矛盾を有する存在に釘付けになっていた。
『ヘケっ!』
そこに振るわれるのは、優しい尻尾攻撃。
痛みはなく、慈愛に満ち溢れ、私は落下する。
魔物の言葉は理解できないけど、意図は伝わった。
脳内で状況を察した瞬間、赤い光が放射状に広がった。
(反射じゃなく、放射……。あのまま避けていたら、私は……)
私は落下しつつ、丸い魔物が赤い光に照射される姿を見ていた。
放射状に広がる光の射程圏外から、自らの判断ミスを痛感していた。
『…………』
身を挺してかばってくれた魔物は口を閉ざす。
物理的に口が開けないような状態異常がもたらされる。
全身は硬直し、眼球運動が止まり、声すらも上げられなくなる。
――石化。
単純明快なデバフが発動し、丸い魔物は重力に引かれる。
あのまま着地すれば粉々。恐らく、二度と元に戻れなくなる。
「…………」
気付けば、私の身体は動いていた。
小結界を展開し、蹴りつけ、受け止めた。
できるだけ緩やかに着地し、優しく抱きしめる。
「ありがとう……そして、ごめんね。私が弱かったせいだ」
聞き届けられないと分かっていながら、私は声をかける。
近くの地面にそっと置き、嫌な現実に向き合う覚悟を決める。
視界に入ったのは、黒いワンピースドレスを着る長い白髪の女性。
「魔物に命を救われた感想は?」
「最悪で最高の気分だよ。矛盾してるよね」
マルタの意地の悪い質問に対し、私は本心で答える。
不思議と心は落ち着いていた。怒りは込み上げてこない。
関係性がなかったからかもしれないけど、向き合うべきは敵。
全盛期の力を遥かに上回り、原点を超えるのが私に課された宿命。
「良い目をしてるね。……だったら、一対一でやろうか」
「……ええ」
私は静かに腹をくくる。ここが私の一世一代の正念場。
あの魔物が教えてくれた、『黄金の精神』が試される舞台だった。




