第5話 下見
水中都市から地上に通じるゲート。それが山なりの街の頂上付近にあるらしく、ジャコモと共に僕は下見を開始していた。海底にあるとは思えない風情ある石造りの家を背景に、斜面になってる道を上がっていく。通りすがるのは、長耳に民族的な衣装を着た一族。教皇だとバレれれば恐らく即戦闘に発展するが、身元が割れる品々……指輪とか修道服は宿屋の壁内に隠してきた。さらにそれらをジルダの結界で覆い、表面を布地で隠し、解かれればすぐに察知できる上に、ジルダが出入りを見張っているという隙のねぇ四段構えだ。現状、不安や緊張感はなく、心置きなく観光気分で出歩くことができた。
「そういやぁ、ジャコモの元チームメイト二人はどうしたんだ。名前は確か……ルーチオとリリアナだったか」
その道中で僕は雑談に興じた。ジャコモとの因縁は、数か月前に行われた武道大会、『ストリートキング』っつぅ舞台で戦った対戦相手だ。ルールは三対三のチーム戦で残り二人が見当たらねぇ。状況から考えれば、ここが奴らの地元なんだろうが、味方がいるなら多いに越したことはない。仮に伏兵だったとしても、どこにいるかは把握しておきたかった。
「あいつらなら、今は訳あってマルタ騎士団に所属してる。下っ端も下っ端だが、見かけたら頼れ。話は通してある」
「……ようするに、スパイってやつか?」
「ま、そんなところだ。大手を振ってマフィアをやるには、資金も人脈も実績も経験も不足してるんでね。下積み時代ってやつさ」
語られるのは、納得の理由。前回戦った時から大した時間は経ってねぇし、いくら成長したといっても、いきなり大手マフィアになるには実力不足だ。段階を踏むのは地に足がついてるっつーか、現実味のある堅実なプランだった。出会った頃の井の中の蛙的なオラオラ感は抜けて、一つずつ積み上げようとしてる。
大人になった。
そう一言で済ませるのは簡単だが、こんな謙虚な奴だったか? という疑問がある。変化と成長をこの目で見たわけじゃないからこその違和感。言ってることは分かるし、納得もできるが、そんなキャラじゃねぇだろってのが率直な感想だ。何か裏があるような気もするが、協力してくれてるのは事実。今は頭の片隅に置いて、ゲートのことだけを考えた方が無難だろうな。
「下積みねぇ。色々と事情がありそうだが、深くは聞かないでやるよ。……それより、お前はこの街だとどういう立ち位置なんだ? 都市名と同じ『ラグーザ』ってファミリーネームは偶然じゃあねぇんだよな?」
話題を切り替え、掘り下げる方向を変える。気になったのは、ジャコモの出自。きっと、余所者に位置する僕とジルダには知り得ない歴史がある。土地名がファミリーネームになるってのも珍しい話じゃねぇが、偶然にしては出来過ぎていた。
「アラゴン王家……だったか。今から1000年以上前にいた王族の末裔らしい。統治する領土をファミリーネームにして、その名残が俺に受け継がれた。……とは言っても、今はとっくに没落してる。お情け程度の住民権はあるが、一市民以上の権力を持ってないってのが現状だ。協力はしてやれるが、過度な期待はしてくれるな」
「なるほどな。概ね理解したが、お前が頭じゃねぇならトップは誰なんだ?」
行き着くのは自然な疑問。願うことなら出会いたくない相手。
ジャコモはピタリと足を止め、険しい表情を作って質問に答えた。
「――大政務長。外交や行政を統括するマルタ騎士団の四大官職の一人だ」
◇◇◇
水中都市ラグーザ。南端に位置する宿屋『ベネット』。
一階の受付に訪れたのは、黒の修道服を着た長耳の男性。
長い黒髪が特徴的で、前髪も無造作に伸ばし、顔は見えない。
「ここに不法滞在者がいると耳にしましたが、事実ですか?」
物腰柔らかい態度で、男は受付にいる店主に尋ねる。
「大政務長……っ。お言葉ですが、守秘義務というものがありまして」
水色短髪髭面の店主は、強張った表情で答える。
緊迫した空気が流れ、エントランスは静まり返った。
何名かくつろいでいた客がいたものの、身体は硬直する。
「それは結構、結構。職務を全う出来て、偉い偉い」
ニヤリと笑みを浮かべて大政務長は、手を伸ばす。
骨と皮だけの腕を露わにし、店主の頭を優しく撫でた。
「…………恐悦至極に存じます」
ヒヤリと汗を流しながら、店主は反応する。
視線は俯き、時間が過ぎ去るのをひたすら待った。
「……ですが、いけませんねぇ、いけませんよぉ」
「……っっ!!」
しかし、そこで終わるわけもなく、大政務長は頭を掴む。
細い手と腕で鷲掴みの状態にして、店主をグッと持ち上げた。
メリメリと音を立て、頭蓋骨を締めあげる音が宿内に響いていく。
――誰も助けに入る者はいない。
彼に逆らえば、同じ目に遭うのは自分。
全員が理解していた。各々が身の程を弁えた。
見て見ぬ振りをして、場をやり過ごそうとしていた。
「もう一度、伺います。ここに不法滞在者は泊まっていませんか?」
横暴の果てに問うたのは、先ほどと同じ質問。
生かすも殺すも大政務長次第の状態で、同じことを繰り返す。
「それ、は……。守秘、義務、というものが……」
しかし、宿屋の店主は頑なに口を割らない。
規則を盾にして、権力者に真っ向から立ち向かう。
「頑固ですねぇ。気に入りませんねぇ。その目つきが癪に障りますねぇ……!」
頭を握る握力は増す。見た目以上の膂力で締め付ける。
「く……っっ」
店主は死を覚悟する。職務を全うし、生を終えようとする。
戦々恐々とした客は静観を貫いている中、ついにその時は訪れた。
「手を放す、です……」
二階から颯爽と現れたのは、ジルダ・マランツァーノ。
大政務長の腕を掴み、顔を晒し、権力者に逆らう覚悟を決める。
「なるほど。あなたが例の……。こう見えてワタシは、血も涙も通っている人間でしてね。あなたの多大なる貢献と実績に敬意を払って、正規の手順で接しましょう。今のように強制ではなく、任意の職務質問をしても構いませんか?」
「好きにするです。その代わり、ご主人は放してもらうです」
「約束は守ります。……では、お部屋まで案内してもらえますか?」
薄氷の上で、二人の約束は成立する。
部屋での職務質問は、死と隣合わせだった。




