第44話 新たなステージ
演奏は終わった。舞台の幕は閉じた。音のない世界が広がった。
再び足を踏み入れることになったのは、聖エルモ砦西側方面の廊下。
「…………」
目の前には、一人の音楽家がいた。
石造りの壁に磔状態になり、視線を落とす。
黒服の一部は破れ、盛られた金髪は解け、裂傷を伴う。
傷の深さは皮下2センチ。筋膜に達するが、血管と神経は無事だ。
――全治3週間といったところか。
動けないことはないが、無理に動けば確実に悪化する。
並みの使い手なら、ここで諦めてもおかしくはないだろう。
似たような状況で、数々の相手が折れるのをこの目で見てきた。
小生に傷を負わせ、一矢報いたところで満足してもおかしくはない。
――しかし、彼女は立ち上がる。
ある意味で敵の熱量と実力を信頼している。
一見、成長限界に達したようにも見えるが、違う。
奴は伸びる。ここからがスタート言っても過言ではない。
(若さというのは、末恐ろしいな……)
最大限の敬意をもって、意思能力者の発芽を見届ける。
眼前には一皮剥けた女性が、視線を上げ、しかと口ずさんだ。
「――――【希望の歌】」
全聾の状態でありながら、確かに聞こえた。
人体の法則を無視して、大脳皮質に直接届き得た。
壊すのは惜しいが、立場上、見過ごすわけにはいかない。
「出る杭は打たれる。それでも突き抜けたいなら、可能性を見せてみよ!」
◇◇◇
目の前に立ちはだかるのは、巨大な壁。
人の形に留まっているものの、中身は神話級。
神と闘っているといっても差し支えない実力を持つ。
「…………」
敵うとしたら音だ。演奏だ。歌唱だ。それに纏わる意思能力だ。
能力を平均的に伸ばしたものでなく、一芸に特化したからこそ至った。
――聖意物。
ブラックスワンのデータベースに追加された項目。
参考映像と共に全構成員に共有され、正式採用は目前。
後世に語り継がれる大発明になる可能性が極めて高いもの。
――私は恥も外聞もなく影響を受ける。
良いと思ったクラシック音楽を表現してきた人生。
今更、オリジナリティに固執するほど誇れたものはない。
『第10』は今風のアレンジを加えただけで、私が起源ではない。
歌唱法も交響曲も先人あり気。真の独創性など持ち合わせていない。
――歴史と伝統と世界と舞台があって私がある。
私がいることで他の要素が成り立っているわけじゃない。
生かされている。あらゆるコンテンツに囲まれ、生きている。
自由があるとすれば何を選び取るか。なぜ選びたいと思ったのか。
それこそが人の営みの本質であり、私が私である理由だと思っている。
「聖意物【D.C.】」
最先端の技術の上に私を乗せる。銘を打ち、強度を増す。
青で彩られた音の鎧を纏う私の心は、希望で満ち溢れていた。
「音楽家を極めたことで、意思能力者として新たなステージに至ったか。今までの延長線上ではあるが、画期的な技術を取り入れたことで、使い手としての層が一つ増した。鎧を扱った戦闘は初心者になるが、今までの経験は活きる。試行錯誤の賜物だな。熱量と好奇心が続く限り、成長の頭打ちはしないだろう」
大病院長はこちらを侮ることなく正当に評価を下す。
おべっかを使う必要もないため、本音に近い反応のはず。
むずがゆい気持ちになるものの、やるべきことは変わらない。
「では、早速――」
「……だが、時間切れだ」
しかし、大病院長は指を鳴らし、勝ち誇るように告げた。
何かしらの能力を発動した形跡はなく、むしろ何も感じない。
「音が……消えて……」
聖意物はあくまで戦術兵器。綿密に計画された戦略には敵わない。
希望は容易く打ちのめされ、先が見えない絶望に染まるのを感じる。
「砦の神秘を末端の修道士に任せると思ったか? ここは小生の聖域だ」
絡繰りは、星型要塞に刻まれた配列の神秘。センスの無効。
原因は理解できるものの理屈が分からない。出所が読み取れない。
類まれなセンスを持っているのは理解できるが、今までの彼なら不可能。
――恐らく、何か裏がある。
出力を一時的に増大させたか、割り振っていた出力が戻ったか。
そうでなければ、遠隔操作で砦を自在に操ることなどできやしない。
「今までは全力じゃなかった。リソースを他に割いていた……」
「兵器長というギミックは燃費が悪い。総量の約四割を消耗する品でね」
さも当たり前のように語られた内容に背筋が凍り付く。
肉体系でありながら、芸術系顔負けの自律型兵器を運用した。
その上、話が通じてる。音が聞こえてる。感覚系顔負けの神経経路。
(全知全能……。そう思わざるを得ないほど全ての平均値が高い)
本物の天才は系統に左右されない。噂レベルの伝説が目の前にいる。
否定する材料が少なく、裏で複数人の能力者が関与してるとも思えない。
「教科書はあくまで一般人向け。あなたには適用されないようですね」
もはや、敵味方という関係を通り越して、素直に賞賛してしまう。
型に嵌らないとは正に彼のことだ。意思能力者の普通が悉く通用しない。
「投了するなら受け入れよう。抵抗するなら――」
大病院長は語りつつ、辺りをぐるりと見渡した。
そこに集結したのは、ラウロ脱獄に加担した犯罪者たち。
ラウラ、アルカナ、ルーチオ、小十郎。砦の防衛に耐え得る精鋭。
「全員まとめてかかってこい! 地獄の通行手形をくれてやる!!」
大病院長の怒号が廊下に響き渡り、最終決戦が始まった。




