第43話 幻想交響曲第10番
音に元素があるとすれば、『音名』が真っ先に矢面に上がる。音の高さそのものを示し、周波数を標準化したものに他ならない。先ほど繰り出した『C4』は『音名』にあたり、周波数は261.63。ピアノの鍵盤で例えるなら、ほぼ中央に位置し、低すぎず、高すぎない心地よい音色だと言える。楽器があれば隣り合う音色から相対的に導き出すことが可能ではあるが、人の身体のみで引き出す場合、定められた各々の周波数を肌感覚で理解していなければ表現することはできない。
俗に言う、『絶対音感』と呼ばれる技術である。
幼少期にクラシック音楽を骨の髄まで叩き込まれた私としては、基礎の基礎とも言えるものだった。先天的才能が必要だという意見もあるが、本人の熱量と努力によって大半の人間が習得できる技術だと思っている。それでも先天的才能論争がなくならないのは、音楽を真剣に学ばず生涯を終える人がそれだけ多いことを意味している。特にそれに対して不満はなく、家庭環境や本人の趣味嗜好に左右されるものであり、『人類皆音楽を学べ』と声高に叫ぶほど傲慢な思想は持ち合わせていない。自分の考えや苦労を分かって欲しいというチンケな自尊心を満たすために、他人を巻き込むのは愚の骨頂だ。自分の道は自分で決めるものであり、他人に強要するものでもないし、されるものでもない。親に道を強制された私だからこそ感じることだった。
そんな苦い人生経験の甲斐もあって、クラシック音楽の楽譜は全て暗記し、バイオリンを始めとするオーケストラに必要な楽器は全て覚えられた。歌唱も例外ではなく、世界で十数名しか歌うことができない超高音域の独唱曲も表現可能だった。これみよがしに技術をひけらかすこともできたが、『幻想交響曲第10番』では決められた楽曲に沿い、演奏を無事に終えることで真の力を発揮する。
「~~♪」
交響曲に歌唱はいらない。そんな常識を打ち破ったのは、ベートーヴェンによる『交響曲第9番第4楽章』。それまでの王道だった、弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器のいわゆるオーケストラに加え、合唱が追加されることになった。当時にはなかった革新的なアイデアであり、最後の交響曲にあたる『第9』は聴力が失われた状態で作曲されたというストーリーに聞き覚えがある人は多い。
『耳』は音楽家の生命線であり、持病の難聴に伴い、自害すら考えた中で作曲を進め、最高傑作と名高い『第9』を完成させたのは、音楽の才能があったからという薄っぺらい理由だけでは片付けられないものがある。例えば急に、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなったとして、どれだけの人が自分の才能に固執することができるのだろうか。才能だけでは推し量れない『何か』があって然るべきであり、努力を軽視する者ほど気付けない領域だと私は考えている。
「~~~~♪♪ ~~♪♪♪」
『第10』は『第9』の影響を大いに受けていた。もし、ベートーヴェンが存命で、次の交響曲を作っていたらというのが主題で本楽曲は成り立っている。音楽性もさることながら、真に受け継ぐべきは作家性。どんな苦境に立たされようと、最期まで音楽に命を捧げた彼の人生に敬意を表するために、私は『第10』を考案した。音楽を強要する母は嫌いだったが、音楽家は嫌いになれない。そんな複雑な心理状態を逆手にとって意思能力に落とし込んだ。
「――――」
そんな神聖な領域を乱そうとするのは、不協和音。大病院長が痺れを切らし、襲い来る。基礎的な体術を中心として、肉体系と思わしき才能を遺憾なく発揮する。食らえばひとたまりもないのは確か。先ほどの攻防で、世界の理が彼に通じないのは証明された。……ただ、いかな実力者であろうとも固有の周波数を放っており、私にはそれが分かる。『絶対音感』の延長線上に、今の私は立っていた。
「~~~~~♪♪♪」
『絶対音視感』。周波数を耳で聞き分けられるのが『絶対音感』なら、これは周波数を目で見分けられることを意味する。音楽性のない行動に攻撃力を付与できるとしても、それは彼だけの理屈。独奏世界を展開する私の理屈は揺るがない。相手の『攻撃』を『音』と認識できるなら、答えは見るまでもなく明らかだった。
「――――っっっ!?」
『第10』の主旋律は歌唱。声だけでオーケストラを表現し、歌うパートと演奏パートで声色を変える。サビに相当する箇所では、歌唱と演奏が複雑に入り混じり、既存の歌唱法には存在し得ない領域に到達する。これ以上、説明するのは困難であり、実体験として感じてもらうしかない。演奏を阻もうとした不協和音がどうなるか、その身をもって見届けてもらう他ない。
「――――――くっっ!!!」
長いようで短い戦闘を経て、初めて大病院長は顔を歪めた。攻撃を中断し、距離を取らせるほどの衝撃を与えた。私の音色は凶器に変わり、彼の強固なセンスを貫き、損害を与えた。ポタリと両耳の穴から零れ落ちるのは赤い雫。
――彼に音楽を聴く資格はない。
ベートーヴェンから受け継がれた音楽の歴史を踏みにじられる謂れはない。これは、攻撃ではなく呪いだ。音楽を軽んじた罰だ。彼は今後一生、音が聞こえないどころか、この美しい音色を聞き届けることはできない。
「――――♪♪♪ ~~~♪♪♪♪ ~~♪♪」
演奏は何事もないように続く。独奏的な歌唱が響き渡る。交響曲の平均的な演奏時間は30分から60分程度だと記憶している。映画や娯楽作品と同じく、旋律に『物語性』や『起承転結』を付与するために時間が延びざるを得なかったと思われる。……ただ、現代的なアプローチで作曲する場合、必ずしも正解とは限らない。長ければ深みは増すが、最後まで聴いてもらえなければ物語として伝わらない。『未完の不作』と断定され、一生見向きもされない恐れもある。
――だから私は凝縮する。
昔の時代感覚のままだと新しいものは生まれない。今を真剣に生きるからこそ、革新的なものが生まれると信じている。過去を踏襲し、今風にアレンジすることこそが、私が音楽家として生まれた意味だと理解している。
「…………」
3分という短い演奏は終わりを迎える。全聾となった一人の観客に届けるという皮肉をもってして、『幻想交響曲第10番』は完成する。恐らく、これ以上のものは作れない。相手が誰であっても、どんな状況であっても、今回を超えることはない。音楽家としての頂上に到達したと、肌感覚で分かった。
残すは――。
「耳障りな音色だ」
大病院長は右手をかざし、黒い意思を飛ばす。
守るべき独奏世界が崩壊し、現実に引き戻されていく。
「…………」
石造りの壁に背中から激突し、格の違いを見せつけられる。
「――っっ。ご無事か!!」
駆け寄ってくるのは、世界の外にいた女修道騎士。
言わないと伝わらない。終止符を打たないといけない。
幕が下りなければ、新たに『何か』を始めることはできない。
音楽家として頂上に達したといっても、意思能力者としては話が別。
「――――【希望の歌】」
銘を刻み、次代に繋ぐ。私はここにいる。まだ生きている。




