第34話 光と影
意思能力『見えざる太陽』
太陽光が差し込む環境下にソラルが身を置くことで発動可能。自身、衣服、装備を含めた身の回りのものを赤外線化し、人の目やセンスでは不可視かつ物理的に接触不能の状態にする。攻撃時のみ実体化し、視認及び接触が可能となる。意図的なコントロールは身体の一部位、または一つのアイテムまで。現在のソラルの熟練度では完全なコントロールに至らず、無意識状態でのみ真のポテンシャルを引き出せる。
本状態での敵味方の判別は当人の直感で行われており、敵と判別した者を無差別的に打倒する。敵までの移動間速度は光速級。攻撃時の動作はソラルの身体能力と反射神経とセンスに依存。移動範囲は太陽光が届く視認空間にのみ限定される。最も目につく利点は、察知困難な不可視状態になれることにあるが、それが『見えざる太陽』において最も強力な技であるとは限らない。
「………………」
場の流れと空気の変化を敏感に察知し、ソラルは移動を開始する。身体と衣服と装備は赤外線化され、急速に標的へと迫る。彼の思考回路は極めて効率化されており、敵と認識した相手に情けや容赦といった道徳的観念を持ち合わせてはおらず、対象者の中でも『最も弱い者』から狙われることになった。
『ニャア!!』
携帯電話越しに響く声は届かない。
猫が発した言葉では意味が伝わり切らない。
「………………え?」
疑問符を浮かべる少女の左脇腹にはメイスが食い込む。
力任せに振るわれ、回避も防御も間に合うことはなかった。
「リリちゃん!!!!」
真っ先に気付いた少年は、飛翔する少女を身体で受け止める。
壁に叩きつけられることはなく、両足で踏ん張りをきかせて停止。
そこは砦と中庭の境目。建物の構造上、日陰となる場所に二人はいた。
「「…………」」
肌と肌が触れ合う密接な距離で、満ちるのは沈黙。
片方が冷たく、片方が熱くなっていくのが互いに伝わる。
『見えざる太陽』の範囲外であり、今のソラルは干渉できない。
メイスの矛先は執事風の老人に向けられ、時間は刻々と過ぎ去った。
「あのさ……リリね。やりたいこといーっぱいあったんだ」
「うん」
「歌を歌いたいし、ダンスもしたいし、おしゃれしたいし、可愛い服も集めたい」
「うん」
「別に人気者にならなくてもいいんだ。リリはリリで在りたい。ここにいるんだって自分を表現したい。ただ、それだけ。……でも、何をするにもお金が必要だったでしょ。だから、手っ取り早くお金を稼げそうなマフィアになりたいって思ったんだ。ほんと、馬鹿だよね。もっと楽に稼げる方法はいくらでもあったのに」
「……うん」
「だけど別に、マフィアになったことを後悔してるわけじゃないよ。ボスに会えたし、ルーくんにも会えたし、三人でストリートキングにも出れたし、二人でマルタ騎士団にも入れた。……今思えば、マフィアっぽいことなーんもしてないな。ま、人脈なんて皆無だし、資金もなかったし、実力も中途半端だったし、ボスは計画を詳しく話してくれないし、これから……だったのかもね」
「…………」
「あれ? ルーくん聞いてる? 返事してよー。寂しーよー」
「……やり残したことはある? 俺が代わりに一つだけ叶えるよ」
「一つか……悩むなぁ……。何がいいかなぁ……」
流れる血は止まらない。開いた傷は簡単に塞がらない。
人体の構造と世界の法則には逆らえない。抗う力を持たない。
それでも二人の物語は紡がれる。一人の少女にピリオドが打たれる。
「あいつ、倒してよ。リリの……代わりに……」
リリアナ・ディアボロは、中庭に人差し指を向ける。
陽炎の如く現れては消えるを繰り返す、メイスを持つ男性。
彼女にその先を見届ける術はなく、願いは一人の少年に託された。
「…………」
ルーチオ・クアトロは黙して立ち上がる。
リリアナを壁にもたれかけさせ、視線を向ける。
そこに映ったのは、意識を失った老人と空振るメイス。
次なる標的は、電話ボックスから解放された猫に移行される。
――日陰から出なければ戦わなくてもいい。
能力の詳細を知らないルーチオも肌感覚で理解していた。
自分の身に余る、格上の強敵であることも頭で分かっていた。
勝てる保証などなく、日陰にいた方が楽なのは重々承知していた。
――逃げて罪を自白すれば許されるかもしれない。
自己保身が肥大化し、最悪の想像が頭の片隅に浮かぶ。
向き合うべき現実から目を背けたいという欲望に駆られる。
実際、可能ではあった。騎士団の教義上、許される確率も高い。
後ろ向きに、ネガティブに、悪い方向に、思考が歪んで、心が濁る。
――いっそ、後を追ってもいい。
精神状態は底の底に落ち、絶望と感傷に浸る。
居心地が良かった。日陰にいる時間の方が長かった。
簡単に人は変われない。人の本質を変えることはできない。
――それでも約束した。
――自分から言葉にした。
――願いを叶えると誓った。
「…………………………」
自らを奮い立たせる言葉を支えに、少年は一歩を踏み出す。
居心地のいい場所を去り、厳しい現実に直面する覚悟を決める。
「――――」
無意識のソラルは反応した。
『見えざる太陽』の領域内に入った。
青い猫を放置し、少年に標的を切り替えた。
息をつく暇もなく、ルーチオの正面へ光速で移動。
「――――――」
実体化を伴い、最適化された動作でソラルはメイスを振るう。
ルーチオは回避も防御もしなかった。ある一点に的を絞っていた。
予測はできた。軌道は限られていた。日陰は味方になると知っていた。
「……残影双像掌!!!!」
捨て身の覚悟で両手にセンスを集め、放ったのは両掌撃。
振るわれるメイスよりも速く、吸い込まれるように胴を捕捉。
「…………」
しかし、ソラルは怯まない。怯むほどの感受性はない。
人の死に心が痛むこともなければ、自分の痛みにも疎かった。
黙々とメイスを振るい、敵が消えるまで止まらない殺戮機械と化す。
――この攻防でも例外ではなかった。
乾坤一擲の一撃に対しても動じず、メイスはルーチオに迫る。
手心が加えられることもなく、鋭利な鈍器は少年の頭部に触れた。
「日陰者で何が悪い」
日差しを睨みつけるようにして、ルーチオは独り語る。
殴られている最中と思えないぐらい、自然に淡々と告げた。
感情が込められることもなく、死を悟ったようにも見える所作。
――だから、能力は発動した。
「…………っっっ」
ソラルを包み込むのは黒。大陽光を100%吸収する究極の影。
可視光線の99%を吸収する物質――ベンタブラックすらも上回る。
現実に存在する事象では推し量ることはできず、超常現象に該当する。
強いて近い事例を挙げるなら――。
「暗黒物質の中で知れ。己の無力さに」




