第31話 ルミナ・グレーゼ
私……ルミナ・グレーゼは以前、『鉄仮面』と呼ばれていた過去がある。アルカトラズ刑務所で看守をやっていた際、囚人につけられた仇名というやつだ。普段から鎧兜を装着していて、表情が物理的に見えなかったからではない。顔を晒した上で囚人に無表情で接する様を見て、そう呼ばれていたらしい。看守としての職務の一環だったわけだが、感情が表に出ないことが囚人のお気に召さなかったようだ。裏を返せば、笑顔や愛嬌を振りまいていれば好かれていたのだろうが、そこにエネルギーを浪費することを私は心の底から毛嫌いしていた。
目を向けるべきは、囚人の更生。
飴と鞭という言葉もあるが、囚人への過度な干渉や個人的な感情を向けるのは、相手のためにならないと思っている。もちろんそれは、私だけに適用されるべき理論であり、看守全体に共有し、強制しようと思えるほどのものではない。囚人を縛り付けるのは法と規則で十分であり、個人の好き嫌いを職場に持ち込むのはエゴが過ぎる。こうあるべきだと思うのは勝手だが、それを押し付けることは精神的な凌辱に近い。自分にとっては正しくとも、相手にとっては正しくないケースが往々に存在する。上下関係ができやすく、立場を利用して一方的な意見が通りやすい職場であったからこそ、個人と看守の線引きは厳格に定めていたつもりだ。
ただ……過去に一度だけ囚人に心を許してしまったことがある。
昔、担当していた房にはラウラ・ルチアーノという死刑囚がいた。素行が悪く、囚人同士の間での喧嘩騒ぎでは真っ先に名が上がる人物だった。個人的にも印象は最悪で、彼女が収容される二人部屋の房には誰も入りたがらなかったのを覚えている。そこに適応した者は、心を病んだ者か、頭のネジが外れた者しかいなかった。なんにせよ、手を焼く囚人だったわけだが、ある事件を境に印象は一変した。
アルカトラズ刑務所占拠騒動だ。
名簿に名前のない男性囚人が首謀者となり、男性用の別棟を掌握。次に女性用の本棟に侵入し、彼らに都合のいい楽園を築き上げようとしていた。職員の大半が独房に幽閉され、反旗を翻そうとする女囚人もいない中、協力する姿勢を見せたのがラウラ・ルチアーノだった。私は彼女と手を組み、結果として首謀者は死亡。世間に明るみに出ることなく、刑務所の平穏は取り戻された。本来であれば、彼女の死刑を撤回させられるほどの功績なわけだが、それを公にはできなかった。組織の面子というものが存在し、執行日を遅らせるのが手一杯で、ラウラの死刑は着実に迫っていた。
そこで私は手を加えた。
当時の米国大統領レオナルド・アンダーソンが、情状酌量の余地のある囚人の恩赦を計画していると聞きつけた。上層部が候補者リストを作成し、その中から大統領が選出するという手順だったわけだが、私はそれを改竄した。ラウラ・ルチアーノの名前をリストに加え、運よく大統領は彼女を選出し、結果として死刑を免れることになった。私としては願ったり叶ったりな都合のいい展開だったわけだが、何もかもが上手くいったわけではない。
上層部にリストの改竄がバレ、私は懲戒処分となった。
その後、色々あってマルタ騎士団に拾われ、『修道誓願』までして第一級騎士に相当する実力と肩書きを手に入れ、なんの因果か聖エルモ砦に配属されることになった。以前と同じ看守長といっても遜色ない立場となり、なんの皮肉か今度もまた囚人が起因となった騒動に巻き込まれることになった。
果たして彼女は、善か悪か……。
「…………」
レイピアを構え直し、強敵と認めざるを得ない相手を見る。黒服、赤縁眼鏡、金髪、盛り髪、女性。気にすべきは記号的な要素ではなく、本質的な部分。身体能力や意思能力は、今の攻防で重々承知。知りたいのは、収監されるリスクを抱えた上で聖エルモ砦を奇襲したいと思った理由。直属の上長にあたる大病院長がいる手前、手心を加えるわけにはいかないが、場合によっては――。
「小生が先手を取る。それに合わせ給え」
下された命令は、彼に合わせること。『修道誓願』をした私にとっては絶対服従に近いものになる。破れば相応の罰が下されるわけだが、命令の範疇であれば好き勝手動けることになる。そこまでする価値があるかは彼女次第。少なくとも、この攻防で見極める必要がある。
「――――承知」
思惑を胸の内にしまい、私は先行する大病院長に合わせる。彼女と私が奏でた音色……『狂詩曲――閃光のカデンツァ』の詳細は不明ではあったが、身体能力及び反射神経の精度を向上させるものであるのは明らか。二対一で攻め立てたとしても、効力が切れない限りは拮抗すると思われる。
「「「――――――――」」」
その期待通り、彼女は私たちの攻撃を耐え凌いだ。次々と飛来する拳とレイピアを完璧に捌き切り、どちらにとっても決定打になることはなく、五分とも言える攻防が続いた。戦闘内容についてはすでに関心がなく、特筆すべきことはない。気苦労があったとすれば、大病院長の目を盗んで、彼女に対話を試みたこと。
「……強襲の理由は?」
私は彼女に耳打ちするような形で問いかける。ハッとしたような表情を一瞬作ったものの、すぐに真顔に戻り、戦闘を続行。正体や出自、類まれな実力を備える理由は一切分からないものの、ある種のプロフェッショナルを感じた。言葉が伝わったのであれば、何かしらのアクションを起こすと思っていいだろう。
「――――」
そこで彼女は大きく距離を取り、小休止を挟む。能力発動を警戒したのか、大病院長も追撃を止め、様子を伺う。それに付随して、私も手を止める大義名分を得たことになり、彼女の反応を待つことになった。
「不躾ながら、私に構ってる暇はあるのですか? こうしている間にも囚人は回収され、二度目の正直が達成されつつありますよ」
自然な流れで彼女は情報を開示する。先日、騒動があったことは聞き及んでいるものの、休日だったため詳しくは聞かされていない。……ただどうやら、前回の雪辱を晴らしにきたらしい。囚人脱走を企てたが失敗に終わり、今度こそと息巻いて再び現れたのが強襲の理由。誰をターゲットにしているか、誰がメンバーになっているかは不明だったが、おおよその状況を把握することができた。問題は……。
「こう見えて、部下を信用している性質でね。ラウロ・ルチアーノが捕らえられる独居房の当直は修道士ソラル。第三級騎士に分類されているとは言えど、彼一人に任せたのには理由がある」
大病院長が突き破られた壁越しに見たのは、砦の中庭。そこには、地面に横たわり、気絶しているソラルの姿が見えている。ただ、それらは全て記号的な要素。視覚的な情報が、必ずしも彼の敗北に結びつくとは限らない。
「強がりを……」
「昨日は大雨。本日は晴天なり」
多くは語らず、端的な部分だけを告げる。
凡庸な相手であれば、聞き返していただろう。
「まさか…………」
しかし、彼女は鼻白む。状況を理解する。事態を把握する。
大病院長がいる手前、こればっかりは私も深く関与できない要素。
「――――――――」
時すでに遅し。気絶したソラルは立ち上がり、復活。
非凡なる赤いセンスを放ち、予測不能の領域に突入した。




