第3話 原因と結果
『10年前に壊滅したマフィア組織。ルチアーノファミリーの再興。そのためには、多額の資金が必要です。ストリートキングに優勝すれば副賞で1000万ユーロが手に入るので、ボクの夢は十分、実現可能になりますです、はい』
頭の中で再生されるのは、数か月前に交わされたジルダとの会話。実際にルチアーノファミリーが壊滅したのは、8年前の出来事。当時は約10年前だと判断して、納得したような気もする。……ただ、ジルダが言っている日付が史実通りだとしたら、『空白の2年間』が存在することになる。未来からきた影響でジルダの時間認識がズレているからか、それとも……僕の時間感覚が狂っているか。
ストリートキング、王位継承戦、ドイツ訪問、教皇就任。ここまで色々あったわけだが、ごっそり記憶が抜け落ちている箇所がある。ドイツ訪問後から、教皇就任までだ。その期間は、教皇代理イザベラの魂が僕の身体を乗っ取り、教皇になるまでのお膳立てをして、内側に引っ込んでいった。
――その間に何かされた可能性がある。
長い間、船に揺られていたような気もするが、分からねぇ。問いかけることは可能なんだろうが、素直に答えるとは思えねぇ。自分で答えを見つけるしかねぇんだろうが、そもそもとして……僕が生きている保証なんてねぇ。
(ジルダに確認を取れれば一発なんだが、人生そう甘くはねぇわな)
消えゆく泡沫を見つめ、夢か現実か分からない時間を過ごす。
それからどれぐらい経ったのか。僕の身体は再び活動を再開した。
「……ごほっっ、ごほっっっ」
体内に溜まった海水を吐き出し、リアルな生を実感する。目は霞んで、まだどこにいるか分からねぇが、酸素はある場所みてぇだな。誰かに救助されたのか、運よくどこかに流れ着いたのか……。なんにせよ、どうにか助かったらしい。ゴシゴシと目をこすって、辺りを確認する。真っ先に目に入ったのは――。
「ご機嫌いかが、です?」
小首を傾げている、黒のウェットスーツを着た美少年。
長い灰色の髪が特徴的で、前髪はべったりと海水で湿っている。
「お、前……」
どこにいるかよりも、誰と話したかに焦点が絞られ、再び目の前が霞んでいく。久しく感じることのなかった、人間的な感情ってやつだ。切っても切り離せない『神格化』の呪縛から解き放たれていくのを感じる。奇跡か、はたまた、必然か。考えることは山ほどあったが、身体は勝手に動き出していた。
「ふぎゅ……っ」
いたいけな少女のような声を出し、ジルダは愛情を受け止める。
「無事で、良かった……」
聞きたかったことなんて忘れ、今は何も考えず、抱いてやりたかった。
◇◇◇
「教皇が船から落下し、海底にある都市から帰ってこない?」
「はい、カルド枢機卿。私がついていながら不甲斐ないばかりです」
大荒れの帆船の上で、ずぶ濡れの修道女イブは上司に報告を済ませる。お相手は枢機卿カルド。白教において、教皇の次に偉い役職。マルタ騎士団との会合をラウラ教皇が果たせないのなら、その役目は彼に移行される。
「……生存は確認されているのですね?」
赤いビレッタ帽を被り直し、鋭い目線でカルドは問う。病的に痩せこけた顔も相まって、異様な圧と凄味を醸し出していた。事と次第によっては、関連した所属不明の団体へ戦争を起こす可能性すら秘めている。
「私の専門分野は『魂』。非物質エネルギーの把握に長けています。物理的に海底都市を確認できたわけではありませんが、精神的には把握済み。都市の人口も、教皇が生存状態で匿われていることも手に取るように分かります。……ただ、いつ帰ってくるかに関しては、皆目見当もつきませんね」
空気を読み、一切ふざけることなく真面目に会話に応じる。言っちゃあなんだけど、枢機卿は相当ピリピリしてる。八つ当たりされるのは御免だし、必要以上に罰を与えられるのも勘弁願いたい。……今は聞かれたことだけ答える。修道女として長い下積み期間を経て至った、ある種の生存戦略だった。
「委細承知しました。あなたの発言を信じ、今回はお咎めなしとしましょう」
「………………やった」
ないに等しい罰則を前に、思わず右手を握り込んだ。
声は抑えたつもりだったけど、ムッとした表情が目に入った。
「ただし、次はありません。今のと同等以上の失態があれば、白教からの永久追放を命じます。肝に銘じておくように」
目に余る態度に下されたのは、一度目の警告。
二度目はアウトという、納得のいくルールの提示。
これで教皇転落に関する状況報告は終了。残るは……。
「事態を重く受け止め、行動を改善するよう心掛けます。……それより、この後はどうされるのですか?」
「予定通り首都バレッタへ向かい、マルタ騎士団との会合を始めます。教皇不在の理由はこちらで用意するので、決して口外しないよう心掛けてください。……ですが、もし、海底都市側が計画的に教皇を誘拐し、マルタ騎士団との密接な繋がりが明らかになれば、その時は――」
激しく揺れる船の中、カルドは雲行きの怪しい言葉をこぼす。それ以上は語られることもなく、帆航はマルタ共和国の首都バレッタを目指し、荒波の中を進み続ける。教皇ラウラを海底都市に置き去りにしたまま。




