第29話 悪魔の流儀
私が好んで着ていたタキシードは夜の準礼装。燕尾服は夜の正礼装となっているが、どちらも昼間に着るのは好ましいとは言えない。中世ヨーロッパの王侯貴族から脈々と受け継がれた慣習や常識から外れ、特別な事情や立場でない限り、白い目で見られることになる。最近でこそ、タキシードを昼間でも着用してもいい風潮ができてきたが、依然として冠婚葬祭や催し事ではスーツが最も無難と言える。昼夜を問わず着ることができ、デザインもシンプルで動きやすく、ビジネスの標準服として定着した。量産化された無個性な人間が大量発生するように思えるが、色や柄やピンなどのワンポイントを工夫するだけで個性を出すこともできる。大衆化されたマナーの権化であり、その一方で礼装としての格は最も低いとされる。
「…………」
今日、私は珍しく、黒のスーツを着用していた。ネクタイは黒でシャツは白。昼夜を問わずにマナーを気軽に纏える装いであると同時に、平均化された無個性なファッションとも言える。型破りや常識外れといったものからは無縁の存在だった。死後、白教でなくなった今となっては、白のイメージカラーに縛られる必要もない。
相手の印象に残るとすれば、黒い肌ぐらいか。アフリカ系アメリカ人の典型的な特徴……いわゆる黒人に分類される。昨今では差別的な印象を避けるため、アフリカ系アメリカ人を一般化しようという流れができているが、根本的な解決にはならない。黒人=奴隷というイメージは今でも色濃く残り、表現方法を変えようとも、迫害や差別に繋がる悪い慣習を完全に断ち切ることはできていない。
悪魔になった今、白教のように関係ないと割り切ることもできるわけだが、レオナルド・アンダーソンという個は生きている。パーソナルな部分は何から何まで変わらず、私を突き動かす行動原理は今も昔も同じだった。
「人道支援協議会振りですね、大病院長。お変わりありませんか?」
「形だけの挨拶は結構。それより仕事を全うされてはどうだ? 第一級悪魔」
互いに肩書きを呼び合い、身に纏うのは黒のセンス。
奇しくも同じ色で、同程度の顕在センス量を放っている。
色味は一部を除いて、深い意味はないものの、傾向は分かる。
――黒は呪術適性が高い。
負の感情との相性が良いと言った方がいいか。
系統不問で最もセンスに爆発力がある色と言える。
欠点として感情の波でムラが出るが、それもまた味だ。
その時々でパフォーマンスが変わる『情景』を感じられる。
ストーリー性の有無と強弱によって、センスは大きく増減する。
センスの色と量が同じだと仮定するのなら、勝敗を分けるのは……。
「では、お言葉に甘えて」
黒のセンスを脚力に変え、私は室内を跳び回った。
的を絞らせず、主人を気にかけながら、移動を繰り返した。
「…………」
大病院長は静観を貫き、出方を伺っている。
両の拳を握り込み、こちらの初撃を待ち構えていた。
(後ろから……失礼――)
移動に見切りをつけ、私は後方から懐に踏み込む。
奇策やフェイントを交えることなく、右拳を振るった。
「「――――」」
結果は相殺。同色同威力の拳によって相打ちの状態。
それで終わるわけがなく、次々と繰り出されるのは体術。
正拳、足刀、指突、肘鉄、膝蹴、掌底、踵落とし、回転蹴り。
打撃を中心とした基礎的動きで攻め立てるも、決定打にならない。
それ自体は想定通りで、問題はどうやって起点を作ることが出来るか。
鬼気迫る攻防の果て、糸を縫うようにセンスを絶ち、私は右拳を振るった。
「――――――刹光」
敵の拳と正面から衝突したと同時に点火。
火花のようなエフェクトが生じ、センスは増強。
リスクを負ったおかげで攻防力はやや上回り、そして。
「…………ッッッ」
体勢が崩れる。ほんのわずかに隙が生じる。
殴り飛ばし、壁に叩きつけて勝利とはいかない。
元々、刹光は不得意だ。ほんの些細な味変と言える。
本命は――。
「不義礼装」
私は人差し指を向け、対象を指定し、意思能力を発動。
世間の慣習や常識にそぐわないものであれば、罰則が生じる。
指定したのは、焼け焦げた赤のマント。ドレスコードには満たない。
『『――――』』
私の意思に応じ、現れたのは二名の屈強な黒スーツの同胞。
左右からガシリと大病院長の両腕を拘束し、身動きを封じている。
「止めたところでどうする」
「私はあくまで脇役。主役は――」
彼の問いかけに対し、入れ替わるように私は後退。
代わりに現れたのは、意思充填済みの両手杖を向ける主人。
「僕だ!! こいつで決めてやる!!!」
魔術師にあるまじき、至近距離……いや、零距離まで敵と接近。
両手杖の杖先を大病院長の腹部に当て、勢い余るままに言い放った。
「――――天網恢恢!!!!」
密着状態で放たれるのは、青の超特大球弾。
短文詠唱を用い、威力を向上させ、閃光が迸る。
「……………ッッッッッ!!!!」
直撃を受けた大病院長は顔を歪め、背中から石造りの壁に激突。
次々と壁を突き破り、生死は不明のまま舞台移動を余儀なくされた。
それを見届けるまでもなく、主人に近付き、契約の満了をお知らせする。
「私の役目はこれまで。視力0.1から0.01に下方修正し、失った分を貰い受けます。コンタクト及び眼鏡の新調をおすすめしますよ」
「ご苦労様。その程度で済むなら安いもんだよ」
ぱちくりと目を瞬きし、アルカナは契約内容に同意。
役目を終えた私の足元には禍々しい門が現れ、開かれる。
「では、また……」
ここから先は彼の両目を通してしか、見ることはできなかった。




