第19話 外交開始
水中都市ラグーザのいざこざは一時的に収束した。意思能力『切り取り&貼り付け』によって体内に貯蔵された。成功するかしないかは半々ってところだったが、上手くいっちまった。記憶のない期間で増大したセンスなら、都市を丸ごと飲み込める程度の出力があるらしい。これで浸水による被害は防げたんだろうが、何もかも順風満帆ってわけでもない。
「っててて……。ここは、どこだ……?」
目を見開いた先は、薄暗い画廊のような場所。高そうな絵画が壁面に飾られ、背後には荘厳な門が描かれた巨大壁画が見えた。状況から考えれば、海底に通じていたゲートと連動してるとみるのが妥当だろうな。辺りは停電してるのか、閉館時間なのかは分からねぇが、美術館じみた場所で、時間帯は夜頃なのは理解できた。
「聖マルタ大聖堂。地理的にはマルタ共和国の首都バレッタだな。言うまでもないとは思うが、ここは関係者以外立ち入り禁止の画廊。交通の便もいいし、流通する物資も豊富。秘密の水中都市を支える拠点としてはお誂え向きだろ?」
隣に立つジャコモはポケットに手を入れ、語る。目に見えた面々は他におらず、水中都市の門番やジルダは、僕の意思能力の中に内包されている。データが圧縮されてる感じなんだろうが、恐らくこれ以上の『切り取り』は不可能だろう。いくら出力が増大したとは言っても、容量限界が存在する。無理すれば最悪、保存された情報が上書きされるか消去される危険性があった。万が一、戦闘になった場合は、能力の一部は使えない前提で上手く切り盛りした方がいいだろうな。
「別に文句はねぇよ。むしろ、好都合だ。元々の目的地だったからな。……それよりも、こんな手薄な警備で大丈夫か? 人っ子一人いねぇ。物理的に侵入困難で身内のみの水中都市なら分かるが、ここは有名な観光地。パンピーに紛れた武装集団が制圧に来られたらひとたまりもないんじゃねぇか? まぁ、都市が丸ごとなくなった今となっては、心配ねぇんだろうが……」
「出るのは簡単だが、許可なく入れない。条件付きの結界ってやつだ。そっちの方がコストもかからないし、余った人員も別のところに割ける。経済的で合理的だろ。その他諸々の手続きも画廊を出た後で済ませるってわけだ」
「じゃあ、奴隷ってのは?」
「それは……出るための方便だが、どこまで話すべきか」
僕たちは長い廊下を歩きながら出口を目指しつつ、やり取りを重ねる。どうも、『奴隷』というワードは地雷らしい。複雑な事情があるのは確実だし、反応から考えりゃあ実在するんだろう。世界の紛争や殺人事件を見て、片っ端から介入したいと思えるほど自分の実力を過大評価してないが、場合によっては……。
「言えよ。聞かなかったことにできるほど、僕は大人じゃねぇ」
ピタリと足を止め、聞く態勢に入る。並んで歩いていたジャコモも止まり、ポケットから手を出し、面倒くさそうに頭をかきながらも顔を合わせ、覚悟を決める。「いいか、心して聞け」と前置きを挟み、奴は歴史の闇に触れた。
「ここには30万人の奴隷がいる。……前もって忠告しておくが、半端な正義感を出して、首を突っ込んでくれるなよ。マルタ騎士団が黙っちゃいない上に、解放できたとしても居場所がない。30万人の生活を保障できる空間と資源と食糧、それに伴う責任を背負う覚悟があるなら話は別だがな」
「待て……。30万人だと? 桁が一つ多いんじゃねぇか?」
「そう思うのも無理はない。数字だけ見れば、どこに隠しておけるんだって話でもあるからな。……だが、残念ながら事実。一見、奴隷とは思えない都合のいい仕組みが存在する。包み隠さず言うなら……『人間の猫化』だ」
疑問を先読みしたジャコモは、奴隷制度が成立する表面的な理由を告げる。ペットは家族という認識もあるが、ある種の奴隷みたいなもんだ。放し飼いOKなら目立たたない上に、場所も取らないし、餌も安価。仮に殺処分したとしても、人間と比べたら問題になりにくいし、あらゆる面で管理する側の都合がいい。
「責任者はどこのどいつだ?」
「マルタ騎士団所属の大財務長。詳細は不明だが、恐らく意思能力が深く関わっているのは間違いない」
「今、どこにいる……」
「それなら、もうすぐ――」
ジャコモが視線を飛ばした先には両開きの大扉があり、開かれる。そこに見えたのは短い金髪で長耳の太った男性。見るからに私腹を肥やし、性根が腐ってそうな人相で、右肩には黒猫を乗せ、こちらに向かってくる。僕の顔を一瞥するやいなや、ニヤリとした笑みを浮かべ、反応を待たずに語り出す。
「おやおや、病欠と伺っておりましたが、こんなに早くお会いできるとは思いもよりませんでした。お加減はいかがですか……ラウラ教皇」
野太い声を響かせ、大財務長は礼儀正しい態度で接する。
僕は迷うことなく奴のもとに駆け寄り、気前よく挨拶を交わす。
「くたばれ、ゲス野郎!!!!」
相手の頬に振るうのは、渾身の右拳。
ルチアーノ流の宣戦布告ってやつだった。