第16話 渦巻く陰謀
雨の中、市街を歩くのは、黒いローブ服を着る悪魔。
フードを深く被り、その隙間からは緋色の髪を覗かせる。
背には黒羽根、頭部には黒角、臀部からは黒の尻尾を生やす。
衣服は悪魔的特徴に合う加工をされており、装飾の一部に見えた。
――ジュリア・ヴァレンタイン。
感情を表に出さず、悪魔派閥の中でも最も寡黙。
秘めた目的を明かすことはなく、思考に没頭していた。
「…………」
白教、悪魔、ブラックスワン。
派遣団には三つの勢力が集まっている。
奇跡と言うべきか、世界の新秩序と言うべきか。
今回の旅路で各々が持つ目的は、同じようで違っていた。
・白教=世界最大の宗教団体。目的『他団体との連携強化』。
・悪魔=地獄(悪魔界)からの使者。目的『人間界への進出』。
・ブラックスワン=米国の国土安全保障省。目的『悪魔の監視』。
今までのやり取りを整理し、まとめるなら恐らくこんな感じ。
あくまで組織としての行動方針で、そこに個人の思惑が乗っかる。
(――危ういバランス。――あの時みたいに崩れないといいけど……)
三つ巴の勢力図が危うい均衡で成り立っているのは初めてじゃなく、思い出すのは10年前に起きた『シビュラ・ウォー』と呼ばれる事件。当時は、白教とマフィアとブラックスワンが対立し、戦争状態に陥り、結果的に私は死んだ。後に悪魔として生まれ変わったわけだけど、類似した状況に嫌な予感を覚える。『シビュラの書』が戦争の舞台装置になった時と同じように、それと同等の『何か』を奪い合う展開になれば、三つ巴は崩壊する気がした。
「8年前みたいにならないといいね」
そこで声をかけてきたのは、緋色の髪の女性ソフィア・ヴァレンタイン。長い後ろ髪を赤いシュシュで結び、前髪を横に流し、左目を隠す。組織ブラックスワンに属し、黒のエージェントスーツを着て、身長は平均より高め。顔と髪色と体格は私と瓜二つで、続柄は姉。その他にも複雑な事情があるけど、思い出したくない。
それより気になったのは――。
「――それを言うなら10年前」
「いや、正確には8年前のはずだよ。私の認識と記憶が狂ってなければ」
訂正しようとするも、ソフィアは自身の意見を貫いた。
やや自信なさげに見えるものの、根拠があるように聞こえる。
「――ソースは?」
「正常の魔眼。今は使えないけどね」
質問に対し、ソフィアが見せたのは、輝きを失った左目。
彼女が『異常』と判定したものを、『正常』に戻す能力がある。
嘘をついてないなら、間違った認識を持っているのはこちらになる。
「――最後に使ったのは?」
「約一週間前の王位継承戦。知っての通りだと思うけど、効果範囲は約20メートル。ゴタついた時に使ったから、巻き込まれた人が証人になるかな」
話を掘り下げると、ソフィアは隣に視線を送る。そこには、左肩には銀色の梟を乗せ、黒のエージェントースーツを着た蒼髪の男性ダヴィデ・アンダーソン。ブラックスワンに所属し、言葉尻から察するに、彼も王位継承戦に参加したことになる。
「いや……待て。俺は10年前だと記憶してるぞ。数日前のトルクメニスタンの時にも『シビュラ・ウォー』のことを口にしただろ。アレは約10年前というニュアンスじゃなく、きっかり今から10年前の7月15日に起きた事件のはずだ」
「あれ? おかしいな……。なんでだろ」
しかし、生まれるのは記憶の齟齬。人間の記憶は当てにならないとは言うけど、あれだけの事件の認識がここまでズレるのは何かしらの関与があるように思える。
「――最後に正常の魔眼を使った後。――何か大きな外的要因はあった?」
遡るのは、一週間前から数日前の間に起きた出来事。
予想が正しければ、認識がズレる原因になった何かがある。
「「………………あ」」
しばしの沈黙の後、ソフィアとダヴィデは口を揃える。
何か見当がついたように見えるも、こっちは見当もつかない。
さらに掘り下げようかと思ったけど、二人は続けざまに語り出した。
「「聖遺物『カマッソソ』の記憶干渉能力」」
ハッとした表情を作り、矢面に上がるのは白教秘蔵のコレクション。
すると、視線の先にはバタバタと黒い羽根を羽ばたかせる蝙蝠の姿。
『…………』
現在の飼い主である枢機卿の肩に止まると、こちらに視線をよこす。
記憶をいじったと思われる主犯であり、『カマッソソ』そのものだった。
――場合によっては舞台装置になり得る存在。
記憶を自由に改竄することが可能なら、敵味方が反転する。
些細な行き違いで、時限式の爆弾のように因縁を操るのも可能。
「――洗脳を解く方法は?」
「えーっと……それは確か……」
「アレの体に直接手で触れることだ」
示されたのは、記憶の齟齬の直接的な解決方法。
思いもよらない因縁と対立を阻止するための唯一の手段。
「――だったら答え合わせをしよう。――この旅路のどこかで」
◇◇◇
「…………」
ジュリアがひそひそと話す様子を一歩引いた路地で見ていたのは、金髪坊主の悪魔クオリア・アーサー。服装は白スーツ、黒のネクタイ、黒の革靴。騎士団との交渉における悪魔サイドの代表であり、第二級悪魔の地位に位置する。派遣団にいる悪魔の手綱を握る統率者でありながら、一人の元人間でもあった。
「薄暗い表情。元気出せよ同胞。遠慮は無用。相談は無料」
ラップ調で韻を踏みつつ接するのは、黒髪アフロの悪魔ビリー。
サイケデリック柄のシャツに、黒のベルボトムと茶色のブーツを履く。
「そのとおりだ。なんかあるなら事前に話せよ。リーダー殿」
次に反応したのは、青の甲冑を着る悪魔、刃影。
黒角と一体化した鎧兜を被り、紫色の前髪が見える。
左頬には舵輪のような刺青があり、左腰には刀を帯びる。
「端的に言えば、ジュリアの様子がおかしい。何かしらの騒動を起こす可能性がある。とはいえ、僕は騎士団との交渉だけでオーバーワークだ。能力で対応するのは可能だろうが、余力は残しておきたい。だから、分担作業といこう。僕は外。君らは内だ。ジュリアがおかしな動きをしたら遠慮はいらない……全力で止めてくれ」
「OK、ブロー」
「そういうことなら、任せろ」
内々で情報を共有していると、たどり着いたのは石造りの宮殿。
マルタ騎士団におけるトップ。総長との交渉が始まろうとしていた。