第150話 儀式
何やら様子がおかしい。円天を外したことが問題ではなく、介入してきたジャコモも何ら脅威ではない。ただ、確実に変わった。セバスの身に何かが起きた。全容を把握することはできないが、一秒前と今では別人だと断言できる。対天使用の刻印が機能しているかは不明だが、向こうにとってマイナスの出来事になったのであれば試してみたいことがある。
「――抜開」
唱えるのは、辺りを平場に変える呪文。一度目の生前葬を灰塵に化した言葉。場に働く様々な効果を打ち消し、無効化する。あの時は十字路が葬儀場となり、ワタシを天界に送り返せるだけの力を秘めていた。フィールドさえ破壊してしまえば、賛美歌は戯言に変わる。ワタシは自由となり、再び暴れ回ることが可能となる。
「…………」
対し、セバスは口角を上げた。不敵とも言える笑みを浮かべていた。読めない。底が見えない。得体が知れない。結果として、『抜開』は不発に終わり、未だ猫の賛美歌は継続。聖堂内には半透明の階段が一段一段形成され、天界に見立てた天井の絵画に道が通じようとしている。
ピシリと亀裂が走ったのが分かる。頭上の輪っかにひびが入ったのが伝わる。ワタシに残された時間は多くない。身体的な不自由さを伴うことはないものの、精神は確実に蝕まれている。ワタシが動ける時間は数十秒か、数分か。賛美歌の演奏時間を考慮すれば、長く滞在できないのは明らか。
「――――」
ワタシの視線は、自ずとアウロラと呼ばれた灰色猫に吸い込まれる。対天使に特化したセバスを放置するという苦肉の策とは言えど、賛美歌を指揮する者の命を絶てば、生前葬が阻止できるのは確か。『祝詞』に頼るのも手ではあるが、調子を取り戻したセバスが支配する空間内では発動が保証されない。であれば……。
「――黒、物質ァァァ!!!!」
不快な賛美歌をかき消すようにワタシは聖堂内に声を響かせる。それに伴い、虚空から現れたのは、ゲーム用のコントローラー。パドルとボタン一つのシンプルな設計。実体験が伴う本質的な情報には踏み込めていないものの、操作手順も効果も察しがつく。指定した対象に干渉し、意図せぬ挙動を引き起こす。それだけ分かっていればいい。ボタンの数も限られているのだから、技量に差は出ない。
コントローラーを握り込み、右手親指はボタンに吸い寄せられる。ワタシの予想では、ポーズがかかる。一時停止状態になり、アウロラの動きを拘束できる。ボタンには手が届く。意思能力が発動した手応えはあった。……しかし、肝心要のアウロラの姿が視界に入っていない。立ち塞がった者が視界を遮り、対象を認識することができなかった。ワタシの予想した結末が訪れることはなかった。
「……切り取りだ」
ラウラは裁ちばさみを用い、コントローラーを切り取る。また一つ欠けた。手札を削られた。追い込まれた。人間如きに後れを取った。階段が天井に近付き、フレスコ画に描かれた同胞と後光の奥に潜む神々がワタシを呼び寄せる。意識は半分飛んでいる。敗北に片足を突っ込んでいる。
認めよう。彼らはワタシの想定を上回った。万全の対策と機転の利いた対応力によって、ワタシの才能を凌駕した。今のワタシに残されたものは何か。ことごとく行動を制限され、時間が差し迫る中、実現可能な勝ち筋は何か。
「辞世の句があるなら詠んでみるのがよろしいかと」
勝利を確信したセバスは、上から目線で話しかける。そう思うのも無理はない。自他共に見ても万策は尽きている。ワタシの力は失われつつあり、生前葬は残り一段で完成する。一言か二言なら語る時間が許される程度。言いたいことは自然と頭に浮かんでいた。何らかの根拠や理屈はないものの、ワタシは確信していた。
「――頭上に注意せよ」
最後の階段が積み上がる。地上から天井へのルートが完成する。ワタシの魂はもって数秒。そんな中、負け惜しみとも言える言葉に呼応し、天井を突き破り、突如として現れたのは、天使の上位存在。神の中の神。
「………………」
瀧鳴大神。
◇◇◇
突如として大宗務長の拘束は解除された。燃料切れかと思ったが、違った。別の思惑が働いた。我と近しい匂いを感じた。痕跡を辿るのは容易だった。気付けば身体は動き出し、聖堂と思わしき施設を突き破り、我は割って入った。
見えるのは見知った顔ぶれ。間の抜けた表情を浮かべているが、我に敵意を向けている。唯一の味方は、すぐそばにいる天使。我を解放したと思わしき存在。頭上の輪っかにはひびが入り、力を失いかけているのが分かる。
何が何やら分からぬが、天界に与するものが虐げられていたのは事実。
「穢レシ者ニハ災イヲ」
黒色のセンスを纏い、我は行動を開始した。弱い者から順に頭数を減らすことにした。得物は持たず、有するのは夜助の拳と肉体のみ。真っ先に標的に選ばれたのは、黒のスーツを着用し、黒のシルクハットを被った銀髪男。
「……っっ」
表情がすでに負けている。死臭を漂わせている。反射的にシルクハットに手をかけているが、一手遅い。
「――」
シャンと音を鳴らせて、姿を消し、背後に回り込んで、右拳を振るう。
「させませんよ」
「させっかよ!」
右と左から挟み込むようにして、執事と青髪女の拳が我の拳に干渉する。激しいセンスを迸らせ、銀髪男を貫くことなく拳は停止する。鈍ってるとはいえ、我の膂力に拮抗したという事実は変わらない。受ける資格はあるな。
「……黒濤」
我の拳から放たれるのは黒の津波。全方位に放たれ、近くにいた者たちは否応なく波に攫われる。聖堂は音を立てて砕け散り、首都へと流れていった。大出力による大技によるあっけない幕切れ。これで黒渦が活発化し、甚大な被害をもたらすことになるだろう。仮に黒濤から離脱できたとしても、元を断つことはできまい。
「切り取りォォォオオオオっ!!!!」
そこで響き渡ったのは、気迫のこもった声音だった。あるはずのものがかき消え、消えたはずのものが現れる。一目見て察した。何が起こったかを理解した。赤い満月による月の光を受け、柱状の白光を迸らせる存在が立っていた。
「笑えよ、大神。ほらこうやって、ニッコリとな」
右手の指先で口端を押し上げ、煽り文句を垂れる。どうやら自身の変化に気付いていないらしい。神に最も近い人類であることを分からんらしい。どうやら、現実を教えてやる必要があるようだ。
「成ッタカ。歓迎スルゾ我ガ同胞ヨ」
口角を上げ、我は彼女の期待に応える。これにて、月の儀式は完了した。太陽の儀式を完了させた依り代が揃った。白き神完全復活の時は近い。人類の半数近くが地獄に循環する未来はほどなくして訪れる。




