第137話 答え合わせ
道路上に並んで立ち、こちらに視線を向けるのは、蝙蝠型の黒鎧と一対の音叉剣を装備したイブと、黒のエージェントスーツと銀色円形の盾を右手に装備したダヴィデ。私も黒だし、色相が食傷気味だなぁ……。まぁ、なんにしても、二対一で攻める構図は反転し、逆にこちらが一対二で攻められる構図になっていた。仕組みは単純。左手の白音叉剣による記憶の忘却があれば、洗脳は容易。今度は逆に戦闘経験以外を全て初期化された形かな。想定にあった展開とはいえ、分が悪いのは間違いない。この鎧もどこまで保つか分からないし、短期決戦が望ましい。
飛び蹴りを受けた衝撃のブレーキがようやく終わった。扇状に敷き詰められた石畳をガリガリと削り、やっと私のターンがやってくる。最優先目標をイブに設定するのは当然として、特殊条件でダヴィデの記憶回帰も視野に入れないといけない。ただ相手はどんなに低く見積もっても、獣化に至った完全聖遺体。勝つだけでも相当な難易度なんだろうだけど、兄が壊れたまま戦闘を終えるのは避けたかった。右手の銀音叉剣を奪えればワンチャンって感じかな。そんな暇があるのかは分かんないけど、やると決めたらやるっきゃない。
「――――」
私の装いは、黒の鎧とコートとマントに加え、背には蝙蝠めいた羽根が生えている。悪魔由来のものであり、コーディネートの一部に組み込まれていた。私は足と背中に力を込めつつ、クラウチングスタートを切るように疾駆。歩幅は大きく、一足で敵に迫るほどの加速をつけ、イブとの距離を縮めた。
「…………」
そこに立ち塞がるように現れたのは、右手の盾を構えるダヴィデだった。これでも全速力なんだけど、余裕で見えているらしい。さすがは兄だ。ナンバー002だ。実力を高く見積もることはあっても、低く見積もることはない。敵だろうが味方だろうが中立だろうが、立場に関係なく、私は彼の戦闘技術を信用している。
「――――――」
私は身体と羽根を左に傾け、障害物を避けるようにダヴィデを素通りする。深追いはしてこなかった。思った通りというべきか、彼の得意分野は攻撃でなく、防御。意思能力はサポート寄り。空中戦よりも地上戦を好む。余計なことはしない。相手の土俵には極力上がらない。良くも悪くもそれがダヴィデの戦い方。元々の彼なら別の行動を取ったかもしれないけど、戦闘経験以外の記憶を消し飛ばされたと思わしき今は思考の柔軟性に欠けている。与えられた命令を忠実にこなす機械と化した。行動がパターン化しても無理はなく、活動範囲を絞るのは容易かった。
問題はここから。いかにして、イブの銀音叉を奪えるかが課題。一発逆転の飛び道具はあるっちゃあるんだけど、アレは一発芸だ。状況的にも技量的にも連発はできない。イブだけを空中戦におびき寄せられればいいんだけど……。
「――――っ」
直後、背後から迫り来るのは音の衝撃波。羽根を使って右方向に回転し、反射的に回避に成功する。ただ、鎧の性質上、当たっても問題なかった。こいつは防御力という表面的なステータスとは別のギミックが搭載されている。私の予想が正しければ、本質は『複素数』だ。異能を消しているんじゃなくて、異能が現実に干渉する経路を断つイメージ。目に見える物質や肉体による実数世界の力は受けつけ、目に見えない意思や異能といった虚数世界の力は切り離している。その二つを識別し、片側だけを適用するために欠かせない構造が『複素数』になる。対虚数なら無敵の鎧のように思えるけど、適用範囲は鎧に触れたもの限定だし、センスを鎧の外に放出できないデメリットも存在する。ただ、こいつの面白い点はそれだけじゃないんだよなぁ。
「正面、頭上に注意!」
思考の狭間で聞こえてきたのは、イブからの戦術的アドバイスだった。その指摘通り、正面にあった建物が音の衝撃波によって崩れ、大量の瓦礫が落ちてきている。恐らく、わざと。私を懐に誘い込むための罠。戦闘マシーンと化したダヴィデの実力を遺憾なく発揮させるための挑発めいたパフォーマンス。
「――――」
私は鎧を黒から白に反転させ、周囲に墨っぽいものを展開した。平地に遮蔽を作るためのスモークグレネードのようにも機能できるけど、本来の用途は別にある。視界は暗転し、目に見えない虚数世界を歩行し、たどり着くのはイブの懐。
「してやったり」
「――――――」
それを直接口にする人は初めてだな、なんて思いつつ、イブとダヴィデは誘い込まれた私に対し、音叉剣と蹴り……物理攻撃に特化した力で襲い掛かっていた。こうなるように策を講じ、待ち構えていたのだから、向こうが速いに決まっている。私がいくら卓越した戦闘技術を持っていようが、速度で上回るのは不可能だ。相手が初心者なら間に合うだろうけど、今の二人と私の間に大きな実力差はないだろう。だから私は、先攻を取るのを諦めていた。後攻に全てを乗せると腹をくくっていた。相手の理解力と解像度が私よりも上なら負ける覚悟をしていた。
「「――――」」
答え合わせが始まった。音叉剣は鎧に弾かれ、蹴りは弾き返される。実数世界の力はことごとく遮断される。私は適用範囲をスイッチした。対虚数の鎧から対実数の鎧へと変化させた。だから、瞬獄は可能だった。だから、彼女たちの攻撃は通用しなかった。だから、私のセンスは通るんだ!!
「――黒」
二度は訪れないであろう絶好の隙に、私は右拳を放つ。打撃がイブの鎧に触れる瞬間に全神経を集中させ、悪意を込めようとしていた。出せる確信があった。ここまでの精度は100%だった。自分の実力に疑いはなかった。……ただ、果たして、ダヴィデがそんな簡単に役目を放棄するのだろうか。蹴りを弾かれた程度で護衛対象を見殺しにするだろうか。彼の聖遺物はその程度のものだっただろうか。武器化は一対の性質を持つのに、右手にしか盾が装備されていないのはなぜなのか。
「――――」
次なる答え合わせが始まる。宙返りして、慣性ベクトルをいなしたダヴィデは、折り曲げた左腕を突き出し、立ちはだかる。恐らく、彼の左手には目に見えない盾が装備されている。そんなもの想定していない。打点がズレる。タイミングがズレる。全ての歯車が狂い出す。意思の力をまともに込めることもできなかった。実数と虚数のスイッチングに意識を配る余裕なんて当然なかった。
「天罰覿面」
ダヴィデは力の一端を示す語句を述べ、能力は発動する。私が知らない8年間に開発されたであろう奥の手が放たれる。ここからは想像を巡らせることしかできない。『反射』が盾の基本性能であり、右手の盾が物理特化の『反射』だとする。左手の見えない盾が保有するものは何か。穴埋め問題なら簡単だ。精神特化の『反射』。こちらの攻撃力に依存した幻術を引き起こすもの。言うなれば……。
「…………」
途中式を描き、残す結論を導き出そうとした瞬間、私の精神は眠りについた。体は起きているのに、心は夢に旅立った。致命的な隙を晒していて、その間にイブは状況を把握した。左手の音叉剣を構え直し、異能が通じると察した。
「私好みの傀儡が二体目。王手を取れる日も遠くはない」
白刃は振るわれ、私の戦闘経験以外の記憶は忘却される。大事な思い出が失われることに対するリアクションを取る暇もないまま、頭の中は空っぽにされる。でもどうして、私の意識は生きているだろうか。こうして、彼女たちを認識できているんだろうか。覚えてない。思い出せない。何も分からない。ただ……私の中に眠っていた化け物が呼び起こされたような気がした。
「――――」
纏っていた鎧が砕ける。身体には緋色の意思が纏われる。頭上には天使のような輪っかが浮かぶ。頭の片隅に夜の摩天楼の映像が浮かぶも、泡が弾けたように消えた。まぁ、なんでもいいよね。こいつに従う義理なんてないし、人類は私にとって敵なんだから。
「――縛樹」
唱えられた呪文に従い、私の目の前にいる二人は樹々に拘束される。敵だからと言って殺せばいいというわけでもなく、何事も効率というものがある。長く眠っていたのだから、知らないことは山ほどある。それを知るには都合のいい供物。後で捧げられるのだとしても、利用価値がある今は生かすべきだった。
「――さて、人間。――世間話でもしようか」




