第136話 絆
カマッソソとダヴィデの接触は果たされた。2年間の空白の穴埋めは行われた。私は詳細を知ることができない。どこからどこまで明かされたのかは分からない。ただ、記憶の回帰は終わった。眩い光は収まり、蝙蝠型の聖遺物カマッソソは現在の主……イブ・グノーシスの下へと帰っていく。彼女の狙いは、私とダヴィデの家族喧嘩らしい。血が繋がってないから義理ではあるんだけど、おおよその関係性はマルタ共和国までの旅路で話したからバレている。別に話したくはなかったんだけど、グイグイ聞いてくるから面倒になって言ってしまった。まさか、これが狙いだったとはな。相手のパーソナルな部分に踏み込んで、玩具にしようとする嫌な奴だ。やりたいことは山積みなんだけど、今はコイツのことだけ考えたい。表面的なエピソードを聞いただけで、私たちを知ったつもりになったイブに言ってやりたい。
「――記憶が戻った程度で」
「俺たちの……家族の絆は壊せない」
私とダヴィデの足並みは揃っていた。不慮の事故が重なったことによって、関係性はさらに深まった。緋色と蒼色のセンスを纏い、8年振りの共闘が実現する。
「持たざる者よ、等しく首を捧げて、慚愧の至りで朽ち果てよ」
一方のイブは詠唱を重ね、カマッソソを身に纏う。武器化でも鎧化でもなく獣化。悪魔を彷彿とさせるような羽根を生やす蝙蝠型の黒い鎧を纏い、戦闘準備は万端。私たちの関係は何があっても引き裂くつもりらしい。本人の能力は分からないけど、カマッソソの方は『音』と『忘却』が主力。特に接近戦に持ち込めば、記憶を改変される恐れがあり、対応は困難ではあった。ただしそれは、世間一般の使い手に限る。
「天衣武装『天津甕星』」
ダヴィデの戦闘経験値の初期化は元に戻った。彼は私の背中に触れ、ソフィアを支えるために磨き上げたサポート型の意思能力を披露する。
「…………」
それはシンプルな装いだった。黒の鎧とロングコートが一体化したようなもので、マントとフードが付属される。生地の内面には銀河が広がっているような星々の輝きが放たれ、着ている自分でも異様な雰囲気を感じ取れた。剣や盾や槍などの武器は付属しないし、能力の詳細は分からないけど、私はダヴィデを信じている。
「――音響突破!!!」
間髪入れずにイブは一対の音叉剣を合わせ、前方に音の衝撃波を放っていた。まず間違いなく初期技。最も手軽な技で私の腕を試しにきた。恐らく、『忘却』の能力は付与されておらず、単純な『音』の破壊力を高めたものだ。
「…………」
そこで私が取った行動は右手を開き、前に突き出すことだった。防御にしてはお粗末だったけど、この行動の狙いは二つある。
「世の理を洞察し、虚偽を穿ち、我が身を守る不撓不屈の盾と化せ」
ダヴィデは詠唱を終えると、銀色円形の盾が右手に装備され、万全の戦闘準備が完了する。私にとっても今の攻防は得るものがあり、身に纏われた能力の本質は掴んだ。防御力が高くて無傷というより、先に音が消えたという事実に着目した。恐らくダヴィデは、能力の内容を懇切丁寧に説明するつもりはない。コミュニケーションを一言でも省略し、敵を倒すことだけを考えているはず。……私は姉のようにはなれない。過去の行いを考えれば、隣に立つ資格はないのかもしれない。ただ、彼は責めなかった。知った上で許してくれた。その期待には応えたい。私たちの関係を揺るがす存在はここで倒さなければならない。
「――謝っても、許してあげないんだから!」
私は地面を蹴りつけ、一気に距離を詰める。敵の土俵と思わしき接近戦に持ち込んだ。一足一刀の間合い。詠唱を行ったばかりのダヴィデのサポートは期待できない。ただ私は、与えられた能力を信じている。通用するに決まっている。それ頼りになるつもりはないけど、初見で対応するのはまず不可能。
「忘却の彼方!!」
私が放つ右拳に対して、イブは左手の白い刀身が特徴的な音叉剣を振るう。聖遺物は基本的に一対で別種の能力を持つ。左手の白音叉が『忘却』、右手の銀音叉が『回帰』を司ると思われ、基本となる『音』はどちらも可かな。なんにしてもあれは相手の攻撃を受け、『音』を反響させることで対象の記憶を改変する。あまりにも便利な異能に頼りすぎている。お前、体術でどこまでやれんのって話だ。
「――よーい、ドン」
私の意識は戦闘に溶けている。この言葉に特に意味なんてない。ただそれは、私の意思とテンションを一段上げた。『忘却』を完全に無視して、体術戦に持ち込んだ。音叉剣と右拳が衝突した上で、私は左拳をイブの顔面に叩き込んだ。
「……っ!?」
ガキンという冷たい音が鳴る。拳は鎧兜の装甲に阻まれ、決定打にならない。ただ、息を呑む音が聞こえる。なぜ忘却できないという心の声が聞こえる。まだ分かっていないらしい。センスにも聖遺物にも恵まれているのかもしれないけど、馬鹿だなぁ。もう少し殴ってやらないと分からないか。
「――――」
戦闘開始のゴングはすでに鳴らした。私は続けて右拳で胴を突き、左脚で足元を蹴り払い、バランスが崩れたイブの顔面に左拳を叩き込もうとした。
「……ちっ」
リップノイズが聞こえると、イブは寝転んだ状態でグルリと地面を横に転がって回避。代わりに地面が私の右拳を受け止め、亀裂が入っている。次は後れをとるまいとイブは立ち上がり、私に視線を向け、音叉剣を構え直している。殊勝な心がけだけど、動作がワンテンポ遅いし、敵は私だけじゃないんだよな。
「――」
彼女の背面を捉えたのは、ダヴィデの突き出すような右足蹴りだった。またもや、ガキンという音が響き、硬い装甲に阻まれ、攻撃は完全に通ってはいなかった。どれだけやっても勝負に影響がないように見えるけど、そう思う人は見る目がない。
「ちょこまかと!」
イブは振り返り様に左手の音叉剣で真一文字に空を切り、反撃を試みる。起きた出来事に後手後手で反応しているだけの未熟な一振り。時間が切迫した体術戦だからこそ直感頼りになるのは理解できるけど、それはあまりにも雑だった。
「反撃のつもりか?」
ダヴィデは右手の盾を横に振るい、イブの手元を叩きつける。音叉剣に触れなければ、『忘却』は発動しない。護身術の実演でも見ているみたいに、振るわれた得物はボトリと地面に落ちる。盾固有の『反射』能力を使うまでもない。彼女はフィジカルで圧倒的に劣っている。文字通り、手も足も出ない状態。
「――足元どころか、全体的にお留守だよ!」
行き着く暇も与えず、私は右拳をイブの背面に振るう。反撃しようが、回避しようが、防御しようがなんだっていい。残る得物は右手の音叉剣だけになり、単純計算で戦闘力は半減している。彼女の意思能力が割れていない以上、実力は未知数ではあるんだけど、このまま徐々に体力と手札を削っていけば勝利は確実だった。
「………」
彼女は放たれた拳を背中上面の右羽根で受け止める。追い込まれたことによる創意工夫。敵ながらも成長の兆しが見受けられた。ほんの少し彼女に興味が湧いた。明らかに開きがある体術の差をどこまで縮められるかに関心があった。手心を加えるつもりは毛頭ない。ただイブは、私たちのレベルに追いつく気がしていた。
「「――――」」
根拠もないし、口裏を合わせたわけでもない。それなのに私たちは期せずして距離を取った。彼女を中心点として、ダヴィデが左、私が右に分かれて下がる形となった。戦況を考えれば、一気に畳みかけるのが理想だった。得物の回収を許す暇も与えずに倒し切るべき展開だった。……だけど、理想と現実は違う。机上の戦略や空論だけで物事は成り立ってるわけじゃない。戦況は刻一刻と変化する。敵の実力が開戦時点から変わらず、同じ戦法が通用し続けるとは限らない。
バトルは生ものだ。腐るのは早いし、その場にあるものだけで調理しなければならない。外から食材を与えられると思ってはいけない。便利な調理器具に頼りすぎてはならない。冷蔵庫から食材を取り出してくるとしても、鮮度が肝心だ。長期間、冷蔵庫の肥やしになっているものは美味しくならない。後でとっておこうと思ったものは、大抵まずくなる。今、必要なものだけを仕入れ、鮮度があるうちに強火でガッと仕上げるのが好ましい。その工程を繰り返すことで、見る目と技術が洗練される。無駄が省かれ、本当に必要なものと、不必要なものの選別が可能になる。
彼女はそれに気付きつつある。たった数回の攻防で、体術の重要性と本質を掴んだような気配がある。同じ土俵に上がりつつある彼女を察知して、私たちが揃って後退し、口を閉ざしているのは、ある意味で必然だった。意識的にしろ無意識的にしろ、それは敵に対する敬意の表れであり、同時に畏怖の念を抱いたとも言える。そんな屈辱的な感情を頭で理解した頃、イブは落ちた得物を回収し、口を開いた。
「かかり稽古を毎日千本。ジルダ様の世話役をしたのは私だということを忘れておりました」
薄っぺらい敬語を用い、イブは掴んだ感覚の正体を言語化する。ぞわりと背筋に寒気が走ったのを感じる。苦手な体術を今から積み上げるのは難しい。この攻防で私たちと同じレベルに引き上げるのはもっと難しい。……でも、忘れているだけだったら? 腕が錆びているだけだったら? 内に飼っている化け物が眠っていただけだったら? 生じた疑問は恐らく全て当たっている。それと同時に私たちは、とんでもない判断ミスをしたことに気付く。倒すならさっきの攻防だった。強火で一気に仕上げるべきだった。でも、失われた時間は戻らない。生ものの調理に失敗したら取り返しがつかない。次に強火で仕上げられるのは……。
「ここからは無礼講といこうか。血気盛んな修道女……イブ様のお通りだ!!」
歯切れのいい口上と共に、イブは羽根を使い、低空飛行。両手の音叉剣を振りかぶり、私の方へ急速に接近する。
「……っ」
敵の勢いに圧倒され、反応がやや遅れる。右拳を放っているけど、間に合わない。彼女は身を反らして見事に躱し、スピード感を保ったまま、音叉剣を空中で交差させるように振るう。胴体に刻まれるのは×字の傷。鎧を貫通するほどではないけど、そこまでやられれば、私が纏っている鎧の能力と弱点がバレる。
「異能無効。ただし、物理には弱い!!」
続けざまに右足を突き出した飛び蹴りを食らい、私の胴体を捉える。センスと装甲では威力を緩和し切れず、振動が伝わり、身に届く。鳩尾あたりが熱く疼き、鎧越しに抉られたような感触があった。裂傷というよりも、恐らく打撲。悪魔の再生体質があるから時間が経てば治るだろうけど、私の回復速度を上回られたら、負ける。脳さえ守れば死ぬことはないにしても、意識を保てる自信はなかった。
私は体勢を直し、前屈姿勢で地面に着地し、ブレーキをかける。どれだけ早く見積もっても数秒はかかる。すぐに戦線に戻ることはできない。その間にイブは動き出していた。ワンテンポ遅かった動作は改善され、音叉剣はダヴィデを襲う。
「「――――」」
キィィィンという耳を塞ぎたくなるような音が響いた。ダヴィデは右手の盾で刃を防いでいるものの、どうやら様子がおかしい。糸の切れた人形のようにダラリと項垂れていて、生気がない。まさか、死んだ? と最悪の想定をした瞬間、その答えは敵の口から嫌味ったらしく語られた。
「私好みの傀儡が一体。音を反射しても、忘却を無効にできるとは限らない」




