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教皇外交録/聖十字と悪魔の盟約  作者: 木山碧人
第十章 マルタ

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第133話 深刻

挿絵(By みてみん)




 時間は一本の直線ではない。寝て起きたら明日がやってくるとは限らない。わたくしは時間を逆行している。ある一定の未来から遡り、現在に至っている。従来の感覚なら、過去に進めば進むほど若返ることになる。カセットテープが逆再生されたように、言語を読み取るのも困難な光景が想像できる。ただ世間の常識と、実際に起きたことは全くの別物だった。……わたくしの場合、過去に進めば進むほど老けていく。 今日のカセットテープが順再生された後、昨日のカセットテープに切り替わる。一日の区切りは24時ちょうど。それを跨いだ瞬間、わたくしの意識は過去に飛び、昨日の自分を体験することになる。ショートタイムリーパーとでも言うべきなのだろうか。一日ごとの時間遡行をエンドレスに繰り返している感覚。


 未来を知っているのだから、過去を簡単に変えられる。……ように思われるが、そう単純でもない。例えば、人の生き死に関する運命を無理やり捻じ曲げようとした場合、何らかの抑止力が働く。軌道修正され、同じ運命を辿るようにセットアップされる。何度も同じ一日を繰り返して再生するなら、解決の糸口を探すことも可能かもしれないが、わたくしの場合、チャンスは一度きりしかない。土壇場で介入し、修正された運命に対応しなければならない。


 その中心にいるのは、ラウラ・ルチアーノ。


 準備が無駄になるのは、これまで幾度となく経験している。結果を知っているからこそ、運命に抗えなかった時の歯がゆさを誰よりも知っている。仮に上手くいったとしても、わたくしはその時間を共有することはできない。過去に進み、老いていくのみで、仮に説明したとしても同じ経験を分かち合うことはできない。


「「…………」」


 首都バレッタ北部あたりの屋上を、わたくしたちは無言で練り歩く。一方的な答え合わせを受け止め、結果と原因が結びつき、頭の中で考えをまとめる。


「何か言いたいことがあるって面だな。話すのは追々じゃなくともいいんだぜ」


 深刻そうな面持ちを見抜かれたのか、ジャコモは話しかけてくる。仮に腹を割ったとしても、数時間の付き合い。24時を跨いだ時点で関係は解消される。わたくしだけが一方的に覚えていることになり、精神的な負荷が増えるのみ。


「仮定の話をしても?」


 その思いとは裏腹に、わたくしは切り出す覚悟を決める。もしもの話であれば、冗談半分に受け取ってもらえるだろう。


「好きにしろ。俺はただ聞いてやるだけだ」


 探索を続けながらも、ジャコモは快い反応を見せている。それだけで胸が少しだけ軽くなったような気がするものの、言葉は慎重に選ばねばならない。短い付き合いとはいえ、わたくしの発言によって、結果は大きく左右される。


「貴方の身内が亡くなったとして、過去に戻って結果を変えたいと思いますか」


「また質問かよ。もう少し自分の話をしたらどうだ?」


「この話題は、わたくしと密接に通じるやもしれません」


「……そういうことなら、乗ってやるか。俺は時間を遡ってまで過去を変えたいとは思わないな」


「その心は?」


「仮になんのデメリットもなく時間移動ができて、殺されるはずの身内を救ったとして、過去の俺は喜ぶかもしれないが、未来の俺はどうなる? 過去と未来が一本の直線で結ばれてるとは限らないだろ? ほらあれだ、並行世界ってやつだよ。身内の生死を境に分岐するだけで、未来に戻っても身内が生きている都合のいい世界が広がっているとは限らない」


「並行世界が存在しないとしたら?」


「分岐はなしって条件か。……それならアリかもしれないが、だとしても戻らないかもな。過去に戻った時点で、俺の人生が歪む気がする。身内の生死だけが焦点のように思えるが、問題はそれだけじゃないはずだ。そこに至るまでの俺の選択と感情が丸ごと捻じ曲がる。そんなの自己否定の極みだろ。お前は間違っていたと過去の自分に対して暴言を吐くようなものだ。結果も重要かもしれないが、俺はそこに至るまでの過程も大事にしたい。たとえ上手くいかなかったとしても、何かしらの得るものはあったはずだ。仮にも身内の生死が絡むなら、良くも悪くも感情は揺れ動くだろうからな。俺はその気持ちを大事にしたい。復讐心に駆り立てられるとしても、それをなかったことにはしたくない」


 返ってきたのは、自立した芯のある言葉だった。自尊心に溢れながらも、自己中心的とは言えない絶妙なバランスを保っている。期せずしてと言うべきか、わたくしの生き様と真っ向から対立する意見になっている。思うところはあるものの、これもまた一つの答え。彼を否定する材料は持ち合わせていない。自己正当化を図るために他者を下げようとするほど、落ちぶれた覚えはない。


 彼は彼。わたくしはわたくし。決して相容れることはない二つの個。全く同じ境遇に置かれたとしても、別々の感情を抱くだろう。それこそが彼にとっての人生の価値。今という時間の流れに組み込まれた感情体験を、酸いも甘いも享受することが彼の根幹。マフィアを志す事情を踏まえても、根っからの悪人とは到底思えない。少なくとも、わたくしの彼に対する印象は極めて良かった。


「達観されていらっしゃいますね。未熟なわたくしとは真逆だ」


「いや、別に他人を責め立てるつもりはないし、妙にへりくだる必要もない。俺は俺の思ったことを言っただけであって、セバスはセバスで別の考えがあるだろ。身内を救いたいなら救えばいいし、過去を変えたいなら変えればいい。……まぁ、そこに俺は関与できないというか、関与したくないんだがな」


 ジャコモは結論づけ、話の区切りが見えてくる。ここで終わればちょうどいい。わたくしの情報を大して開示することなく、あくまで仮定の話として締めくくれる。


「貴方が密接に関わっていると言ったら?」


 ただ、わたくしは止まらなかった。一歩踏み込み、冗談では済まない領域に突入した。受け取り方によっては引き返せないところまできている。


「俺がセバスの身内を殺すってのか? よほどじゃない限り、それは……」


「貴方は先ほど言ったばかりだ。身内に手を出せば、敵とみなすと」


「ケジメはつけさせるだろうが、殺すつもりは毛頭ないぞ」


「程度によるとも言った。確率は低くとも起こり得るのではありませんか?」


 一度動き出した負のスパイラルは止められない。わたくしは黒いセンスを纏い、臨戦態勢に入る。避けるべき結果の原因は目の前にいる。悪人であろうと善人であろうと、わたくしの心情は変わることがなかった。


「…………」


 一方の彼は条件反射的にセンスを纏うことはなかった。物悲しい表情を浮かべ、何かを悟ったようにも見える。言葉にされなければ分からない。彼の心情を断定することはできない。……ただ、わたくしに対して、敵意も悪意も持ち合わせていないのは明らかだった。


「なぜ、構えないのでしょう。敵の到来ですよ」


 やりづらいことこの上ない。ここで倒しておきたいのは山々だったものの、無抵抗の人間に襲いかかるほど鬼畜でもない。センスを纏ってくれていればと、心の底で思いながら、わたくしは問答を重ねた。


「殺せよ。どんな事情があろうと、歪んだ俺に価値はない」


 彼は無気力そうな声音で、端的に心情を告げる。今の自分と未来の自分との間に乖離が生じるなら、生きていたくないと思ったのだろう。言行は一致している。今までの発言から考えても、嘘をついているようには思えない。


「諦めが早いですね。大して事情を知らないのでは?」


「なんというか……未来で車を暴走させて、人を轢き殺した感覚に近いんだ。そうなるのは見たくないというか、そうなる未来が確定してるなら、いっそ殺された方がマシだと思ってな」


「不思議ですね。殺し屋に憧れたはずなのに、自身の殺しに関してはやけに敏感になっているように感じます」


「法で裁けない悪をこらしめるのに憧れただけで、殺しそのものを美化するつもりはない。ルチアーノファミリーの方針をそのまま引き継ぐつもりなんて毛頭なく、一部を取り入れて、自分風にアレンジさせるのが目的だった。あくまで殺しは最終手段だな。殺す前提で動くつもりはなかった。その精神的セーフティが外れるんなら、俺は俺である必要がない。だから、そうなる前に殺せと言ったんだ」


 対話を重ねるごとに見えてくるのは、ジャコモの深みと人間性。彼はそんじょそこらのゴロツキとは違う。実力はおおよその察しがつくが、それだけで彼を評価するのは失礼。精神面は……王の器だ。人の上に立つ資格を持ち合わせている。表社会だろうが裏社会だろうが、英国王だろうがマフィアだろうが、トップを張れるだけの人格が垣間見える。どうして、問答を重ねてしまったのだろうか。彼のことを知りたいと思ってしまったのだろうか。何も知らなければ、容赦なく対処できた。身内のためだと言い聞かせ、手を汚すこともできたというのに。


「…………」


 気付けばわたくしは、センスを鎮めていた。ジャコモに対して、悪意を抱けなくなっていた。残り数時間で解消される薄っぺらい関係だと分かっていながら、手を出せなくなっていた。


「追々じゃなくて、今、事情を聞かせろよ。差し支えあるんだからな」


 運命は動き出す。明日とは違う方向に傾き始める。それがどういう形で修正させるのかは想像もつかない。ただ、彼に対して心を開くには十分なやり取りだった。

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