第131話 静かなる攻防
図書室の一角には、老けた赤ん坊がいる。四つん這いの姿勢になり、黒いセンスを纏っている。正体不明の生き物だが、少なくとも子供を一方的に痛めつけるような罪悪感に苛まれる必要はなさそうだ。俺は宮殿護衛長に断りを入れることなく地面を蹴り、一気に距離を詰めた。リリちゃんと違って、あいつは初対面だ。生半可に連携を取ろうとすれば、パフォーマンスが落ちる。実力者であることは役職的に察しがつくが、人に合わせるのが得意かどうかは別の話。相手がどういうアプローチをするにしても、自分らしい動きを見せるのが重要だと判断した。
「――――」
距離を詰めた俺は右拳にセンスを集中させ、顔面に振るう。相手は大きく口を開け、再び俺の片腕にしゃぶりつこうとしていた。当然、無料で肉を配給してやるわけもなく、俺は放った右拳を勢いよく引くと、ガチンと歯が合わさる音が響いた。その間隙に顎下を右足で蹴り上げ、すぐさま空中で一回転し、左足の踵を落とした。斜め上から側頭部を抉り込むように放ち、狙い通りに直撃。防御面の時とは違って、センスの移動に多少のムラがあったが、手応えはあった。
『……』
着地するまでの狭間で見えたのは薄ら笑い。まるで効いていないどころか、何を考えているか分からないところもあり、背筋に寒気が走る。体術で倒し切れるならそれに越したことはなかったが、俺の身体は反射的に動き出した。
「――残影多重拳!」
放つのは、影から生じる拳の乱打。俺の影ならびに、敵の足元からも拳が伸び、がむしゃらに殴りつける。特定部位への集中攻撃が理想だったが、そんな余裕はどこにもない。ひたすら一方的な暴力を続け、俺は後方に距離を取った。今の攻防で敵と味方に意思能力を晒したことになったが、無傷で済んだだけ万々歳。問題は……。
ごくんと喉を鳴らした音が耳に入った。俺か宮殿護衛長のものかとも思ったが、違う。聞こえたのは正面。
『腹ぁ、減ったなぁ』
目の前にいた老いた赤ん坊は、影の拳にかぶりつき、物足りなさそうに語る。発した言葉数は少ないが、一発で察しがついた。アレは……フードファイターだ。物質だろうが意思能力だろうが全てを食べ物として消化することが可能。それをセンスに変換できるのなら脅威だな。仮に事実なら、真正面から戦っても勝ち目はない。
「本をいくつか拝借してもいいか?」
「貸し出しを許可する。多少の紛失にも目を瞑ろう」
俺は一言断りを入れ、許可が下りる。それも、思いっきりやってもいいとの申し出だ。なんの気兼ねもなく周辺にあった本を手に取り、俺は投げつける。タイトルを見る暇はなかったが、とにかく分厚い本だった。読むにはかなりの体力とカロリーが消耗されそうな代物。量的な意味では満足してくれるはずだ。
『――――』
その目論見通り、老いた赤ん坊はムシャムシャと本を食べている。これで、敵の意思能力は確定と見ていいな。後は能力にどれだけの幅があるか。どんな反応を示すかで、候補を絞ることができる。たった一冊の本で攻略できると思えるほど楽観的な性格じゃなく、俺は敵の一挙手一投足を見逃さないよう観察していた。
『げふぅ。まずいな。量が多いだけで味気がない』
腹をポンと叩き、不満げな表情で感想を語る。この反応から考えるに、フードファイターというよりも、美食家寄りかもな。満腹中枢は刺激したものの、お気に召さなかった様子。体表面のセンスは微増しており、予想は的中と言ってもいい。ただ、満腹になるまで餌を与え続けるべきかどうかが悩ましいところ。満足すれば帰ってくれる可能性もあるが、更なる化け物を生む可能性もある。
「今の本の詳細を聞いてもいいか?」
「異国語の百科事典。紛失しても問題ないものだな」
選択肢を絞るために確認を取ると、情報が補足される。どうやら味は、本の中身に依存しているらしい。味を判断する評価軸が何に相当するかは分からんが、候補は三つに絞られる。主観か、客観か、相手目線かだ。
主観は言うまでもなく、彼の趣味嗜好と本が合致するか。客観は金銭的な本の価値。相手目線は俺が本にどういう印象を抱いているかだ。少なくとも、異国語の百科事典はどれにも該当せず、思うような結果は得られなかった。それぞれに該当する本を選び、試してみるのが確実なんだが、無駄に本を消費した分だけ宮殿護衛長の信用残高が減る。『多少の紛失には目を瞑る』と言ったが、『度を超えた紛失は目に余る』と暗に言ってるようなもんだ。だとすれば……。
「…………」
自然と手に取ったのは、先ほど俺が落とした本。タイトルには『騎士団創世記』と書かれている。首都を元に戻す手掛かりになる可能性が極めて高いが、アレを無傷で退けるには相応の代償を支払わなければならない。横目でこちらを見る宮殿護衛長も、異を唱えることなく、目を瞑っていた。
「スペシャリテが欲しいならくれてやる。これが俺のとっておきだ!!」
多少の不安はあったが、思い切って件の本を投擲する。距離にして数メートル。見当違いの方向に飛ぶわけもなく、標的の口元へと真っすぐ向かう。後は仮説を検証するフェイズに移行すると思っていたが、思わぬ邪魔が入った。
「……」
割って入るように現れたアーケインは、俺が投げた本を手で掴んでいる。心情は不明。ただ、静かに怒っているような雰囲気を醸し出していた。
「なにを……」
「何事も適量というものがある。彼にはコレで十分」
なんの根拠も示すことなく、アーケインは本を適当に開き、一ページ分を千切り、老いた赤ん坊の口に運ぶ。腕ごと食べるなんて粗相をすることもなく、パクリと与えられた紙の先っぽにかじりついている。量は極めて少ない。さっきの百科事典に比べれば、100分の1にも満たない程度。
『――――』
ただ、老いた赤ん坊の顔つきが変わる。どこか腑抜けた表情からグッと引き締まり、慎重に一口一口を噛みしめるように本の一ページを咀嚼する。今までの粗暴で荒々しい態度が一変して、どこか気品が感じられた。俺たちは何もせず、静かに眺めていた。そうせざるを得なかった。今の彼に敵意がなかったからだ。消化不良だった感情が消化され、憑き物が落ちたような変容。フードファイターとか美食家とか、肩書きはどうでもいい。確かなのは、アイツは味が分かる奴ということだけだ。
『はぁ、満足満足。お腹いっぱいだぁ』
詳細が語られることはないものの、満面の笑みを浮かべ、彼は幸せを噛みしめる。あの様子なら、当分の間は襲ってくることはないだろう。それ自体はありがたいんだが、気になることがないわけじゃない。
「今のページ……何が書かれていた?」
「首都を元に戻す方法……と言えば、満足かな?」
返ってきた答えは最悪のものだった。どうやら本当に、お目当てのものを差し出したことで、敵を退けられたらしい。一難去ってまた一難というか、振り出しに戻ったどころか、マイナスのスタートになる可能性がある。ただ……。
「もちろん、目を通したんだろうな?」
「あぁ、当然だよ。速読家じゃなくとも十分可能だった」
「方法は……?」
期待通りと言うべきか、期待以上の成果と言うべきか、アーケインに隙はなかったらしく、失われた文字列は頭の中に叩き込まれているらしい。彼の発言には一定の重みがあり、真偽は置いといて、俺には聞き届ける義務があった。
「現総長ジェノ・アンダーソンの殺害。それで首都は元に戻る」




