第127話 グレー
あいつは変わっちまった。
僕はアウロラと共に『開かずの間』の一本道を全速力で引き返しながら、ふと思う。どこが? と聞かれて、即答できるほど人間観察力に優れているわけじゃねぇ。そもそも、意思能力を抜きにして、自分と同じレベルで他人の心を知ることはできない。精度の違いはあれど、結局のところ、『お前はこうなんだ』とどこかで決めつけることでしか他人を測れない。何を判断基準にするかは人による。自分の価値観に照らし合わせた物差しか、世間の常識に縛られた倫理観か、相手の意見に寄り添った協調性か。『自分の物差しで他人を測るな』という言葉があるが、お前は他人の物差しで他人を測れるのか? と言い返したくもなる。この問題は、そんなに単純じゃねぇんだ。善か悪、白か黒かの二元論で判断できやしねぇ。……限りなく、グレーだ。受け取る側のフィルターの違いによってどちらにも変わる曖昧なもの。僕の感性が狂ってるのか、ジェノαの人格が歪んでるのか、判別は不能だった。本来なら、会話のラリーで相手の意図を聞き、本音と建前を見分けて、真意を見抜くのが最も人間的で建設的だと言える。そうしたいのは山々だが、今の僕は猫だ。ただのブリティッシュブルーだ。人間と意思疎通を取るのは難しい。不可能ではないが、ジェノαの心を知るなんてのは、限りなく不可能に近かった。
『『――――』』
鬼気迫る猫の足音が洞窟内に響く中、見えてきたのは両開きの石灰岩の扉だった。『開かずの間』だから当然と言えば当然だな。恐らく、歴代総長しか開けることが許されておらず、自動ドアみたく近付けば開いてくれる可能性はない。そもそも、突破できたところで、どこに逃げていいか分からない。主人公がいて、悪役がいて、それを成立させる舞台があって、悪を倒して終わりって話なら楽なんだが、それは物語だけの綺麗事だ。世の中はそんなに単純じゃねぇ。明確な答えが存在しない展開なんてザラにある。まぁ、たまには勧善懲悪で上手くいくケースもあるかもしれねぇが、今回に限ってはないと断言できる。
これは、ジェノαを倒して終わる問題じゃない。
あいつは首謀者じゃねぇし、事件の黒幕でもねぇし、たまたまヤバい計画を引き継いだだけだ。ヤバいの定義は人によるわけなんだが、少なくともあいつは受け入れていた。人類の一部を切り捨てることに同意していた。『ノアの箱舟』ってのはそういうもんだ。乗船できる人数が決まっていて、優秀な人間だけを残し、駄目な人間はゴミ箱にポイ。優生思想ってやつだな。人類の存続を考えれば正論ではあるんだが、切り捨てられる立場になって考えてみればたまったもんじゃない。表面的な合理主義というかなんというか、理屈が正しければ全て上手くいくってわけもねぇんだ。
人間は感情で動く生き物だ。
感情を抑制する神と共生する僕が言えた義理じゃないが、今は人の気持ちが分かる気がする。どういう仕組みかは分からんが、『神格化』の進行は止まっている感じがする。その感覚を全面的に信用すると、ジェノαは黒よりのグレーだった。あいつは理屈で物事を考え過ぎている。当事者意識が欠如し、人を切り捨てる側に立ってるのに責任感がないように感じる。意思の力を使えない駄目人間にも価値があるんだぞ、と言ったところで、どこが? と言い返してきそうな怖さがあった。
あれは、ジェノαの性格が捻じ曲がったせいか、『神格化』の影響か、他の外的要因が絡んでいるのかは分からねぇが、僕は一緒にいられないと判断した。そんな僕についてきた以上、アウロラも似たような結論に至ったんだろう。巻き込んだことに申し訳なさはあったが、真実を知っちまった以上、引き返すことはできない。少なくとも僕は、能力者と非能力者を分離させる移住計画に同意できなかった。
(さぁ、こっからは正真正銘の行き当たりばったりだ。頼むぜ、運命!)
差し迫る石灰岩の扉を前にして、僕は気合いを入れる。
この後のことなんて全く考えてないが、今やるべきことは分かる。
「切り取りォォォっっ!!」
石灰岩の扉に歯を突き立て、僕は必死で噛みついた。
猫の咬合力でどうにかしようと思うほど、馬鹿じゃねぇ。
意思能力で壁を突破したいっつう、軽い気持ちのもんだった。
問題は通用するのか、通用しないのか。それだけに意識が傾いた。
『……』
ただ、僕の心情は思ったよりも複雑だったみてぇだ。突き立てた歯は、石灰岩に触れる寸前のところで止まっている。別に歯が折れるのが怖かったわけじゃねぇ。ジェノαと戦う決心がついたわけでもねぇ。抵抗を諦めたわけでもねぇ。
『どうしたの?』
隣にいるアウロラは顔を覗き込むようにして問いかける。巻き込んだからには説明責任があった。彼女を引っ張れるだけの行動方針を定める必要があった。
『アマチュアとプロの違いってどこにあるんだろうな』
『それは……社会で評価される一定の水準に達しているかどうかじゃない?』
『じゃあ、評価されないアマチュアに生きる価値がないと思うか?』
『技量の有無と生存権は全くの別物よ。スキルがあろうとなかろうと、平等に生きる権利はある。収入や肩書きの違いで差別される世の中だけど、特定のジャンルで成果が出ないだけで、その人の全てが駄目だと判断するのは極めて浅はか。今が駄目だとしても、将来的に成長してプロになる可能性もあるし、別のジャンルで才能が開花して社会に貢献する可能性だってある。……これはあくまで個人的見解だけど、アマチュアに生きる価値がないと言い切れる人は、何の努力もしない固定的なマインドを持っている人が多い気がするわね。自分が努力で変わることができないから、現時点でアマチュアだと下された人の評価が今後も一生続くと思う傾向がある』
『もっともなご意見だな。……少し聞き方を変えよう。お前ら奴隷は社会で価値のない『アマチュア』か? それとも、『ノアの箱舟』に選ばれた『プロ』か?』
質疑応答を重ね、僕はようやく本質に踏み込んだ。歯を止めた理由に繋がった。空気が一変するのが分かる。どこか朗らかとした雰囲気が引き締まるのを感じる。隣にいるマルティーズキャットの表情が険しくなり、場は嫌な沈黙に満ちた。即答できなかった時点で答えは決まったようなもの。だけど、僕は聞き届ける義務があった。一方的に判断するんじゃなく、アウロラの口から言わせる必要があった。そうでなきゃ、一緒にはいられない。移住計画を望む者と行動を共にはできない。
『そう思った理由は?』
しかし、アウロラは答えない。答えをはぐらかし、僕の粗を探そうとしている。この時点で黒だと判断するのは簡単だが、彼女は相棒になるかもしれない猫だ。簡単には切り捨てられねぇ。相手が認めるまで、関係は切ってやらねぇ。
『模造世界は能力者と非能力者を分離する性質があるらしいな。それなのに、大聖堂には大量の猫がいた。……つまり、全員が能力者ってことだろ。偶然にしては出来過ぎている。全員が被害者だとは到底思えねぇ。あの総長の性格から考えて、無理矢理お前らを奴隷にしたとは思えねぇ。……同意があったんだろ? 無知のフリしてついてきてたんだろ? 地上崩壊を想定した移住計画に賛同したんだろ? ハッキリ言えよ。大地を浮かすのに必要な予備バッテリー』
相手の本性を見透かすために、僕はあえて強い言葉を選んだ。本気でそう思ってたわけじゃない。ここで怒り狂うなら敵だし、話し合う姿勢を見せたなら味方になれる可能性は残ってる。全てはアウロラ次第だ。大聖堂にいる猫どもを一括りにするつもりは毛頭なく、僕は彼女だけを見ていた。相棒になれるかもしれない女性の反応に判断を委ねた。選ばれる言葉が全てだ。真偽を見定めるのは難しくとも、彼女が抱いている気持ちの一端は表現されることになる。
『随分な物言いね。私をバッテリー呼ばわりするなんて』
アウロラの発言に呼応するように、地面が揺れ、ゴゴゴと物騒な音が鳴り響く。彼女の体表面に纏われるのは七色のセンスだった。今まで見てきた光の中で最も異質。使い手の常識から大きく逸脱した極光。少なくとも僕は初めて見る。本来なら意思能力の発動を警戒して、臨戦態勢になるべきなんだろうが、僕は目を奪われていた。物珍しい光景を前にして、素直な感想が口からこぼれ落ちた。
『歩く絶景かよ。前言撤回だ。……お前は美しい』
褒めたところでどうにかなるとは思ってねぇ。ただ僕はそう言わずにいられなかった。アレをバッテリー呼ばわりするのは確かに失礼だ。敵味方はどうであれ、同じ意思能力者として一定の敬意を示さなければならねぇ。一目見ただけで分かる。あのセンスは、生半可な努力では到底たどり着けない。少なくとも、今の僕よりも数段上の高みにいる。実力は定かじゃねぇが、僕のセンスの流れを上から目線で褒められるだけの素養と見る目を備えているのは確かだった。
『……なんだか、興が削がれたわ』
すると、アウロラはセンスを鎮め、なんとも言えない表情を作っている。よく分からんが戦う気はないらしい。白か黒かハッキリしないグレーな反応だ。事実はどうであれ、この瞬間だけは僕の心の持ちようで何色にも染まる。善悪の二元論に振り切ることもできるし、間を取ることだってできた。
『だったら、もう少し質問を続けようか。僕は模造世界の侵食を止めるつもりだが、アウロラはどう在りたい。何を選んだとしても、僕はお前の選択を尊重する。向いてる方向性が違えば、結果的に敵なるかもしれねぇが、そん時は恨みっこなしだ。僕は僕の人生を歩むし、お前はお前の人生を歩め』
『根堀り葉掘り訊かない約束じゃなかった?』
『過去じゃなくて、今の話をしてんだよ。敵だろうが、味方だろうが、スパイだろうがなんでもいいが、自分の在り方はいつでも変えられるはずだ。昔の発言や立場や肩書きに縛られる必要なんてねぇ。今の気持ちを正直に聞かせろ。嘘か本当か僕に見分ける術はないが、次の発言だけは全面的に信じてやる』
あくまで今にフォーカスを当て、僕はアウロラにパスを回す。具体的に何をするかは全く決まってないが、方向性は定まろうとしていた。彼女の面倒くさそうな立場と思惑を見抜いた上でも受け入れようとしていた。どうなるかなんて想像もつかねぇな。他人を完全にコントロールするなんて不可能だ。意思能力で心身掌握したとして、永久的に支配できるものなんてこの世に存在しない。寿命という概念がなくなったとしても、状態や状況が移り変わるのが世の常だ。今は彼女に委ねよう。裏があろうとなかろうと、今だけはアウロラの言葉を信じてみよう。
『一緒に行くわ。騎士団の奴隷にはならない』
返ってきたのは芯を食ったような発言。先のことはなーんも決まってねぇが、ようやっと足並みが揃った気がした。相手の心が読めない以上、グレーな関係には変わりねぇが、それもまた一興。仮に裏切られたとしても、どうにかなるだろ。
「待ってよ、ラウラ。まだ説明してないことが――」
楽観的な答えに行き着く中、背後には白銀の鎧を纏うジェノαが追いついてくる。捕まったら終わりだ。どういう目的か知らねぇが、模造世界推進派なのは間違いねぇ。どれだけ会話を連ねようが、今は分かり合えねぇ。腹を割って話すとしたらこの一件が綺麗サッパリ片付いてからだ。
『――切り取り《カット》』
僕は振り返ることなく、石灰岩の扉に歯を突き立て、障害物を消し去り、逃走を開始する。アウロラと足並みを揃えて、階段を駆け上がり、貯蔵庫を駆け抜け、同時に外に出る。そこに広がるのは赤い満月だった。アレ単体には大した意味も主張もないが、僕たちは勝手に景色を意味づける。今起きている出来事と関連づける。きっとこの光景を忘れることがないだろう。僕の人生の大事な思い出の一つだ。
『……僕は』
『……私は』
『『――自由だ!!』』
何が嘘で何が本当か分からないまま、僕たちは模造世界に翻弄される。それすらも楽しみながら飛び跳ね、生を謳歌する。そんな絶妙なタイミングを見計らかったかのように割り込んできたのは、サングラスをかけた金髪ロングの美女。アロハシャツに短パンを履き、僕たちの跳躍に合わせ、仲間の一員のように振る舞っている。
「……ランチはお好き?」
そこで尋ねられたのは、意味の分からない質問だった。




