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教皇外交録/聖十字と悪魔の盟約  作者: 木山碧人
第十章 マルタ

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第116話 複眼

挿絵(By みてみん)





 やっぱりだ。『黒耀』の再現性はあった。感情と相手と舞台が整えば、いつでも発動できる。姉やマルタと肩を並べられる。いや、諸々の条件さえ揃っていれば、状況限定であろうと彼女たちを超えることだって……。


『――――――』


 感情と意思が昂ぶり、確かな手応えを感じていると、目が合った。ハイライトのない巨大な黒の瞳。一つや二つじゃない、数百……いや、数千の目から見つめられている。それは比喩でもなんでもなく、昆虫類特有の構造に由来している。


 ――複眼。


 無数の小さな目が束になり、広範囲に渡って敵を視認し、並外れた『動体視力』と『空間把握能力』を有する。従来の昆虫なら、人間が持つ単眼に比べれば解像度が粗く、細かい動きに関しては対応しづらい弱点がある。……ただ、オオエンマハンミョウの複眼は視覚特化型。一つ一つの目が大きいため解像度が高く、物体や対象の距離検出に関しては昆虫界の中でも群を抜いて優れているらしい。


 もし、人間が有していたとしたら、れっきとした異能。魔眼や邪眼とは別方向の強さを秘めている。体術との親和性が極めて高く、どれだけ相手が素早かろうと動きを必ず捕捉し、対応する。敵の動きと高度な視覚処理能力に複眼所有者の身体がついていけば、あらゆる格闘技や意思能力戦で無双できる。


 今、ソレと目が合っている。


 ヘイトを買うのは本望だけど、どれだけ時間を稼げるか分からない。なまっちょろい動きをすれば、一発で狩り取られてしまうほどの圧がある。手加減されるとも思えず、そもそも相手は肉食甲虫だ。ネズミなどの小型脊柱動物を食す習慣がある。超大型であろうと、恐らくその特性は引き継がれ、運よく見逃されるとは思わない方がいい。唯一の救いは、人間並みの知能を持たないってところかな。読み合いは大味。対象補足→攻撃。このループでしかなく、それさえ分かっていれば……。


『舐められたものよな。たかが虫けら如きと同じ評価とは』


 私は確かに聞いた。甲虫が人の言葉を用いた。状況を理解し、私の心情を読み取り、言語化し、人間並みの知能を見せた。……あり得ない。感情が先行し、目の前の現象を否定しようとするも、理性が私を正気に戻す。


 ここはバクった世界だ。何でもありだ。


 虫が人の頭脳を持っていても、何ら不思議じゃない。現実世界の物差しで狂想世界を推し量ろうとするのは間違っている。つまるところ、複眼持ちの人間を相手にするのと同義。思った以上にまずい状況。体術がどうとか、移動がどうとか、世界がどうとか気にしている余裕はない。


「――バグっ!!!」


『遅いわッ!!!』


 詠唱の隙に超大型甲虫が繰り出したのは、頭突き。超高層ビルをバットのようにスイングして、ぶつけられたような感覚。身体のあらゆる骨が粉砕され、臓器が押し潰されるのが伝わる。……蚊が人に殺される時ってこんな気持ちなのかな。過剰な痛みで脳は麻痺し、センチメンタルな気分だけが残る。


 結局、大したことはできなかった。アルカナの期待に応えることはできなかった。私の生死はともかくとして、このままいけば敵は気付く。天空に刻まれる魔法円を察し、妨害する。そうなれば終わりだ。私の『黒耀』でさえダメージを与えることができなかった甲虫相手に物理的有効打はない。行き着く先は、死だ。


「…………」


 その結論に反し、身体は白い煙を上げ、再生を始める。人間だと致命傷ではあったものの、悪魔では重傷レベル。運が良いか悪いかで言えば、運が良い。悪魔は脳さえ負傷しなければ、死なない。ただそれは、敵の追加攻撃がない場合に限る。


『先ほどの礼だ。ここで食ろうてやる!!』


 迫るのは、超大型甲虫の左右に分かれた小顎だった。触手のような毛が至るところに生え、私を捕捉するために伸びてくる。共有された知識が正しければ、これ自体に大した殺傷能力はなく、大顎で噛み砕いた獲物を口内に運ぶための補助機能。人間でいうところの指。スナック菓子を手で掴み、口に運ぶ感覚に近い。


 ……ようするに、私を舐めている。


 脅威はないと判断され、大顎を使わなかった。両断された獲物に等しい評価が下され、食べ物としか認識されていない。眼中にない。もはや、複眼を使うまでもないということだろう。人間並みの知能があるなら、天空の魔法円にもとっくに気付いているだろうし、私の陽動的役割も見抜いているはず。……このままいけば、『天使』の前座で終わる。助かったとしても、『悪魔』としてのキャリアは終わる。この戦闘は恐らく、悪魔界で生放送されている。『魔神』が御覧になられている。


(――仕方ないから、脚光を浴びてあげようかな)

 

 複眼の視野は約300~330度。口の中に入る前なら、バッチリ見えている。身体はピクリとも動かないけど、何もできないわけじゃない。首から上が動けば十分だ!


「――――――ッッッ!!!!!」

 

 私は明確な悪意を纏い、両目を見開いた。赤い瞳が露わとなり、『空間把握能力』に長けた複眼と強制的に目を合わせる。私からは見えない。ただ、相手が見えていればいい。視野が広いなら、それを逆手に取ればいい。


『………………』


 超大型甲虫の動きは止まる。美に魅入られる。神経回路にバグを引き起こす。同性だろうが、異種族だろうが関係なし。効果時間は約三分。相手の意思力や潜在センス量に左右されにくく、発動条件は目を合わせるのみ。難点と言えば、効果時間が一定なところ。条件が噛み合えば、半永久的に機能し続ける魔眼に比べれば、見劣りする。とはいえ、時間を稼ぐならこれで十分。陽動としての役割は果たしたし、『悪魔』の意地は見せられた気がするし、ここで死ぬなら悔いはなかった。惜しむべきは、アルカナの大技を見れなかったことぐらいかな。どうせ死んでも煉獄界に行くだけだし、いつかまた会える。別れの言葉より、再開した時の台詞を考えたかった。


「ブロックは……崩すためだけにあるんじゃないよ!!」


 そこに響いたのは、紛れもないアルカナの言葉。口内行きを遮るように青い結界が展開され、私はブロック崩しのボールのように弾かれる。……はぁ、と溜息をつきたくなるものの、そこまでの体力も元気もない。ただ、心の底には新たな感情が芽生える。動悸が激しくなり、私の視線は上空にいる存在に釘付けになっていた。


(――駄目だ。――友人の一線を越えちゃうかもしんない)


 彼にはきっと伝わらない私だけの気持ち。王子様に助けられる展開は女子なら一度は夢見るだろうけど、それが実際に起きたら誰でもバグる。魅入らせる側から魅入られる側へ。皮肉な運命を自覚していると、その時は訪れた。


秘奥召喚エヴォカティオ・アルカナ――【戦車クッルス】!!!!」


 上空から降り注ぐのは、規格外の超大型の戦車。


 質量の暴力を頼った甲虫は、質量の暴力により圧し潰された。

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