第115話 対超大型甲虫
危うく、死ぬところだった。『天使化』してる今となっては、死という概念が存在するのか分からないけど、物理的に肉体が破壊されるところだった。……だけど、そうはならなかった。彼女が土壇場で成長したように、僕もまた強くなった。
――最尤反転常中。
僕の身に起きた現象に反応し、最も選択されやすい結果を反転する。前回と違うのは、半自動的に発動するように改善したこと。それも、僕にとって不都合が生じる結果にだけ適用するようにした。内向きの悪意だから相手との因縁に依存する必要はないし、目まぐるしい攻防の中で最尤から逆算して、発動するしないを考えなくていい。脳の負担は少なく、エネルギー効率も高く、課題だった防御面は今までと比べものにならないくらい進化した。
これも、ジュリアの教えのおかげだ。
悪意は爆発であり、『瞬間火力』に特化するべし……というアドバイスを真に受けるんじゃなく、防御面にも転用できるんじゃ? と仮説を立てたのが功を奏した。通常時は意思を主体として戦い、非常時は悪意を使うと自分ルールを定めたことで煩わしい切り替え作業をする必要がなくなったんだ。これは多分、一から十まで彼女に教わっていたら、思いつかなかっただろう。悪意の入り口だけ整えてもらって、後は自由に解釈してもいいという『余白』を残した指導法が僕に刺さった。
結果として、『黒耀』はクソ雑魚パンチに変わった。
凄まじい威力を誇っていたのは間違いないけど、強くあればあるほど最尤の選出は固定化される。なんの不穏分子も混ざることなく、強→弱の切り替えがスムーズに行われ、大したダメージを負うことはなかった。……僕はまだまだ彼女との戦闘を楽しみたい。この狂った世界を心行くまで堪能したい。僕の意識が『天使』に呑まれてしまう前に、やり残したことを全て消化しておきたい。残された時間が目減りするのを感じる中で、目の前にいるのは、Bugって砦におけるメインコンテンツの一つ。
「ごきげんよう、レイドボス。思い出作りに利用させてもらうよ」
中庭を跳躍した僕は超大型甲虫と目線を合わせ、軽い挨拶を交わす。アレのおかげでジュリアとの戦闘は一区切りだ。共通敵が発生したことで、僕たちの足並みは強制的に揃う。その相方がピンチだって? 意思を持たない甲虫の大顎如きに、彼女が負けるはずがないだろ!!!
「――――」
僕の期待に応えるようにして、緋色の意思が中庭を彩る。幻想的で超常的な景色を前にして思わず見とれてしまったけど、ぼーっとしている暇はない。ジュリアが生きている前提で動く。直接的な連携を取ることがなかろうとも、僕は僕がやれることを精一杯やるまでだ。
「…………」
両手に装備されているのは、大型のコンパスと大型の直角定規。本来、定規で線を引くという動作に関しては制限がないものの、コンパスで円を描く動作には物理的な限界が存在する。小型から大型の魔法円を描くことはできても、可動域の問題で超大型の魔法円を一気に描くことは難しい。もちろん円弧を継ぎ足して、時間をかければ製図は可能ではあるんだろうけど、極めて効率が悪い。いくら脳のない甲虫とはいえ、長ったらしい作業に集中する暇は与えてくれないだろう。
やるなら一気に仕上げる必要がある。
ジュリアが戦術担当なら、僕は戦略担当だ。製図に捻出される時間はジュリアの耐久力に依存し、僕の見立てでは彼女の最大火力……『黒耀』でも決定打にならない。ようするに、ゲームオーバーの時間を逆算して締め切りを意識しつつ、規格外の超大型魔法円を成立させ、大技により甲虫を一撃で倒すのが僕の役目になる。
「一世一代の大仕事だ。魔術師としての集大成を今、ここで――っ!!!」
心意気を新たにし、大型のコンパスと直角定規を拡張させ、僕は製図を開始する。意思能力産の物質は物理法則に反している。その拡大解釈によって創造可変された物体は、厳しい戦況を覆すため、円と直線を天空に刻んだ。
◇◇◇
意思の力は感情に依存する。才能や努力や個体差による総量の違いはあれど、本質部分は変わらない。上振れる時は総じて感情が引き金となっており、上がり幅は感情を呼び起こすエピソードの濃さに左右される。
私はハサミが怖い。
そんな一文から始まる小説があったとして、誰が読みたがるんだろうか。きっと誰も興味がない。後ろ暗い話なんて誰にも共感されないし、事細かに話したところで私の気持ちを分かってもらえるとは思えない。表面的な同情や分かったフリをされるぐらいなら、何も言わない方がマシだ。生半可な情報開示は、相手に心を踏みにじる権利を与えることになる。もちろん、悪い人ばかりじゃないのは分かってる。かといって、良い人ばかりじゃないのも知っている。結局は、同じ経験をした人にしか私の気持ちは分からない。だから言わない。誰にも話さない。この気持ちは私だけのものだ。そして、それを想起させた甲虫に怒りを覚えるのも私だけの感情だ!!
「――――っっ!!!!!」
体表面を覆う緋色の意思が迸り、左右から迫り来る大顎の両断に干渉する。ギリギリと音を立て、閃光を散らせ、客観的に見れば拮抗していた。……ただ、主観的に見れば長くはもたない。感情を呼び起こして身を守る力に変えたとて、限度というものがある。相手が意思の力を使おうが使わまいが、規格外の質量の暴力に抗える者は少ない。蟻んこがどうやって恐竜の攻撃を耐えるんだって話。
(――まずいな。――意思能力抜きだとここいらが限界かも)
男女の肉体的なパフォーマンスの優劣がどうでもいいと思えるくらいの窮地。筋肉量もセンス量も人間を指標にすることで比較が成り立つ。数千年分鍛錬を積んでいようが、筋骨隆々の男だろうが関係なく、同じような結果が訪れるだろう。意思能力の内容によっては逆転可能だろうけど、攻防以外に意識を割けない。黒物質が通用するしない以前に、このままいけば私の全身は両断される。それも、この攻防を凌いだところで、大した作戦がないのも致命的だ。
(――なんとかしなきゃだけど、先行きが暗すぎる)
大顎が徐々に食い込んでくるのを肌で感じながら、私は天を仰いだ。
「………………」
見上げた空には『天使』がいた。夜空に魔法円を展開し、番狂わせを夢見る『友人』がいた。どちらが先行しているのかは分からない。ただ、意図は分かる。何をやりたいのかは言わずとも伝わる。自分事のように感じ取ることができる。
(――彼になら話してもいいかもな。――ハサミのこと)
絶望を演出した加害者であることを忘れ、私は彼を思う。きっとこれは『友人』と『親友』の狭間。恋愛感情を抜きにした友情の証明。オオエンマハンミョウを共通敵と認定し、魔法円完成の時間を稼ぐことが、私だけの使命。もはや、誰の同意もいらない。アレを倒せるかどうかで、私たちの関係性が決定する。
「――もうちょっとだけ、頑張りますか!!!」
私は限りあるセンスを最大限まで解放し、大顎を外向きに弾く。望むべきは大味な展開。意思能力が介在しない質量の暴力に抗う蟻んこの話。こっちなら誰かに興味をもってもらえるかもな。なんて考えながら、私は小結界を足場にして跳躍し、超大型オオエンマハンミョウの顔面にまで近付き、拳を振りかぶり、放つ。
「――――『黒耀』ッッ!!!!!!!」
巨躯に見劣りする稲妻が迸り、私は蟻んこなりの意地を見せた。




