第102話 外向きか内向きか
隠し部屋にいた金髪の男が身に纏うのは、僕に矢印を向けた明確な悪意。黒い点描で体表面を塗りたくったようなセンスを形成している。禍々しくはあったけど、彼の整った容姿も相まって、バッチリ決まったジャケット写真を彷彿とさせる。彼の名前も能力も未だ不明。最尤反転の性質上、何らかの予想を立てた方が有利な展開に持ち込みやすいんだろうけど、考察材料は限られている。
部屋を見る限り、『価値』や『支配』に関する能力の可能性が高いと見るべきか。僕とのやり取りから考えるに、帰る権利を与えるのと引き換えに、訪れた人から何らかの物品を奪ってきたのは間違いない。それが能力の一部に組み込まれている可能性が高く、相手の最も大事なモノを差し出させるか、奪うことで心身掌握する感覚系かな。断った僕に対してどう機能するか分からないけど、鍵を握るのは『アブラメリンの書』だ。奪われないように立ち回るのが当然として、仮に奪われたことで発動する条件達成型の能力なら、物理的対象に有効な最尤反転掌を合わせるのは難しい。かといって、迂闊に『アブラメリンの書』を使うと帰れなくなるかもしれないし、まずは……。
「――――」
僕は一瞬の間に思考を整理し、悪意を纏う。彼に明確な敵愾心を抱いているわけでもないから、内向きの悪意だ。彼のセンスと見比べれば、見るからにしょぼい。黒色の水彩絵の具で周囲を塗っただけのように見え、派手さに欠けていた。
やはりと言うべきか、僕は悪意の適性がないらしい。よくも知らない相手のことを怨めないと言い換えてもいいかな。さっきの甲虫みたく、誰かしらに危害を加えるような相手なら遠慮なく力を引き出すことができるんだけど、彼はそうじゃない。僕はあくまで不法侵入した側であり、交渉が決裂したのは僕にも非がある。
誰彼構わず邪魔者は排除する……みたいな性格だったら問題ないんだろうけど、そうじゃないし、すぐに変えようもないから受け入れるしかないな。悪意を全く使えないってわけでもないし、出力で劣っても工夫次第でどうにかなると信じたい。
「……」
僕は『アブラメリンの書』を腰付近にしまい、本用のホルスターを閉じる。続けて背中に装備された両手杖を取り出し、杖先に悪意を集中させる。いつもなら意思弾を中心とした遠距離戦に特化しているけど、同じことをやるなら悪意である意味がない。最尤反転掌は敵とのセンスの押し引きで負ければ恐らく発動失敗するし、何が起こるか分からない不安定さもある。敵の実力と能力がハッキリするまでは切り札として温存するのが無難だ。外向きの悪意が使えるなら常用してもいいけど、今は内向きの悪意でも使える新たなスタイルを確立する必要がある。
「ほぅ。曲がりなりにも悪意を纏えるか。だが――!!」
男は力強く地面を踏み込み、一気に距離を詰める。
両手に悪意を集中させ、肉弾戦に持ち込もうとしていた。
「――――――」
僕は流れる水の如く両手杖を振るい、防御に徹する。杖先に集中させた悪意をもってして、男の両手による猛攻を耐え忍んでいた。……感触は悪くない。通常時がセンスを切り離すのに特化しているものだとすれば、今のはその逆。センスを固定化することに特化し、内向きに生じる事象を反転させる。
『非力』→反転→『剛力』。
予想できない相手に合わせるより、予想できる僕に合わせる方が利口だと気付いた。どれだけ年齢を重ねても筋肉を鍛えるつもりはないし、考えが変わらない限りは能力発動が保証される。最尤反転掌と同じように思えるけど、厳密には違う。恐らく、外向きの悪意を用いた場合、相手を強い→弱い。内向きの悪意を用いた場合は僕を弱い→強いに変える。もちろん、最尤が『強弱』に限った話だし、物質や空間や能力に対して使用するなら話は変わる。
この技名を考える余裕はなかった。
まぁ、デフォルトで発動させる能力を、いちいち呼称する必要はない。僕に向けたものだし、僕の中でのイメージは固定化されているし、短文詠唱による出力増大を使わなくとも効果は申し分ない。問題は……。
「弱みを強みに変えたところで、体術の差は埋まらんぞ!!」
男の猛攻は苛烈さを増し、杖では捌き切れなくなってくる。仰る通りだった。反転した非凡な剛力が及ぶ効果範囲は杖先に限られている。全身で維持するには出力が足りず、杖先以外を叩かれれば、弱い魔術師のままだ。体術に心得があれば、杖先だけでも十分やれたんだろうけど、そこに関しては圧倒的に経験値が足りない。思い付きで発動させた能力で勝てるほど、敵は甘くなかった。
「……っっ!!」
拳を受けた杖先の防御がわずかにズレ、体ごと飛ばされる。背中から壁に激突し、ようやく止まる。方向は計算済みだったのか、そこは家具や財宝が置かれてない空虚なスペースだった。私財を壊されない程度にとことんやるつもりらしい。
(まずいな……。このままじゃ一方的にボコられて終わりだ……)
悠々自適に歩いてくる男の姿を見ながら、追い込まれたのを自覚する。互いに対して手の内は見せてないけど、基礎戦闘力で劣っているのは致命的だった。何らかの対策を講じる必要だけど、コレっていう手段は浮かばない。
「…………」
ふと目に入ったのは、懐から落ちた菫色のキノコだった。効能は不明。見るからに毒々しく、対虫用にとっておいた代物だ。彼に食べてもらうのも一興だけど、避けられたら終わりだし、当たっても口にしないはずだ。
「――」
だから僕は、リスクを承知の上でキノコを食べた。コントロールできないことに意識を割くんじゃなく、コントロールできることに意識を割いた。結果がこの凶行だ。何とも言えない苦みとえぐみが口いっぱいに広がり、吐き出しそうになるけど、僕は我慢して飲み込んだ。ほとんど咀嚼はしていない。味わいたくないし、味わう時間もなかったから、無理矢理喉に通して、胃に流し込んだ。
「……?」
男は歩みを止めて、小首を傾げている。
奇行に走った獣を見つめるように、様子を見ていた。
「…………ヒック」
出たのはしゃっくり。何でもない身体の機能の一部だった。でも、それだけじゃない。体温は上がり、身体は妙に火照り、頭がぼんやりとしてくる。立っているのもやっとになり、両手杖で足を支えるけど、目の前がグワングワンする。
「酔杖術と呼ぶべきか。面白い。受けて立ってやろう」
男は何を言ったか聞き取れない。
ただ、僕の身体は自然と動き出していった。




