第9話「人質の名は――天城遼真」
夕暮れの函館は、観光客で賑わうはずの広場が一転して緊迫した空気に包まれていた。
事件は思いのほか早く動いた。地元の商店街に潜伏していた犯人グループが突然姿を現し、人混みを盾に取るように暴れ出したのだ。
優人は三つ子を抱え、必死に雑踏の外へ走った。遼真が背中を押し、叫ぶ。
「優人! 子供たちを守れ! お前にしかできない!」
「遼真、まさか――」
「大丈夫だ。俺が行く。……姉さんの弟として、絶対に役に立つ」
その瞳に迷いはなかった。
次の瞬間、遼真は群衆の中に戻り、自ら犯人の前に立った。
「俺を人質にしろ。他の人たちは解放しろ」
男たちは一瞬驚いたが、すぐにその若者の覚悟を見て嗤った。
「へぇ……いい度胸じゃねぇか。名前は?」
「天城……遼真だ」
その名前が、後に町全体を震わせることになる。
◇
現場近くの指揮本部では、無線が一斉にざわめいた。
『報告! 人質の中に名乗り出た者がいます――名前は“天城遼真”。繰り返します、人質の名は――天城遼真』
一瞬の静寂。
次いで、現場の署員たちがざわめき立つ。
「て、天城……って、あの……?」
「まさか、県警本部長の“天城玲子”の……」
その場の空気が凍りついた。
玲子は、冷徹な指揮官の顔を崩さぬまま、強く言い放った。
「――その人質は、私の弟だ」
署員たちの息が詰まる。動揺は隠せない。
だが、玲子は鋭く部下たちを見回し、言葉を重ねた。
「動揺するな。弟であろうと市民であろうと、人命の重みは同じだ。ただ一つだけ命じる――怪我だけは絶対にさせるな」
声は揺らがなかった。だがその指の震えを、彼女の隣に立つ方面本部長・北条雅臣だけは見逃さなかった。
◇
北条雅臣は五十代半ば。白髪まじりの短髪に、鋭い目を持つ道警の重鎮だ。
玲子とは旧知の仲であり、彼女の実力と覚悟を誰よりも理解している。
「全員聞け!」
北条は無線を奪うように握りしめ、号令を発した。
「この場は一刻の猶予もない! 可能な限りの警察官を集めろ! 包囲網を広げろ! 人質の命を最優先とする! ……天城遼真を、必ず無事に取り戻す!」
その声に、動揺していた署員たちの背筋が伸びる。
「ハッ!」
「了解!」
玲子は横目で北条を見た。彼の采配に救われた思いだった。
「……北条本部長」
「玲子。お前は弟の姉である前に、本部長だ。だが――俺がいる。お前一人に背負わせはしない」
玲子の心に、一筋の光が差し込む。
だが同時に、胸の奥では焦燥が燃え上がっていた。
(遼真……どうして、そんな危険な真似を……!)
◇
一方その頃、人質となった遼真は、薄暗い倉庫に押し込められていた。
犯人の一人が携帯型無線で仲間とやりとりする声が聞こえる。
「おい、聞いたか? こいつ、天城玲子の弟だってよ」
「マジかよ! そりゃとんでもない“交渉材料”だな」
遼真は縛られながらも、心の中で必死に祈っていた。
(優人、子供たち……絶対に守れよ。俺がここにいる意味は、それしかないんだから)
――そして、運命の一夜が幕を開ける。
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