第8話 若女将の涙
帳場の灯りが弱々しく揺れていた。
昼間から続く客のざわめきも今は途絶え、宿全体が沈黙に包まれている。
天城遼真は、帳場の隅に座り込んでいる若女将・稲葉美智子に声をかけた。
「少し、お話を伺っても?」
彼女は最初、首を横に振った。だが、耐えきれぬように俯いた顔から一筋の涙が零れ落ちた。
「……どうして、こんなことになってしまったんでしょう」
「あなたは何か心当たりが?」
「私に……宿を継ぐ資格がなかったからかもしれません」
美智子の声は震えていた。
彼女は夫を早くに亡くし、女手ひとつで宿を切り盛りしてきた。だが経営は厳しく、常連客であった大場重三に多くを頼らざるを得なかった。
さらに、義兄・橋爪達郎は表向きには経営を助けているが、実際には多額の借金を抱えており、資産家大場との関係を強めることで支配権を握ろうとしていた。
「私は……宿を守りたいだけなんです。でも兄は、いつも“宿は金になる”と……」
美智子の声は嗚咽にかき消された。
遼真は黙って聞きながら、心の中で思考を巡らせた。
――経営権を巡る確執。
――大場重三の遺産。
――狐火を利用した連続の“見せしめ”。
全てが一本の糸で繋がり始めていた。
「若女将」
遼真は柔らかく口を開いた。
「あなたは無実です。ですが、この宿で何が起こっているのかを、きちんと知る必要がある」
美智子は顔を上げ、涙で潤んだ瞳で遼真を見つめた。
「……私、兄を信じたい。でも……」
その時、廊下の板がきしむ音がした。
振り向くと、そこに橋爪達郎が立っていた。
「ずいぶんと遅くまで、取材熱心ですね」
冷ややかな声。眼鏡の奥の目が、二人を射抜いていた。
若女将の肩がびくりと震えた。
彼女の涙と怯えが、何より雄弁に語っていた。――“この男こそが真実に近い”。
だが証拠はまだ揃っていない。
遼真は表情を崩さずに応じた。
「ええ、旅情記に欠かせない話ですから」
その裏で心に誓った。
――次こそ、狐火の正体を白日の下に晒し、真犯人を暴く。
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