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第3話「小さな鼓動を、最初に告げる人」


 夜更け。

 玲子は、寝室の灯りを落としたベッドの上で、ずっと胸にしまっていた紙片を取り出した。昼間に手にした妊娠検査薬。その確かな陽性反応が、震える指先にまだ熱を残している。


 隣で書類を閉じていた優人に、意を決して声をかけた。

「優人……」

「ん?」

 優しい眼差しが向けられた瞬間、胸の奥が熱くなる。玲子は深呼吸をし、言葉を紡いだ。

「私……赤ちゃんができたみたい」


 数秒、時が止まったかのように優人は瞬きを繰り返し、次の瞬間には顔を輝かせていた。

「……本当に? 玲子さんの中に、僕たちの……」

 震える手が玲子の手を包む。玲子はこくりと頷いた。

「まだ病院で確定診断を受けたわけじゃないけど……検査薬ははっきり陽性だったの」

「ありがとう……ありがとう玲子さん。俺、本当に幸せだ」


 抱き寄せられた腕の力は、これまで以上に強く、そして優しくて。玲子は胸に顔を埋めながら、自然と涙をこぼしていた。

「こんな日が来るなんて、夢みたいよ……」

「夢なんかじゃない。これからずっと、一緒に育てていくんだ」


 ◇


 翌日。

 玲子は弟・遼真を呼び出した。場所は、実家近くの小さなカフェ。窓際の席に座る彼は、出版社帰りらしく鞄を横に置き、姉の表情を不安げに見つめた。

「姉さん、体調は大丈夫? 昨日、電話で休むって聞いたから……」

「ええ、ありがとう。少し疲れていただけよ」

 カップに注がれた紅茶をひと口すする玲子。だがその目は揺れていた。


 やがて小さく吐息をもらし、声を潜める。

「遼真……実は、誰よりも先にあなたに伝えておきたいことがあるの」

 遼真の瞳が驚きに見開かれる。

「……なんだい?」


 玲子は震える指で自分のお腹に触れた。

「私、妊娠したの」


 言葉が落ちた瞬間、遼真は息を呑み、椅子から立ち上がりそうになった。だが必死に感情を押さえ込み、声を抑える。

「……本当に? 姉さんが……?」

「ええ。まだ初期だけれど、間違いないわ」


 玲子は弟の真っ直ぐな眼差しを見つめ、静かに告げた。

「でもね、まだ母さんや兄さん、真理亜には伝えていないの。落ち着いたら家族全員に報告するつもりよ。それまで、遼真……あなたにだけ秘密にしておいてほしいの」


 遼真は唇を結び、強く頷いた。

「わかった。絶対に誰にも言わない。……でも、姉さんが選んで俺に先に話してくれたこと、すごく嬉しいよ」

 玲子は思わず笑みを零した。

「あなたは、私の大事な弟だから。きっと支えてくれるって、信じてる」


 その言葉に、遼真の胸は熱く満たされた。編集者として日々新人を導く自分が、今度は姉とその新しい命を支える役割を担うのだと、心に誓った。


 窓の外、街の灯りが瞬いている。

 玲子はふとお腹に手を添え、小さく囁いた。

「もうすぐみんなに伝えるからね……それまで、私たちの小さな秘密よ」


 その秘密を共有した遼真は、真剣な眼差しで姉の横顔を見守り続けていた。



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