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第7話 推理の共鳴



 夜が明け、富山の空は鈍色の雲に覆われていた。

 雪解けの水が瓦屋根を滴り落ち、氷見家の庭に静かな水音を響かせている。


 玲子は縁側に座り、冷たい風を受けながら考え込んでいた。

 ――師匠とすれ違ったままの昨夜。

 優人からの甘い電話は心を温めてくれたが、同時に“この事件を必ず解かなければならない”という強い使命感を彼女の胸に刻んだ。


 そこに遼真がやってきた。

「姉さん、まだ悩んでるのか?」

「ええ……。師匠と意見が食い違ったままだから」


 遼真は肩をすくめ、横に腰を下ろした。

「でもさ、あの人も本気なんだと思うよ。だって、姉さんにわざと厳しいこと言う時って、いつも“試してる時”じゃないか」


 玲子ははっとして弟を見た。

「……そうかもしれない。師匠は私に“証拠を重んじろ”って言った。でも私は“心の動き”を信じたい」


 遼真は微笑む。

「じゃあ、どっちも正しいんじゃないの? 証拠と心。両方が揃わないと、事件は解けないんだろ」


 玲子は胸の奥で灯がともるのを感じた。

 ――その言葉が、まるで鍵のように閉ざされた扉を少し開いた。


 * * *


 その日の午後。大輔は現場検証を続けていた。

 蔵の扉に残された刻印を、さらに詳細に調べている。


「……師匠」

 玲子が足を踏み入れる。

 大輔は一瞬視線を上げただけで、無言のまま手元に集中していた。


「昨日は……言いすぎました」

 玲子の言葉に、大輔の手が止まった。


「……俺こそだ」

 低く短い声。だがそれは謝罪だった。


 玲子は安堵の息を漏らし、扉の印を覗き込んだ。

「この刻印……師匠は“自己顕示”だと見てますよね。でも私は、やっぱり“庇う動作”に思えるんです」


 大輔は腕を組み、玲子をじっと見た。

「根拠は?」

「……私が感じた影の仕草。それと――」


 玲子は弟の遼真に目を向けた。

「遼真が言ってたんです。“足跡が逃げてるようでいて、何度も後ろを気にしてた”って」


 遼真は慌てて手を振った。

「えっ、俺? ああ……でも、そう見えたんだよ。誰かを気遣いながら歩いてたみたいに」


 大輔はしばらく黙り込んだ後、再び扉の印に視線を落とした。

 そして小さく呟く。

「……確かに、線の深さが不均一だ。慌てて刻んだのか、それとも……迷いながら刻んだのか」


 玲子の目が輝いた。

「ほら! やっぱり“心”の痕跡なんです。迷いや、守りたい気持ちが刻みに出ているんです」


 大輔は深く息を吐いた。

「証拠は物理に残る。だがその痕跡に“心”が映ることもある……か。なるほどな」


 その言葉に、玲子は胸が熱くなった。

 師匠の理論と自分の直感が、ようやく重なった瞬間だった。


 遼真がにやりと笑う。

「ほらな、両方必要だったろ?」


 玲子と大輔は同時に苦笑した。

 その一瞬、緊張が解け、空気に柔らかさが生まれる。


 だが、大輔はすぐに表情を引き締めた。

「だがこれで終わりじゃない。問題は、この印が“次の場所”を示していることだ。つまり、犯人はまだ動いている」


 玲子は頷いた。

「私たちがこの迷路を解かなきゃ、また誰かが巻き込まれる」


 三人の視線が交わる。

 証拠と心、理論と直感。すれ違っていた道が、今ようやくひとつに重なり合った。


 ――それはまるで、共鳴する旋律のように。



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