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第3話 偽装の痕跡



 氷見家の当主は、深いため息を漏らしていた。

「古文書が狙われるなんて……我が家の面子に関わる。だが、盗まれた形跡はないのです」


 大輔は黙って頷き、部屋の隅に並んだ家族や使用人たちに目を向けた。

 玲子は緊張を抑えながら一人一人を見渡す。屋敷の中に、潜在的な“犯人”がいる――その事実が場を張り詰めさせていた。


「当主の長男・篤人さん、昨夜はどちらに?」

 玲子が問いかけると、篤人は眉をひそめた。

「仕事で外に出ていた。富山駅の方で会合があってな」

 落ち着いた口調だが、手元の指が小刻みに震えている。


 次に、長女の志保が口を開いた。

「兄はいつも外出ばかり。私は家にいたけれど……。誰かが蔵の方に行った気配は感じなかったわ」

 彼女の言葉には妙な確信が滲んでいた。


 遼真が小声で呟く。

「“気配を感じなかった”って……普通、そう言うかな?」


 玲子も違和感を覚えていた。――“見ていない”のではなく“感じなかった”。まるで、誰かの存在を意識していたかのように。


 さらに調べを進めると、使用人の一人が証言した。

「実は……昨夜、庭で見知らぬ影を見たんです。けど、あまりにも一瞬で……」


 その証言に志保が強い反応を見せた。

「嘘よ! そんなのありえない!」


 玲子は胸の奥がざわついた。

 なぜ彼女は、そこまで強い否定をしたのか。


 大輔はその場の空気を制し、冷静に告げた。

「ふむ……今のやり取りでひとつ確信したことがある」


「確信……?」玲子が問うと、師は低い声で続けた。

「この事件、“盗難未遂”ではない。最初から“未遂を装うこと”が目的だった」


 玲子は息を呑んだ。

 未遂そのものが仕掛け――ならば、真の狙いはどこに?


 ふと彼女の脳裏に、再びキムチの辛味が蘇る。

 舌に残る刺激が、記憶の奥から“蔵の前の影”を鮮明に呼び覚ました。

 ――その影は、確かに“誰かを庇うように”刻印を残していた。


「……偽装です」玲子は小さく呟いた。

「蔵を狙ったのは嘘。本当は――」


 大輔が頷き、言葉を継ぐ。

「本当の目的は、屋敷にいる“誰かを守ること”。」


 その場に重苦しい沈黙が落ちた。

 容疑者は“犯人”であると同時に“庇う者”でもある。

 氷見家の奥に眠る秘密が、じわりと浮かび上がり始めていた。



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