第2話 師弟、最初の推理
氷見家の蔵の前には、まだ雪解けの残る庭石が並んでいた。
白い息を吐きながら、玲子は蔵の木戸を見つめる。昨夜、何者かが侵入を試みた痕跡が残されていた。
「鍵は壊されていない。けれど、蝶番の金具に微かな傷……。こじ開けようとしたけど、途中で断念した?」
玲子はしゃがみ込み、懐中電灯を当てる。金属の細い傷筋が斜めに走っていた。
背後で、大輔が腕を組んで頷いた。
「悪くない観察だ。だが、そこに留まると推理は浅いままだ」
「浅い、ですか?」
「そうだ。侵入に失敗した犯人なら、なぜ途中で諦めたのか。その理由まで考えろ」
玲子は唇を噛んだ。
確かに“未遂”に終わった理由こそ、真実を暴く糸口になる。
横で遼真が口を挟む。
「単純に、誰かに見られたからじゃない? ……あっ、ほら」
彼は庭の雪を指差した。
「この足跡。蔵から離れるように続いてる」
玲子と大輔は目を細める。雪に残された跡は確かに一人分だが――。
「いや、違うな」大輔が即座に否定する。
「この足跡、よく見ろ。つま先の向きが不自然だ」
玲子も覗き込み、息を呑んだ。
「……逃げたんじゃない。蔵を背にして歩きながら、何度も後ろを気にしていた?」
「そういうことだ。つまり、“盗みに失敗した”のではなく、“わざと未遂にした”。」
大輔の声が冷えた冬空に響く。
玲子は思わず背筋を正した。
「わざと……?」
「そうだ。蔵に仕掛けを残すためにな」
遼真が驚いた表情を浮かべる。
「仕掛けって……何かまだ残ってるってこと?」
大輔は蔵の扉に近づき、懐中電灯を持つ手で微かに木の表面をなぞる。
そこには、人目では分からないほどの浅い傷で描かれた奇妙な模様が刻まれていた。
「これは……印?」玲子が息を呑む。
「そうだ。符号のような、あるいは暗号のようなものだ」
大輔は顔を上げ、弟子に向かって言う。
「玲子、この痕跡の意味を考えてみろ。お前の直感に任せていい」
玲子は目を閉じた。
――その瞬間、鼻先にまだ残る“キムチの香り”が蘇った。凛奈が言っていた通り、辛さが記憶を呼び覚ます。
浮かんだのは、さきほど一瞬見えた“蔵の前に立つ影”。
その影は何かを扉に刻んでいた……。
「これは……犯人が“次に来る場所”を示してる?」
玲子が震える声で答えると、大輔は口角をわずかに上げた。
「いいぞ。そうだ、その視点だ」
遼真は目を丸くする。
「どういうこと?」
「つまりだ」大輔は静かに言った。
「犯人は“未遂”を装い、蔵に暗号を刻むことで“真の狙い”を隠した。盗まれたのは、この印そのもの――いや、印が示す“次の場所”だ」
玲子は師の言葉に息を呑む。
初めての本格的な推理――自分の直感が、師の理論と結びついていく。
だが同時に胸がざわついていた。
“次の場所”とは一体どこなのか。
そして、なぜ犯人はこんなまわりくどい方法を選んだのか。
玲子は無意識に拳を握った。
凛奈が残していった“辛すぎる鍵”は、確かに事件の核心に繋がっている。
その炎のような刺激が、師弟の推理を次の段階へと導こうとしていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
もしこの物語に少しでも「面白い!」と感じていただけたなら——
ブックマーク & 評価★5 をぜひお願いします!
その一つひとつが、次の章を書き進める力になります。
読者の皆さまの応援が、物語の未来を動かします。
「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ、見逃さないようブックマークを!
皆さまの応援がある限り、次の物語はまだまだ紡がれていきます。




