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第二話「神在月の影」



事件発生の報せは瞬く間に広がり、夜の出雲大社周辺は騒然としていた。

境内には黄色い規制線が張られ、懐中電灯の光が行き交い、参拝客たちの不安げなざわめきが闇に吸い込まれていく。


遼真は現場近くの石段に座らされ、警察官二人に取り囲まれていた。

両の手は血に濡れている――だがそれは被害者を助けようとした証でもあった。

しかし、周囲の視線は容赦なく「犯人」という烙印を押し付けてくる。


「……どうして、俺ばっかり……」

小さく呟いたその声を、玲子はすぐ傍で聞き取っていた。


彼女は深く息を吸い込み、覚悟を決めたように立ち上がった。

だが、その瞬間。


「――天城遼真。お前がまた現場の第一発見者とはな」


低く響く声が夜気を切り裂いた。

振り返った玲子の瞳に映ったのは、黒いコートを翻して歩み寄る一人の男――兄、天城隆明。

警察庁刑事局長という重責を担う、冷徹な鋼のような兄だった。



「兄さん……」

思わず洩れた玲子の声に、隆明の視線がわずかに揺れる。

しかし彼はすぐに無表情に戻り、冷ややかな口調で応じた。

「……失礼だが、どちら様かな」


玲子の胸に痛みが走った。

自分を「姉」と呼んできた弟を守るためには、立場を隠し通さねばならない――隆明はそう判断していた。

玲子は一瞬、声を詰まらせる。だが、彼の意図を悟り、静かに頭を下げた。


「ただの旅行者です」


その様子を見ていた地元警察官が眉をひそめる。

彼らの目には、明らかに不自然な空気が映っていた。


「刑事局長、失礼ですが……お知り合いなんですか?」

巡査部長らしき男が問い掛ける。


隆明は一拍置き、薄い笑みを浮かべて答えた。

「いや……人違いだ。私の勘違いだろう」


しかしその瞬間、玲子と隆明の間に流れた沈黙と視線を、警察官は見逃さなかった。

「……そうですか」

訝しむような表情を浮かべながらも、彼らはそれ以上は踏み込めなかった。



数時間後。

夜も更け、現場検証が続く中。

玲子は宿泊先に戻るふりをして人混みを離れ、人気のない参道の脇でスマートフォンを取り出した。

通話先は――隆明。


「……兄さん。やはり来ていたのね」


電話越しに聞こえる兄の声は、現場での冷徹な態度とは違い、かすかに揺れていた。

『……お前も、やはり気付いていたか』


玲子は唇を噛み、強い声音で言った。

「兄さん、遼真は犯人じゃないわ。あの子が人を殺すなんて絶対にあり得ない」


一瞬の沈黙。

隆明は低く唸るように答えた。

『……証拠は遼真に不利だ。第一発見者、そして血の付いた手。周囲の証言も彼を指している』

「それでも、私は信じる。遼真は真っ直ぐな子。どんな時でも人を守ろうとする。……兄さんだって分かっているでしょう?」


電話の向こうで、隆明は目を閉じた。

確かに、幼い頃から正義感の強い弟であった。

しかし今、自分は刑事局長という立場。感情だけで判断することは許されない。


『……玲子。俺は刑事局長だ。お前は県警本部長だ。立場を忘れるな』

「……立場よりも、家族よ」

玲子の声は震えたが、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。


通話が切れたあと、玲子は夜空を仰いだ。

篝火の煙が消えた暗闇の先に、まだ見ぬ真実が潜んでいる。


――必ず、弟を救ってみせる。


彼女の心は、揺るぎない誓いに包まれていた。



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