第二話「神在月の影」
事件発生の報せは瞬く間に広がり、夜の出雲大社周辺は騒然としていた。
境内には黄色い規制線が張られ、懐中電灯の光が行き交い、参拝客たちの不安げなざわめきが闇に吸い込まれていく。
遼真は現場近くの石段に座らされ、警察官二人に取り囲まれていた。
両の手は血に濡れている――だがそれは被害者を助けようとした証でもあった。
しかし、周囲の視線は容赦なく「犯人」という烙印を押し付けてくる。
「……どうして、俺ばっかり……」
小さく呟いたその声を、玲子はすぐ傍で聞き取っていた。
彼女は深く息を吸い込み、覚悟を決めたように立ち上がった。
だが、その瞬間。
「――天城遼真。お前がまた現場の第一発見者とはな」
低く響く声が夜気を切り裂いた。
振り返った玲子の瞳に映ったのは、黒いコートを翻して歩み寄る一人の男――兄、天城隆明。
警察庁刑事局長という重責を担う、冷徹な鋼のような兄だった。
◆
「兄さん……」
思わず洩れた玲子の声に、隆明の視線がわずかに揺れる。
しかし彼はすぐに無表情に戻り、冷ややかな口調で応じた。
「……失礼だが、どちら様かな」
玲子の胸に痛みが走った。
自分を「姉」と呼んできた弟を守るためには、立場を隠し通さねばならない――隆明はそう判断していた。
玲子は一瞬、声を詰まらせる。だが、彼の意図を悟り、静かに頭を下げた。
「ただの旅行者です」
その様子を見ていた地元警察官が眉をひそめる。
彼らの目には、明らかに不自然な空気が映っていた。
「刑事局長、失礼ですが……お知り合いなんですか?」
巡査部長らしき男が問い掛ける。
隆明は一拍置き、薄い笑みを浮かべて答えた。
「いや……人違いだ。私の勘違いだろう」
しかしその瞬間、玲子と隆明の間に流れた沈黙と視線を、警察官は見逃さなかった。
「……そうですか」
訝しむような表情を浮かべながらも、彼らはそれ以上は踏み込めなかった。
◆
数時間後。
夜も更け、現場検証が続く中。
玲子は宿泊先に戻るふりをして人混みを離れ、人気のない参道の脇でスマートフォンを取り出した。
通話先は――隆明。
「……兄さん。やはり来ていたのね」
電話越しに聞こえる兄の声は、現場での冷徹な態度とは違い、かすかに揺れていた。
『……お前も、やはり気付いていたか』
玲子は唇を噛み、強い声音で言った。
「兄さん、遼真は犯人じゃないわ。あの子が人を殺すなんて絶対にあり得ない」
一瞬の沈黙。
隆明は低く唸るように答えた。
『……証拠は遼真に不利だ。第一発見者、そして血の付いた手。周囲の証言も彼を指している』
「それでも、私は信じる。遼真は真っ直ぐな子。どんな時でも人を守ろうとする。……兄さんだって分かっているでしょう?」
電話の向こうで、隆明は目を閉じた。
確かに、幼い頃から正義感の強い弟であった。
しかし今、自分は刑事局長という立場。感情だけで判断することは許されない。
『……玲子。俺は刑事局長だ。お前は県警本部長だ。立場を忘れるな』
「……立場よりも、家族よ」
玲子の声は震えたが、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
通話が切れたあと、玲子は夜空を仰いだ。
篝火の煙が消えた暗闇の先に、まだ見ぬ真実が潜んでいる。
――必ず、弟を救ってみせる。
彼女の心は、揺るぎない誓いに包まれていた。
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