第3話 狙撃犯の影
大広間に響いた銃声は、祝宴の空気を一瞬で引き裂いた。
会場にいた誰もが息を呑み、凍りついたように動けなくなる。
「玲子!」
優人が真っ先に動いた。弁護士見習いとしての冷静さを捨て、ただ一人の婚約者を守ろうと身を投げ出した。玲子の肩を抱き寄せ、その身体を覆う。直後、シャンデリアの脇の柱に弾痕が刻まれ、白い破片が散った。
「……狙われたのは、私?」
玲子の声は低く、しかし震えてはいなかった。
銃声の方向を見定めた刑事部長・横溝昭二が声を張り上げる。
「狙撃だ! 全員伏せろ! 警備班、窓の外を確認しろ!」
警備部長の大塚辰巳もすぐさま動く。部下たちが一斉に窓際に走り、外の建物や屋上を睨みつけた。しかし犯人の影はどこにも見えない。
「玲子、本当に大丈夫か?」
優人が彼女の頬を覗き込み、震える手で肩を押さえた。
「ええ……かすりもしていないわ」
玲子は落ち着いた様子で答えたが、彼女の目は鋭く光っていた。まるで狙撃犯の意図を必死に読み取ろうとしているかのように。
――なぜ私が狙われた?
祝宴の主役は佐伯家と天城家。狙撃者の標的が玲子である理由は、現場にいる誰もがすぐには理解できなかった。
そのとき、会場の隅で伏せていた遼真が小さく息を呑んだ。
心の奥底でひとつの名前が浮かび上がったからだ。
「……柳瀬透」
高校時代の先輩。遼真の一学年上で、地元でも評判の秀才だった。だが彼には秘密があった。遼真がまだ高校一年の頃、すでに大学生になっていた柳瀬は、しばしば学校に顔を出し、後輩たちに慕われていた。
だが、彼が本当に想いを寄せていたのは――玲子だった。
当時、玲子は大学生。警察官僚の娘として既に頭角を現しており、美貌と知性を兼ね備えた存在だった。柳瀬は彼女に憧れ、同級生や後輩の前で何度も彼女を褒め称えていた。遼真は偶然、その場に居合わせて知ってしまったのだ。
だが玲子が彼に振り向くことはなかった。柳瀬は想いを伝えることもなく、やがて大学を卒業して消息を絶ったと聞いていた。
――まさか。
狙撃犯が柳瀬透だと断定する証拠はない。だが、玲子を狙う理由を持つ人物として、真っ先に思い浮かぶのは彼しかいなかった。
「遼真、顔色が悪いぞ」
すぐ傍にいた隆明が低く問いかける。
「兄さん……もし狙撃犯が、本当に玲子姉さんに執着を持っている人物だとしたら……」
遼真の声は震えていた。
隆明が目を細めた。
「……知っているのか?」
遼真は小さく頷いた。
「高校時代の先輩です。名前は――柳瀬透」
隆明の瞳に緊張が走る。父・輝政もその名を聞き取り、険しい顔をした。
「柳瀬……確か、警察庁に入るという噂もあったが、消息を絶ったはずだ」
一方で玲子と優人は、この名に聞き覚えがなかった。二人は顔を見合わせる。
「柳瀬透……知らないわ」
玲子は小さく呟く。
「俺もだ。玲子を狙う人物だというのか?」
優人の瞳に怒りが灯る。
遼真は強く唇を結んだ。
「……もし彼が犯人だとすれば、姉さんを狙う動機は“過去の執着”です。でも、今どこで何をしているのかは僕にもわからない」
銃声が鳴り響いた窓の外は、すでに警察官たちによって封鎖されつつあった。しかし――
「狙撃犯の影は、まだそこに潜んでいる」
玲子は窓の向こうに視線を向けた。
夜の横浜の街並み。そのどこかに、確かに彼女を狙う瞳が存在しているのだ。
会場全体に不気味な沈黙が広がった。
祝宴は、もはや完全に“戦場”と化していた。
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