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第4話 伝承と因縁



 昼下がりの《稲荷の湯》は、不自然なほど静まり返っていた。

 帳場には宿泊客の姿もなく、廊下を吹き抜ける冷たい風が、古びた木戸をきしませる。


 天城遼真は、湯治客から“古くから宿にいる”と噂される古老に話を聞くため、離れの一室を訪ねていた。

 布団に座していたのは、白髪を長く伸ばした老人――稲葉源蔵。若女将の祖父にあたり、この宿の歴史を誰よりも知る人物であった。


 「狐火の伝承をお尋ねしたいのですが」

 遼真が丁寧に切り出すと、源蔵はしわがれ声でゆっくりと語り始めた。


 「……あれは、わしが子供の頃から言い伝えられとる。山の稜線に青い火が浮かぶとき、人は道に迷い、二度と戻れん。稲荷の神が怒った証や、とのう」


 「神の怒り、ですか」

 「せや。昔、この宿を建てるとき、地主やった大場の先祖が神域を削った言う話もある。その祟りやと囁かれてきた」


 遼真は眉を寄せた。――大場重三。昨日、浴場で亡くなった資産家。

 その姓は、この伝承と深く結びついていたのだ。


 「つまり、大場家はこの宿と因縁があった……?」

 「ほうや。先祖の所業を隠すようにして、長年ここに出入りし続けとる。金で贖おうとしたんやろうが、土地の者は皆、腹の底で憎うてた」


 老人の声には、長年積もった怨嗟の色すら混じっていた。


 遼真が部屋を辞し、庭先へ出ると、廊下の影に立つ若女将・美智子の姿があった。

 「……大場様のこと、調べておられるんですね」

 かすれた声でそう言う彼女の頬は、涙の跡で濡れていた。


 「あなたは何か、ご存じなのでは?」

 遼真が静かに問いかけると、美智子は唇を噛み、首を横に振った。

 「私は……ただ、宿を守りたいだけなんです」


 その背後から、義兄の橋爪達郎が現れた。

 「取材だからといって、あまり詮索しないでもらいたい」

 冷たい声音には、露骨な敵意がにじんでいた。


 ――やはり、この兄妹には何か隠していることがある。


 遼真の胸中で確信が強まった瞬間、宿の外から叫び声が響いた。

 駆けつけた人々の視線の先には――山道の中腹で、再び青白い狐火が揺らめいていた。


 その光は、昨夜よりも鮮明で、まるで誰かを誘うかのように、不気味に漂っていた。



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