ヒミコの国造り・7
「誰か!助けて!助けてくれ!オレはロボトミー手術なんか受けたくない!!」
遠くから捕まった男の悲痛な叫び声が聞こえる。徐々に小さくなる声は、間違いなく病棟の方へ連れて行かれていることを示唆していた。
食堂内に放送が入った。
『当施設では法に則り適切な治療を行っております。不安や疑問を持たれた方は、お気軽にスタッフ・医療関係者にお尋ねください』
食堂内のざわめきは落ち着くことはなかった。あちらこちらで「どうせ質問しても嘘しか答えないんだろう」と囁く声が聞こえる。
この法治国家でさすがに人道にもとるような行為がなされているとは思えないが、脱走者を目にするとさすがに野口も不安になった。
「さっき脱走して捕まった人、ここ2回目だったんだって。わりと有名な人だったんだけど、野口さん知ってる?」
「誰?芸能人?」
朝食をトレイに乗せた立花が、すでに座っていた野口と田川の横へ来た。
「児ポで捕まった人。自分は妊娠しない子供にしか欲情しないからって結紮してなかったヤバいヤツ。ニュースでやってたんだけど覚えてない?結局最初に捕まったときに結紮どころか去勢されちゃったんだけど、懲りずに画像だの動画だの売ったり買ったりしてたらしいのよ。んで今回3回目」
山盛りのごはんの真ん中に穴をあけ、混ぜた納豆を流し込みながら立花が説明する。
箸を両手の親指と人差し指の中に挟んで「いただきます」と言う立花を見ながら、野口はぼそりと呟いた。
「それでロボトミー手術を心配してるのか……」
10年ほど前、性犯罪に対する刑罰が重罰化した時期があった。加害者の顔も名前も住所も公開され、引っ越しても生きている限り永遠に追跡され、公開され続けた。
加えて服薬・行動療法などの治療が効かない場合には、去勢手術、さらにはロボトミー手術と人権無視の体罰とも取れる措置がエスカレートしていった。
結局諸外国からの批判もあり、ロボトミー手術は中止になったはずだが、今も一部の犯罪被害者からは根強くロボトミー手術を希望する訴訟があると聞く。
「セックスってさあ、ココとアソコが気持ちいいだけの問題じゃないじゃん?お互い心も乳繰り合ってのコミュニケーションじゃん?それをさー、まだ頭ん中正義の味方とかカッコいい芸能人とかでいっぱいのガキんちょなんかと楽しめるわけないじゃん。頭悪いよねー、何が楽しいんだろう」
気持ちいいほどの勢いで立花はごはんをかき込む。
「小児性愛は結局支配欲とも言われますね。相手への愛情というよりは、優越感が興奮に繋がるという」
「大人相手にSMすりゃあいいじゃんねえ」
「SMは信頼関係のもとに成り立つ遊戯ですからね。幼稚な支配欲では到底プレイできませんもんね」
立花と野口はぎょっとして田川を見た。
「詳しいっすね」
「聞いた話です」
落ち着いて答えるところが怪しいと立花も野口も思った。
「小児性愛なんて結局ただの暴力ですよ。厳罰もやむなしです」
そういって田川はゆっくりお茶をすする。
「では田川さんはロボトミー手術賛成派なんですか?」
野口が訊くと、田川は小さく唸りながら湯呑を下ろした。
「子供が性犯罪に巻き込まれることはなんとしてでも防がねばなりません。でも大人だって男女関わらず性犯罪に巻き込まれるのは、『しょうがない』で済まされることではないですよね。性犯罪だけじゃなくて、犯罪自体誰も巻き込まれたくないし、犯してはならない」
田川はふうとため息をついた。
「ロボトミー手術で欲望から解放されて穏やかに過ごせるのなら、その後の人生絶対に法を犯すことがないのなら、脳に少し手を加えるくらい構わないのかもしれません……」
野口は田川が見つめる先に視線を合わせた。そこには原口がいた。少し前に野口や田川に突っかかって来たことなど無かったかのように、終えた食事を前にあいまいにほほ笑んでいた。原口はほほ笑んだまままっすぐに立ち上がると、トレイを持って左を向き、回収口へと進んで行った。
「なーんて思えます?あれ見て」
「……絶対やられてますね、あれ」
「あのじいさん、子供相手にはなんもやってないはずなんだけどなあ。おっかねー」
原口が失禁や痙攣をたびたび起こすようになった。もう一度病棟に連れて行かれるのではと噂され始めた頃、原口は自殺した。
本当に自殺したのか、手術の失敗か。それとも……。
結紮が済んだ者、治療を終えた者は次々と退所していく。
さほど治療は必要なく、コンドームの重要性や性病の怖さ、中絶のリスクなど義務教育で習うような性教育をとくとくと叩き込まれた立花は、長い長い反省文をしたためて退所して行った。
そして、1か月を待たずに精液から精子の姿が見えなくなった田川が明日退所することになった。