ヒミコの国造り・2
息子・野口海斗は誕生日が間近だったとはいえ未成年だったこともあり、罪に問われることはなかった。
ただし、誕生日当日まで監視が付き、誕生日当日その朝すぐに病院へと連行され、精管結紮術を施された。
息子を逃亡させようとした父親・野口悟は、未だ施設に収容されていた。
そこは精管結紮術を免れようとした者、あるいは精管結紮術を悪用し、性犯罪を行った者が入る特別更生施設であった。
「あんた、ゲイの息子を逃がそうとしたんだって?」
ニヤついた声をかけられ、野口は鼻白んだ。
こういう場所は外の情報が入りにくいにも関わらず、知らないうちに誰の事情も知れ渡っているものだ。ここは特に精管結紮術に纏わった者しかいない。
とはいえ、下品な好奇心を隠そうともせずいきなり話しかけてくる者などろくな人間ではないことは確かだ。
野口は無視して仕事に集中したが、男は構わず話続けた。
「よくある手だよなあ。10年ぐらい前まではゲイは対象外だったもんな。俺も昔ゲイだっつって結紮逃れたんだけどよ。そのあと女が妊娠しちまってさあ。責任取れだのなんだの迫られてさ。結局訴えられてされちまったもんなあ結紮」
野口は険しく眉を寄せて男を見た。
「なんでゲイなのに女性とセックスしたんですか」
男は眉を下げて言った。
「嘘に決まってるだろう、ゲイなんて。結紮したくなかったからそう言っといたんだよ」
野口は愕然とした。いるとは聞いていたが、本当になんの悪びれもせずゲイを語り女性に暴行し、他のゲイまで結紮に追いやったくせになんの反省もしてない人間を見るのは初めてだった。
「あなたみたいな人がいるから……!」
「そりゃ逆恨みだよ~」
男はやれやれといった風に肩をすくめる。
「精管結紮術なんて、なんで男が避妊のために身体に細工しなきゃいけないのさ~、妊娠するのは女なのに。妊娠する方が対処するのが当たり前でしょう、避妊なんてさ。ピルだってある、IUÐだってある、避妊インプラントだってある。最悪妊娠しても中絶すりゃあいいことなのに、なーんで男ばっかり精管縛んなきゃいけないの。おかしいと思わないの?あんた」
野口は怒るのも忘れ唖然とした。たしかに野口自身も精管結紮術の義務には反対だが、それは女性が避妊すればいいと思っているからではない。セックスはお互い愛し合い、同意を持ってするものだ。
「なぜそこにコンドームの選択がないんですか……」
「コンドームだって妊娠したくない女の方が用意しとくもんでしょ」
男は当たり前と言わんばかりに首をすくめる。そして野口を諭すように付け加える。
「あのねえ、射精なんてものはただの生理現象。あって当たり前のもんなんだから、それで妊娠するのがやだってんなら女が自衛しなきゃ」
野口は頭を思い切り殴られたような気がした。
野口自身、すべて納得したうえで精管結紮術を受けたわけではない。あくまで義務なので仕方なくだった。
子供の頃から、それこそ小学校に入った頃から性教育は充分受けてきた。
人体はどうなっているのか。男と女の身体の違いはどうなのか。赤ちゃんはどうやってできて、どうやって生まれてくるのか。
人を愛するとは、身体を繋ぐとは。性交とは自慰とは避妊とは中絶とは出産とは育児とは養育とは。
成長に伴っていろんなことを教え聞いたが、それでも精管結紮術を受け入れるには抵抗があった。
野口の初体験は17歳だった。
当時悪友たちの間で、精管結紮術の前に『ナマ』で済ませておくことが流行っていた。
危険な遊びだった。事実それで相手の女性を妊娠させてしまい、罪に問われた者もいるし、行きずりの相手から病気を伝染された者もいる。
野口の相手は当時付き合っていた同級生の女の子で、絶対に傷つけたくないという思いからコンドームを使った。
相手の女の子は「いいの?」と訊いて来たが、「当り前だ」と答えた。
コンドームさえ使えば、セックスなんてなんの問題もないのに。
そう思いながらも、国の義務である精管結紮術を拒むことはできなかった。
精管結紮術を施しても結局セックスをするときには性病予防のためにコンドームを使用する。
なんのための精管結紮なのかと野口は何度も考えた。
だがたまにニュースに流れてくる中絶の話題を見るたび、少数でもこんな事件があるからなのかと思わざるを得ない。だが本当にそうなのかと。女性を中絶たらしめた個人だけを罰すればいいことなのではないかとも思う。
わだかまりは解けないまま野口は今の妻と結婚し、子供をもうけるタイミングを話し合って精管復元手術を受けた。そして息子・海斗を授かったのだ。
その後、もう1人か2人、子供を授かってから再び精管結紮術を受ける予定であった。
だが、野口がもう一度精管結紮術を受けることはなかった。
健康診断のたびにのらりくらりとその話題は躱し、今も野口には精通がある。
男の子を授かって、改めて野口は思ったのだ。精管結紮術義務化はおかしいと。国民の男性が一律、精管を結紮しなければならないなど、人権蹂躙も甚だしいと。
実際、精管結紮術義務化反対の声を上げている人々は存在する。だがその法律が覆されるには未だ至っていない。せいぜい個人個人がこうやって結紮を免れるために外国へ逃亡したり、結紮を誤魔化したりするくらいしかできないのだ。
そして結局当局に捕まり、収容される羽目になる。
だが、ここへ来てどうだろうと周りを見渡す。
ここにはさまざまな理由で精管結紮を免れようとし捕まった者たちがいる。
その中には目の前の男のように、自己中心的な理由で精管結紮を逃れ、女性を傷つけてもまだそれは仕方のないことだったのだと言い張る者も他にいるかもしれないのだ。
たった何人かの、セックスと暴力の区別もついていないような人間のせいで精管結紮術が義務付けられているのか。
それを果たして正義と呼んでいいのか。
野口は歯噛みした。