7.「やっほー。籠絡されにきてあげたよ?」
オレンジやクリーム色の温かみのある建物。
石畳の道沿いに並ぶ、こうばしい香りを漂わせるパンや、みずみずしい果物の屋台。
そこから聞こえる「安いよ」「パンはいかが」といった客寄せに、はしゃぐ子供たちの無邪気な笑い声。
噴水の前では旅芸人が小剣を使った芸を披露して観客を沸かせ、隣では小さな楽団が軽快な音楽を奏で、若い男女がそこで即席のダンスを踊っている。
「うわぁ。すごいです!」
馬車の窓から見える街並みは活気に満ちあふれていた。
シェリルがルークに『メロメロ』を宣言してから、早四日。
とうとう馬車はオルテガルドのヴァレンティノ領にたどり着いていた。ヴァレンティノ領はエルヴィシアの国境近くにあるらしく、こんなに馬車を走らせたにもかかわらず、シェリルたちはまだオルテガルド国内の端っこにいるらしい。
馬車の窓にはりつくようにしているシェリルに、隣に座っていたルークが苦笑を漏らす。
「そんなにオルテガルドが珍しい?」
「はい! こんなにたくさんの人、初めて見ました!」
シェリルは頬を桃色に染めながらはしゃいだような声を出した。
ルークが馬ではなく馬車に乗っているのは、領内に入り外部からの襲撃の危険減ったことと、領主として領民に顔をあまり出したくないためらしい。
「まぁ、うちは比較的人口が多いからね。といってもエルヴィシア王都の方が活気があるんじゃない?」
「そうなんですか?」
「『そうなんですか?』って。シェリルの国でしょ?」
「私、街に出たことがないので」
「街に? 一度も?」
「はい、恐らく。物心つく前とかならわかりませんが」
シェリルの言葉にルークは少し驚いたような表情を浮かべた。
しかし、そんなルークの表情に気づくことなく、シェリルは会話を続ける。
「そういえば、皇帝陛下への謁見は本当にしなくてもよかったんですか?」
「あぁ、うん。半年後の結婚式の時でいいって。あの人もいまは忙しいから」
「そう、なんですね」
(半年後……)
つまり、このまま行けばシェリルは皇帝に会うこともなく、また結婚式もすることなく、ルークに殺されてしまうということだ。
(やっぱり何度見ても、自叙伝の最後のページは変わっていませんしね)
シェリルにしては結構頑張っているのだから、書き換わるというところまで行かなくともインクの色が薄くなるぐらいの変化は起こってくれてもいいのだが、やっぱり何回見ても何十回眺めてもインクの色も文字も寸分違わず最初に見たときのままだ。
(ルーク様とも少しだけ仲良くなってきたような気がしますのに)
シェリルがそっと息をつく隣で、ルークは深く座面に腰掛ける。
そして、少しだけ気の抜けたような声を出した。
「ま、これでようやく俺も落ち着けるかな」
「私の見張り、お疲れ様でした」
ルークはその言葉に苦笑をこぼしつつ、「どういたしまして」と笑った。
「あぁ、そういえば、荷物を乗せた馬車も今日合流するみたいだよ」
「え!? 本当ですか?」
「なんだか、嬉しそうだね」
「はい。これでようやくサシャと会えますから!」
シェリルは目を閉じる。そして、ここに来るまでのことを思い出した。
思い描くのは親友の笑顔――
『シェリル様、素晴らしいです! もうこんなにルーク様と仲よくなっているだなんて! 天才です!』
(自叙伝の文字は変わっていなかったけれど、きっとサシャは褒めてくれるわね!)
そんな期待を胸に、シェリルはヴァレンティノ邸の門をくぐったのだが――
「はあぁあぁ!? ルーク様に『メロメロにする』って宣言した!?」
「宣言したというか、結果的にそうなってしまったというか……」
なぜかサシャに怒られてしまっていた。
時刻は二十一時。もう空には星が瞬き、シェリルも湯浴みを終えている。
シェリルは、ルークに「ここがシェリルの部屋ね」と言って通された自室のベッドに腰掛けたまま、つむじでサシャの怒声を聞いていた。
先ほど到着したばかりで疲れているはずのサシャは、般若顔で元気に気炎を上げている。
「どうしてそういう余計なことをするんですか!? 私が行くまでおとなしくしていてくださいと言っていたでしょう? どうするんですか!? 貴女、殺されたいんですか!?」
「いや。でも、よかれと思って……」
「どう『よかれと思って』そういうことになるんですか!? そういうところがクールポンコツだっていうんですよ!」
「で、ですが、得るものもありましたし……」
「……得るもの?」
「ルーク様が協力してくれることになりました!」
「はぁ!? 協力?」
サシャの怪訝な表情を見ながら、シェリルはルークに約束をしてもらったときのことを思い出す。
…◇
それは今朝、ヴァレンティノ領に入ったからと、ルークが馬車に乗り込んできたときのことだ。その提案は、もちろんシェリルからだった。
『は? メロメロに協力?』
『はい! 是非ルーク様に、私がルーク様をメロメロにするのに付き合ってもらいたいと思いまして!』
『なんでそうなるわけ? そういうのって普通本人に頼むことじゃないんじゃない?』
ルークのもっともな言葉に、シェリルは途端に顔を青くした。
『そう、なんですが。このままだと私、ルーク様をデートに誘っても、下心があるとわかっているが故に誘いに乗ってもらえなさそうで……!』
『うん。だから普通は黙ってやるもんなんだよ? ……ちなみにいつ気がついたの?』
『昨日です』
『昨日!』
ルークはその言葉に腹を抱えて笑う。
そんな彼を目の端に置いたまま、シェリルは胸元に拳を作った。
『でも、言ってしまったものは過去に戻れません! こうなったら開き直ってしまうしかないと考えました!』
『で、本人に直談判?』
『はい! ……だめ、でしょうか?』
あまりよろしくない反応にシェリルしょんぼりと俯くと、
『要は、デートとかに嫌がらずに付き合えって話でしょ?』
『……はい』
『いいよ、協力してあげる』
ルークの快諾に、シェリルは『え!?』と声を跳ねさせた。
そんな彼女に顔を寄せつつ、ルークはなぜか少しイジワルな顔つきになる。
『その代わり、シェリルも頑張ってね』
…◇
「ルーク様って、お優しいですよね!」
「優しいというか、それって遊ばれていませんか?」
サシャの冷めたような反応に、シェリルは「そうなんですかね?」と首をかしげる。
「あぁ、でも、今晩は遊びに来てくださるみたいですよ!」
「はい!?」
「なんか、馬車を降りるときに『今晩、籠絡されに行くから待っててね』って」
「本当ですか!?」
「はい!」
シェリルがそう元気のいい返事をすると、サシャは途端に黙ってしまう。
どうしたのかと小首をかしげると、彼女はぷるぷると震えだした。
「サシャ、どうしたんですか?」
「『どうしたんですか?』じゃありませんよ! 今晩ルーク様がここに来られるんですよね!? 貴女はその意味がわかっていますか!?」
どうしてそんな剣幕で怒られるのかわからず、シェリルは一瞬狼狽えそうになったが、それでも自分は間違っていないはずだと冷静さを装った。
「わかっていますよ。ルーク様が部屋に遊びに来られるんですよね?」
「澄ました顔でなに言っているんですか!? 本当にもう、ポンコツですね!」
「また、ポンコツって――」
密かにショックを受けているシェリルの鼻先に、サシャの人差し指がつんと当たる。
「いいですか? 今晩、貴女の将来の夫がここに来られるんですよ?」
「はい……」
「ここ、つまり、寝室に! 夜!」
「はい……」
「まだわかりませんか!?」
サシャにそう問われ、シェリルはしばらく考えたあと、答えを口にした。
「……夜通し、遊ぶ?」
「『遊ぶ』を隠語として言っているのならば正解ですが、貴女の場合は言葉のままでしょうから不正解です! 遊びません! あちらにとっては遊びかも知れませんが、断じて遊びではありません」
「サシャの言っていることは難しくてよくわからないわね……」
「お嬢様は本ばっかり読んでないで、もうちょっと世間を知りましょうね! 仕方がないですけど! 仕方がないんですけど!」
勢い余ってか、こちらに身を乗り出してきたサシャにシェリルが思わず身を引くと、彼女はベッドに膝をついて、顔を寄せてくる。
「つまりですよ。つまり。ルーク様は今晩、夜這いに来られるということです!」
「夜這い?」
「あぁでも、お二人は結婚しているようなものだから、初夜になるんですかね!? とにかく――」
サシャの言葉を遮ったのは扉のノック音だった。それと同時に聞こえる、聞きなじみのある声。
『シェリル、俺だけど』
ルークだ。
そう理解した瞬間、サシャは慌ててベッドから降りて、身を正す。
シェリルが「はい、どうぞ」と答えると、扉が開いて笑顔のルークが顔を覗かせた。
「やっほー。籠絡されにきてあげたよ?」
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