5.「……なんせクールポンコツですし」
「シェリル様、大丈夫ですか?」
サシャが心配そうな顔でそう問いかけたのは木製の扉だった。
そこはシェリルに与えられた白亜の塔、その一室の前である。
構造的には小さな物置しか存在しないはずのそこは、シェリルの力によって無限書庫へつながっていた。
さて、どうしてサシャが無限書庫の扉へ話しかけているかというと――
「ルーク様に言われたことがショックだったのはわかりますが、夕食ぐらいは食べに降りられてください。閉じこもってばかりだと、お身体に触りますよ?」
――ということだった。
ルークとのお茶会を強制終了して、早五時間。シェリルはあれからずっと無限書庫内に閉じこもっていた。別に鍵が閉められているわけでもないので、サシャも入ろうと思えば入れるのだが、無限書庫に向かう際のシェリルの陰鬱とした様子に、なんとなく中に入ることは躊躇われていた。
サシャは、まったく返事の返ってこない扉に再度話しかける。
「大丈夫です。そんなに心配しなくても、シェリル様の事は私が守って――」
『わかりましたわ!』
突然、シェリルの元気な声が扉の奥から聞こえ、サシャは目を瞬かせた。
直後、ばったんばったんと何やら激しい物音が聞こえる。そのあまりの物音に、サシャが中に入ろうかとドアノブに手をかけた瞬間、扉が開いた。そして、先ほどまでの陰鬱さをまったく感じさせない、満面の笑みシェリルが飛び出してくる。
「お嬢様、よかったです! さぁ、夕食を――」
「サシャ、わかったの!」
「わかった?」
なにが『わかった』なのかわからず、サシャが眉をひそめていると、シェリルは彼女の手をぎゅっと掴んできた。そして、らんらんとした目をこちらに向けてくる。
「私、死なない方法を見つけました!」
「死なない方法、ですか?」
「ルーク様を、メロメロにすればいいのよ!」
..◆◇◆
「で、どういうことですか?」
サシャにそう問われたのは食事をしているときだった。
磨き上げられたダークブラウンの机には二人分の食事が向かい合わせで置いてある。本来ならば使用人であるサシャとシェリルが一緒に食事をするなんて事はあり得ないのだが『夕食だけでいいから!』とシェリルが頼み込み、もうずっと前から夕食だけは二人で取っていた。
シェリルの対面に座っているサシャは、その日のメインである魚のソテーに手をつけながら、「メロメロがどうのこうのってやつです」と先ほどの質問の補完をしてくれた。
シェリルは咀嚼していたパンを飲み込み、しばらく考えを巡らせた後、口を開く。
「つまり、ルーク様が私にメロメロになれば、私は殺されないかもしれないって話です」
「情に訴えるということですか?」
「はい! 私もそうですが、人は愛着を持ったものに対してなかなか攻撃的なことは出来ないものです! 好きになれば相手の欠点も長所のように見えるとも言いますし、私がどうしてルーク様に殺されるかはわかりませんが、相手と関係を結んでおけば! 私にメロメロにしておけば! 殺される危険性も薄くなるのではないかと考えました!」
「はぁ。……でも、そんなことできますかね」
サシャはそう言って渋い表情になる。
「実は、私の方でも使用人仲間から情報を集めてみたんですよ。そうしたら、出てくるわ。出てくるわ……」
「なにが出てきたんですか?」
「ヴァレンティノ侯爵の悪評です」
「悪評?」
思わぬ言葉に、シェリルは目を瞬かせた。
サシャはそんな彼女に身を乗り出すようにしつつ続ける。
「私利私欲のためになら何でもする悪党だとか。嘘つきで非道な快楽主義者だとか。忠誠心がない上に、裏社会と通じている奸臣だとか。外道だとか、冷血漢だとか、悪鬼だとか。金さえ積めばどんな汚い仕事もやってのけることから、同じ貴族からも『死神』なんて呼ばれているみたいですよ」
「死神?」
「まぁ、所詮は噂なんでどこまで本当かわかりませんがね。でも、一筋縄でいく相手じゃないことは確かですよ。そもそも、シェリル様のことだって最初から殺すつもりで――」
「……」
サシャの言葉にシェリルは考え込むように口に手を置いた。そのまま考え込む。
そんなシェリルを見てどう思ったのか、サシャは慌てだした。
「すみません! 脅かすつもりじゃ――」
「好都合だわ!」
「……はい?」
「私が先ほど読んだ十数冊の本のうち、最初の段階でヒーローとヒロインが険悪な方が、後に仲良しになる確率が高いんです! 最初からヒーローとヒロインの仲がいい物語もありますが、いまの私とルーク様のような関係に近い物語を選ぶと、最初は険悪、後にメロメロという物語が多いんです!」
「……読んでいる本の偏りを感じます。というか! 無限書庫に籠もっていたのってそれが理由ですか!?」
「えぇ! いままで恋愛小説などは好んで読んできませんでしたが、ルーク様に思わぬ助言をいただいたので、いてもたってもいられなかったんです!」
これまでシェリルがお役目で読んできた本は、天文学の本や数学の本、哲学書……などといった、後世には残したいが知識がないままに理解するのは難しい本、が多かった。物語の本も読んでこなかったわけではないのだが、恋愛や結婚に関する本などは、お役目でも趣味でもあまり読んでこなかったのだ。
シェリルの言葉に、サシャは身体の力を抜いた。その様子に彼女が思った以上にシェリルの事を案じてくれていたのだということが伝わってくる。
「なるほど、心配して損しました。……でも、そうですね。どうして殺されるかわからない以上、確かにそれぐらいしか方法がないかもしれませんね」
「サシャもメロメロに賛成してくれるの!?」
「賛成というわけではありませんが、情に訴えられるかはさておき、相手と良好な関係を築くということは少なくともマイナスではないでしょうからね」
同意されたことが嬉しかったのか、シェリルの頬はわずかに上気した。しかし、何かに思い至ったのか、彼女はすぐざま表情を曇らせてしまう。
「けれど、どこからどうアプローチしていいか悩んでいまして……」
「それなら、私が手伝いますよ」
「え!? サシャ、オルテガルドまで一緒に来てくれるの?」
てっきり、サシャとは輿入れと同時に別れるのだとばかり思っていたシェリルは、降って湧いた期待に目を輝かせた。
「私、シェリル様のお世話をするために雇われているんです。だからこのままじゃ、失業してしまうんですよね。それなら、シェリル様と一緒にオルテガルドに行く方が食い扶持に困らなさそうだなぁと思いましてね」
思わぬ展開にシェリルは頬を桃色に染めた。
そんな自分の反応で、思った以上にサシャと離れるのが辛かったのだと思い知る。
「うれしい! 本当に!? 本当に、一緒に行ってくれるの?」
「シェリル様がよろしいのでしたら」
「わぁ!」
「それに、シェリル様を一人にさせるのも心配ですからね。……なんせクールポンコツですし」
照れ隠しなのかなんなのかそう放たれた軽口に、シェリルは満面の笑みで「ありがとう!」と返すのだった。
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