3.(あーーーーーー)
その会話は、謁見の間に向かうための廊下でなされていた。
「お嬢様、やっぱり国王様の元へ行くのはやめましょう! このまま国王様に会えば、無理矢理にでも結婚を押し進められちゃいますよ!」
「でも、このまま状況を長引かせても、何か変わるというわけでもありませんし」
「しかし――」
「それに、今日叔父様から呼び出された理由が、結婚のこととは限りませんから」
どこか他人事のような冷めた反応のシェリルに、サシャは焦れたように「それはそうですけど!」と声を高くした。
幸いなのかなんなのか、現在廊下には二人の以外の人はいない。なので、二人は少し声量を落としただけで、いつもの調子で会話を続けていた。
「大体、どうしてそんなに落ち着いていられるんですか!? 死ですよ!? 死!? このままあの本の通りにオルテガルドに嫁いだら、シェリル様には死が待っているんですよ!?」
「でも、焦ってなにかが変わるわけでもありませんし……」
「だとしても!」
「それに――」
なおも反論しようとするサシャの言葉を遮り、シェリルは瞳を閉じる。そうしてなぜか自信満々の表情で胸を張った。
「私にはいままでため込んだ本の知識があります! 知識というものは、言うなれば人の経験値。この知識があれば、きっとどうにでもなります!」
その宣言に、サシャは一瞬虚を突かれたかのように固まった後、じっとりと目を半分いさせた。
「知識が人の経験値だってことに異論はありませんが、私にはお嬢様がその経験値を上手に使うことができるとは思いません!」
「あらどうして?」
「じゃぁ、今の段階でなにかいい解決方法が浮かんでいるんですか?」
「いいえ。まったく」
「ほらぁ!」
サシャはなおも歩き続けるシェリルの進路を遮るように、前へ回り込んだ。
「シェリル様、ご存じですか? 料理をするための包丁だって使う人によっては人を殺す凶器にもなるし、薬だって量を間違えれば毒になるんです!」
「包丁に、毒? ……つまり、私に未来の旦那様を殺せと?」
「そんなことは言っていません! なんでそうなるんですか!? 私が言いたいのは、お嬢様のようなクールポンコツには、知識を使ってうまく立ち回るなんて無理だと言ってるんです!」
「クールポンコツ?」
「クールポンコツ」
「……」
「……」
「大丈夫です。先人たちの英知は絶対です!」
「もー! どこから、そんな自信が湧いてくるんですか!」
サシャの『クールポンコツ』を華麗に無視して、シェリルは胸元に拳を作った。
そんな彼女に、サシャは説得を一時諦めたのか、とぼとぼと後ろをついていく。
「というか、この本に書かれていることは本当に起こるんですか? まったくのでたらめがかいてあるということは……」
そう言いながらサシャは手に持っていたシェリルの自叙伝をじっと眺めていた。
青地の革も銀の箔押しも大変きれいだが、書いてあることは強烈だ。
なんて言ったって、それにはシェリルの死が明示されている。
サシャの疑問にシェリルは口元を押さえた。
「それにしては、ここまでの流れが完璧です。今日、サシャが私のところへ来ることも書いてありましたし、私の幼少期についても事細かに書かれていますし……」
「じゃぁ、どうして、この先がなにも書いてないんですか!?」
サシャはそう言って、本の真ん中あたりを開いてこちらに見せてくる。
本の中身は、真っ白だった。サシャはそのままの状態でページをペラペラとめくるが、そこから先もなにも書かれていない。
どうやら文字が書かれているのは、前半半分だけのようだった。
シェリルはこちらに向けられた本を手に取る。
「思うのですが、この本はまだ書き途中なのではないでしょうか?」
「書き途中?」
「この本は恐らく、私の死が八割方決まった段階から書かれ始めるのだと思います。そこから過去のことを振り返り、今起きていることを書いていく」
「つまり、この白紙のページはまだ決まっていない未来?」
「はい。そして、ここの数ページは、私のいままでの行動から推測される未来なのではないかと思います」
シェリルは文字の書かれた数ページをつまんでみせた。そこには二人が廊下を歩いていることも、そこから国王に謁見することも書かれていた。
「じゃぁ、最後のページは?」
「決められた結末」
シェリルがそう断じると、サシャは青い顔のまま頭を抱えた。
「つまり、シェリル様の死はあらかじめ決められているって事じゃないですか!」
「そうとは限りませんよ」
「え?」
「読んでいて気がついたんです。この本、これまでのことが書いてある過去のページと、未来の出来事を書いているページでは使われているインクの色が違うんです」
シェリルの言葉に、サシャはシェリルから本を受け取るとパラパラとページをめくってみせる。そして、数度ページを往復した後、目を見開いた。
「黒と、灰色?」
「そうです。これはあくまで私の予想ですが、この灰色のインクで書かれている箇所は、まだ不確定の未来ということではないでしょうか? インクが黒色になって、はじめて未来は確定する」
その言葉を受けて、サシャは急いで一番大事なページを確かめる。
「最後のページは……黒?」
「に限りなく近い灰色です」
「つまり、ここからならば未来を変えられるって事ですよね!?」
「そうかもしれません」
「そうかもしれませんって……」
曖昧な返答に、サシャは疲れたように深い溜息をついた。
「まぁ、どちらにせよ。この本に頼れば、少し先の未来ならば見ることができるということになります。これは、知識の箱舟と併せて大きな武器になると思います」
「まぁ、さしずめ未来日記って感じですかね。……ところで、なんでこの本ってあまり具体的なことが書かれてないんですか?」
そう言ってサシャが見せてきたページはこれからのことが書かれているページだった。インクの色は黒に限りなく近い灰色。つまり、ほぼほぼ確定している未来だ。
そこに書かれていたのは――
『叔父様はいったんなんのご用なんでしょうか。もしかして本当に、私をオルテガルドに嫁がせる気なのでしょうか? はぁ、さすがに緊張しますね。この扉を開けたら、もう逃げられないわ……って、あーーーーーー』
「この『あーーーーーー』ってなんなんですか? 『あーーーーーー』って」
「おそらくなのですが、これは私の心の中がそのまま文章になっているんだと思います。だから『あーーーーーー』って思うようなことが起こったのではないかと……」
「いや、『あーーーーーー』って思うことってなんなんですか。……というか、お嬢様なにも考えてないじゃないですか! 見てください! この内容のない文章の羅列!」
『あぁ、今日読んだ本は本当に面白かったわ。まさかあんなに心がぎゅってなって、ふわってなって、どきどきーってなるなんて思わなかったわ!』
『わぁ。置いていた餌に小鳥がようやく気がついてくれたわ。
――――――――――――――――――――――――――かわいい……!』
『サシャがまた眉間に皺を寄せているわね。私、また何かしてしまったかしら……。それにしても、皺が寄るって面白い言葉よね。『寄る』って事は、寄り添い合うってことだから皺同士は仲良しなのかしら。あら、でも皺って皮膚が寄ったところに出来る溝のことだから、もしかして仲良しなのは、皮膚なのかしら。それなら正しくは「皺が寄る」ではなく「皮膚が寄る」なのでは……――』
「本当ですわね。情報が限りなくゼロだわ!」
「貴女の心の中ですよ!? ポンコツ! お嬢様のポンコツ!」
サシャのいまにも泣きそうな声を聞きながら、シェリルは苦笑いを浮かべた。
「まぁ、大丈夫ですよ。いまから叔父様に結婚を告げられるのだとして、お相手に会うのにはまだまだ時間はありますから。それまでになにか対策を考えればいいんです」
「そう簡単にいきますかね」
そうしているうちに二人は扉の前につく。
この先の謁見の間で、国王が待っているはずだ。
サシャはいつもの使用前とした表情に戻り、扉をノックした。
「陛下。シェリル様を連れてきました」
『入れ』
扉の奥からそう聞こえ、シェリルの背筋が伸びる。
(この扉を開けたら、もう逃げられないわ……)
サシャが扉を開けると同時に、シェリルは頭を下げた。視線を下げたまま彼女は部屋に入り、片足を後ろに引き、膝を軽く曲げて淑女の礼をする。
「失礼します、陛下。お召しに応じ――」
「君がシェリル?」
シェリルの挨拶を遮ったのは、国王の声ではなかった。
突然聞こえてきた男性の声に、彼女は顔を上げる。
彼女の正面には三人の人間がいた。一人はシェリルの叔父である、現国王のロジェ・ロレンツ。隣には最近国王が連れ歩いている呪術師、イアン・キルシュ。
そして声の主だろう最後の一人に、シェリルは見覚えはなかった。
そこにいたのは、口元に笑みをたたえた端正な顔立ちの青年だった。
通った鼻筋に、弧を描く薄い唇。鋭くもどこかけだるげな双眸は金色の輝きを宿し、夜の闇をそのまま閉じ込めたような漆黒の髪は首の後ろで結ばれ、後ろに流されている。
身長も高く、手足もすらりと長い。年齢は二十三、四と言ったところだろう。
「えっと……」
シェリルが戸惑いの声を上げると、玉座に座る国王が、青年に視線を向けた。
「シェリル、彼はオルテガルド帝国から来られた、ヴァレンティノ侯爵殿だ」
「ヴァレン、ティノ?」
「お前には、彼と――」
国王が言葉を発し終わる前に青年は動いた。そのまま軽やかな足取りで彼はシェリルの前に立つ。そうして、むせかえるような色香を纏った微笑みをこちらに向けた。
「なんか面白い事になっているなぁと思って、我慢できずに迎えに来ちゃった」
「む、迎えに?」
顔が引きつったのは嫌な予感から。
目の前の青年はそんなシェリルの表情に気がついているのかいないのか、視線を合わせるように彼女の前に膝をついた。そして、シェリルの手を取る。
「俺の名前は、ルーク・ヴァレンティノ。よろしくね、俺の花嫁さん」
(あーーーーーー)
確かに、あーーーーーーとしか表現できない心情に、シェリルは表情を強ばらせたまま顔を青くすることしか出来なかった。
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