33.それは、まぎれもなく奇跡だった。
それは、まぎれもなく奇跡だった。
『おぉ!』
『なんと!』
『これはすごい!』
周りから歓声が上がり、その男は微笑みながら国王である私の前で膝を折った。頭を下げる彼の隣にあるのは小さな籠。その中には一匹の元気なネズミがいる。先ほどまで誰が見ても死んでいたそれは、彼の合図により突如蘇ったものだった。
謁見の間。衆人環視の中でそんな奇跡をやってのけた男は、自身をイシュタリアの神使だと名乗った。エルヴィシアの神使は女性しかなれない。だから、最初は疑っていたのだが、彼の見せた奇跡の前では信じざるを得なかった。
イアンが言うには、彼はイシュタリアから逃げてきたらしい。彼が持つ特異な能力を門外不出とするために、王家は長年彼を屋敷に閉じ込めていたのだという。
そういった経緯から、イアンはエルヴィシアに自身を保護するように求めた。
『その代わり、貴方の大切な人を一人蘇らせるお手伝いをさせていただきます』
そんな甘い言葉を添えて。
彼女を――イザベラを諦めてからもう何年も経っていた。
もう私の心は枯れ果てていて、彼女を求めることなんてないと思っていたのに、その言葉を聞いた瞬間、執着が蘇った。蘇ってしまった。
『どうすれば、我が妻は蘇るんだ?』
そうして私は彼の手を取ってしまった。
彼は自身を『神使』ではなく『呪術師』だと名乗り始めた。確かにイシュタリアに追われているのならばその方が良いだろうと、私も了承した。
私はいついかなるどんなときでも彼を同行させ、金を与え、権力を与え、名誉を与えた。けれども彼は少しもイザベラを蘇らそうとはしなかった。
イアンが来てから一年。私はとうとう彼に問い詰めた。
すると彼は悲しそうに視線を落として、こう告げた。
『死者を蘇らせる力は元々私の物ではありません。イシュタリアの女神の力です。私にできるのは、その力を少しだけ分けてもらうことだけ。しかし、我が国の女神の力でも、もう肉体の無い人間をおいそれと蘇らせることは出来ません。そもそも人間を蘇らせること自体が禁忌に触れることなのですから』
『では、どうすれば――!』
『イシュタリアの女神に忠誠を誓うのです。我が国の女神は慈悲深いお方、貴方が誠意を見せれば、きっと願いを叶えてくれるでしょう』
『誠意……?』
『オルテガルド――』
『オルテガルド?』
『我が国の女神はかの国を認めてはいません。女神はそもそも原初三国しか認めていないのですが、その中でもオルテガルドは力を持ちすぎました。世界のバランスを保つためにもかの国は滅ぼさなければなりません』
『いや、しかし、我が国の兵力では――』
『なにも、討ち滅ぼさなくてもいいのです。我が女神に「出来るだけのことはやった」というのが示せればいいのです。しかし、全力は尽くすべきでしょう。でなければ、女神は決して力を貸してはくれませんから』
――それが、二年前の出来事。
人の気配を察して、私は閉じていた瞼を開ける。
謁見の間の玉座に座る私の前には、シェリルがいた。彼女に「話がある」と言われたのは初めてだった。呼び出されたのも。
強いまっすぐな瞳が、なぜかイザベラのことを想起させる。
「叔父様」
「どうした、シェリル。私に用事があるとは珍しいな」
「お時間お取りして申し訳ございません。しかしながら、大切なお話があります」
彼女は一冊の本をこちらに差し出した。本のタイトルにはなぜかイザベラの名前。
「最後のページをご覧ください」
私が本を受け取ると、彼女は静かな声で驚くべき言葉を告げた。
「イザベラ様から、叔父様に向けてのお手紙です」
..◆◇◆
『親愛なる、ロジェへ。
貴方がこの本を読んでいるということは、私はもう死んでいることでしょう。
本当は手にペンを取って手紙を書きたかったのだけれど、もう手紙を書く力もないから、こんな形で残す事になりました。ごめんなさいね。
この本のことは新しい神使に聞いているでしょうから、説明は省くわね。
私がこの本を見つけたのは、病気が見つかってすぐのことでした。
この本を見つけた瞬間、私は私の死期を悟りました。
そして、私に残された時間があとどのくらいなのかも知りました。
だけど、私はあなたにも伝えませんでした。
貴方と最後の時まで笑って過ごしていたかったから。
だけど貴方は私を心配するあまり、妙な妄執に取り付けられてしまいましたね。
私はね、ロジェ。たとえ生き返ることが出来るのだとしても、生き返りたいとは思いません。その理由は、あなたならばこの本を読んでくれれば分かると信じています。
貴方に全てを見られてしまうのは怖いし、恥ずかしいけれど、これが私の嘘偽らざる気持ちです。
私のせいであなたは狂ってしまった。あんなにたくさんのことが見えていた貴方の目を盲目にさせてしまった。貴方はこれからもこの国を背負って立つというのに、私は隣にいることが出来ないばかりか、貴方の足を引っ張ってしまう存在に成り下がってしまった。
ごめんなさい。
でもあなたならば許してくれると信じている。私の大好きなあなたなら。
虹のたもとでいつまでもあなたのことを待っているわ。
でも、早く来てはダメよ。ゆっくり来てね。
――愛してるわ。
イザベラ・ロレンツ』
シェリルは国王が手紙を読み終えるのをじっと待っていた。
国王はページを一枚一枚大切にめくって、そうして最後のページまで読み終えると、長い長い息を吐いた。そうして、まるで世界を終わらせるように恭しく本を閉じる。
国王は天井をじっと見つめながら何かを考えているようだった。それは言葉にならない何かを頭の中でかみしめているようにシェリルには見えた。
「叔父様――」
不安になったシェリルがそう声をかけるのと同時だった。
謁見室の扉が開き、招かれざる客が姿を現した。
「あぁ、国王様。こんなところにおられたのか」
「イアン……」
まさか彼が来るとは思っていなかったので、シェリルの身体に緊張が走る。
綺麗な金髪を背中に流している見目麗しいその男性は、国王の許可を取ることなく、堂々とした足取りでシェリルの近くまでやってきた。そして、男性と女性の間を取ったようなテノールを響かせる。
「頼まれていた兵士の装備が整いました。この調子だと、来月には再びオルテガルドに進軍することが出来るでしょう。つきましては――」
「やめだ」
「…………はい?」
「やめだと言っている」
国王の端的な言葉に、イアンは最初驚いていたようだった。しかし、それは一秒ごとに移り変わっていき、やがて酷く歪んだものへと変貌を遂げた。
そんな彼の表情が見えているはずなのに、国王は何かを諦めてしまったような顔で、それでもすっきりとした声を出す。
「私はもうやめる。オルテガルドには兵は送らない。これ以上意味のない戦争はしない」
「……イザベラ様のことはもうよろしいのですか?」
「イザベラのことは……もういい。もういいんだ」
酷く苦しい決断をしているはずなのに、その表所はどこか憑き物が落ちたようだった。
イアンは側に居たシェリルを見た後、国王の手元にある本に視線を止めた。
「……なるほど」
「お前にも手間をかけたな。本当に感謝をしている。だがしかし――」
「そんなこと今更言われても、困るんですよね」
「イアン?」
イアンはゆっくりと玉座へ近づいていく。
不敬にも階段を上り、彼は国王の前に立った。
「貴方はいつもいつもいつもいつも、優柔不断で、思い切りが足りない。私が貴方のためにどれだけやってきたと思っているんですか。今ここでやめるだなんて、あり得ない」
そう言って長いローブの下から彼が取り出したのは剣だった。彼はそれを躊躇わずに抜き、大きく振りかぶる。
近くに兵士はいるはずだが、皆、突然のことに動けていないようだった。
「もういいです。ここで崩御なさってください。ずっとは無理でしょうが、私がその間この国を取り仕切って差し上げますから――」
「お、叔父様――!」
シェリルがそう叫んだときだった。イアンが振り下ろした剣を、何者かが受け止めた。
兵士の姿をしているその男は、忘れられない人と同じ顔をしていた。
「あっぶないなぁ」
跳ねるようなしゃべり方も、声のトーンも彼と同じ。
シェリルは目を大きく見開きながら、目の前の兵士を信じられない面持ちで見つめた。
兵士はイアンの剣をはねのけたあと、シェリルに向かって頬を引き上げた。
「シェリル、お待たせ」
「ルーク、様……?」
亡くなったはずの元気な彼の姿に、シェリルは思わず泣きそうになってしまった。
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