30.(せめて、私がこの人を止めないと……)
それから何度か馬車を乗り換えて、シェリルはエルヴィシアまで戻ってきた。
どのぐらいかかったかは正直覚えていなかった。一日で着いたような気もするし、一週間かかったような気もする。シェリルはそれぐらい気がそぞろで、なにも考えられていなかった。目は見えているのに、なにも見ていなくて、耳も聞こえているのに、何も聞いていない。頭の中では、ルークが血の海に倒れ込むシーンが何度も繰り返し再生されていた。
そんな状態に変化が訪れたのは、王宮の応接室に通されてからだった。
きっかけは部屋に入ってきたサシャの言葉だった。
「シェリル様、ルーク様はお亡くなりになったそうです」
どこまでも感情なくそう告げられて、シェリルは裏切られたと知ってから初めてサシャを見た。
サシャはソファの側に立ったまま感情の薄い顔をこちらに向けている。
シェリルはそんな彼女をなにも発することなく数秒見て、やがてか細い声を出した。
「なんで――」
「シェリル様」
「なんで、あんなことを……」
サシャがしたことは簡単だった。エルヴィシアに送る手紙にこちらの作戦を全て書いて送ったのだ。ただし、そのことがルークたちに露見しないよう、火であぶると内容が浮かび上がるしかけを施していたのだという。
「すみません。やはり彼らのことを信用できませんでした。今回のことを乗り切った後、彼らがオルテガルド皇帝にシェリル様の力のことを言わないという確証がなかったんです」
「でも、でも、それなら私だけ連れて行けば良かったでしょう! なにもあんなことをしなくても――」
「無理ですよ。あちらだって私のことは信用していなかったんです。シェリル様が気づかれたかどうかはわかりませんが、私には常に監視がありました。シェリル様を無事にあの国から連れ出すためには、あのときしかなかったんです」
「でも――」
シェリルはもうなにも言えなかった。だってサシャの目には後悔がない。
これ以上何かを言ったって、きっと彼女にはなにも届かない。
シェリルは何かに耐えるように、ぎゅっと手を握りしめた。
「……シェリル様」
「出て行ってください」
「……」
「しばらく出て行ってください。今サシャとは話したくありません」
サシャはシェリルの突き放すような言葉にぐっと息を詰まらせたあと、「わかりました」と一礼してこちらに背中を向けた。そして、扉が閉まる音が部屋に広がる。
シェリルは、薄く息を吐いた。両手で顔を覆えば、オルテガルドに行ってからの思い出が次々と浮かび上がってくる。
『いいよ。メロメロにしてみなよ』
『死ぬまでには来たかったもんね? 俺もさ、連れてきてあげたかったからさ』
『やっぱり助けに行けば良かったな。……なんで俺、助けに行かなかったかなぁ』
『いい子だから、他の男にこんなことしちゃダメだよ?』
『えー? メロメロになっちゃったから?』
(私の、せいだ……)
噛んだ唇が震えて、嗚咽が漏れた。
瞳から生まれた感情の塊が、頬を伝う前に顔を覆う手にじわじわと染みこんでいく。
(私の、せいだ……)
サシャが裏切ったからではない。彼女はシェリルを確実に守りたくて、この道を選んだにすぎない。サシャだってきっと裏切りたくて裏切ったわけじゃない。
(私が、私が……)
サシャに逃げましょうと誘われたときに国に帰っていれば。
黒フードを被ったサシャの手を取っていれば。
こんなことにはならなかった。少なくとも、ルークは死なずにすんだ。
あんなによくしてもらったのに、結局自分はなにも返せなかった。
返せないどころか、彼を殺して――
思考をぶった切ったのは、扉のノック音だった。
シェリルは流れていた涙を袖で拭い、扉に向かって声をかける。
「サシャ、まだ独りにしてって――」
「シェリル」
「お、叔父様!?」
扉を開けたのは国王だった。
そして、彼の後ろには付き従うような呪術師、イアンもいる。
シェリル、慌てて立ち上がり、頭を下げた。
そんな彼女に国王は声を落とす
「迎えに行くのが遅くなってすまなかったね」
「あの、私は……」
「サシャから話は聞いたよ。向こうではそれなりによくやっていたみたいだね」
「どうしてサシャに、私を連れ戻すようになんて」
「それだけシェリルの事が心配だったんだよ。この国から出したときはオルテガルドからどうしてもと言われたから従わざるを得なかったが、本当はずっと心配していたんだよ。力のことがばれる前に連れ戻せて良かった」
「叔父様……」
イアンに操られている事を知っているから、彼の言葉がどこまでが本当なのかわからない。だけどその言葉は嬉しくて、とても嬉しくて。でも、どこまでも残酷だった。
シェリルが視線を下げていると、イアンが「国王様」と彼に何かを促した。それを受けて、国王は「あぁ」と一つ頷いてこちらを見る。
「さぁ、シェリル。もし良かったら、私に無事を示してくれないか?」
身体の無事は確認している。だからそれが指すする主語は『無限書庫』もしくは『知識の箱舟』だろう。
シェリルは「……わかりました」と頷いて、首に掛かっている紐をたぐり寄せた。そうしてその先に付いている真鍮製の鍵を、先ほど二人が入ってきた扉の鍵穴に刺した。
そうして、くるりと回す。
鍵が開く重たい音。扉を開けると、もうそこは異空間だった。
国王とイアンは躊躇うことなく空間に足を踏み入れる。
「おぉ……。いつ見ても素晴らしい!」
「良かった。無限書庫は健在だね」
「はい」
シェリルは目を輝かせながら、無限書庫を見回すイアンの背中をじっと見つめた。
イアンは三年ほど前からこの王宮にいるけれど、シェリルがその輝くような金髪を背中に流している色男をじっと観察したのは今回が初めてだった。
(この人が……)
全ての元凶なのだろうか。
『きっとシェリルの事を守ってくれるよ』
ルークの声が脳裏に蘇ってくる。シェリルは胸元にあるお守りをぎゅっと握りしめた。
(せめて、私がこの人を止めないと……)
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