29.その場に崩れ落ちた。
「それじゃ、まず作戦を立てようか!」
ルークがシェリルたちを集めてそう言ったのは、翌日のことだった。
部屋の中にはルークとエリックとシェリル。それと、サシャがいた。
彼らは全員ソファに腰掛けたまま中心にあるローテーブルに広げられた地図を見ていた。それはエルヴィシアとオルテガルドの国境が中心に描いてある地図で、シェリルの無限書庫から出したものだった。
「こちらの勝利条件は、エルヴィシアに潜入し、呪術師を排除して国王を正気に戻し、戦争を考え直してもらうこと。……で、エリック、どこから手を付けるべきだと思う?」
「全部放り投げないでくださいよ」
ルークからパスをもらったエリックは溜息をつく。
「まずは、どうやってエルヴィシアに潜入するかを考えましょう。理想は私たち四人共が潜入に成功することですが、最低でもシェリル様とルーク様は潜入することが望ましいですね」
「どうして私とルーク様なのですか?」
「シェリル様とサシャさんは王宮の内部に精通しているので、どちらかは必要です。本当ならお二人でもいいのでしょうが、私はまだサシャさんのことを信用していませんから、順当に考えてシェリル様とルーク様かな、と。サシャさんに任せると、単に二人で国に帰って戻ってこないという可能性もありますしね」
エリックの険のある言い方に、サシャは口を開く。
「別に信用してもらわなくて構いませんが。ここで私の気持ちを述べておくなら、私としても貴方かたがシェリル様を殺す気がないのならば、シェリル様はここに留まるのが一番だと思っています」
「なぜですか?」
「うちの国王様が心酔している呪術師ですが、彼は隣国であるイシュタリアから来た人間なんです。彼の目的はエルヴィシアを潰してシェリル様を奪うこと。つまり、二人であちらに戻っても、シェリル様はいずれ他国に奪われるということです」
その言葉にシェリルはぎょっと目をむいた。『戦争を止めようか」 とルークから提案されたときに呪術師の話は聞いていたけれど、彼の目的がまさか自分だとは思わなかったのだ。それはどうやらルークたちも一緒だったらしい。彼らも興味深げにサシャの話を聞いている。
「君がすぐさまシェリルと国に帰らなかったのは、その辺の事情があったってこと?」
「そうですね。国に帰っても平穏なのは一、二年だけでしょうから。でもまぁ、すぐに殺されるよりはマシですけどね。余裕があればそれだけ逃れる方法もありますし」
当てこすりのようにサシャはそう言う。
この作戦会議の前に、シェリルは自分たちの事情と能力をルークとエリックに改めて説明した。それと同時にシェリルたちも、ルークたちの事情も聞いた。
『そもそも殺すためにシェリルを娶ろうとした』と。
サシャの言葉にルークは悪びれることなく、おおらかな笑みを浮かべた。
「でも、今はその方法は思いついてないんでしょ? なら協力しようよ。あんまり冷たいこといわないでさ。俺も、シェリルの事殺すつもりなくなったんだし」
「私はまだ殺す気満々ですよ」
「エリック――?」
「リスクが高すぎるでしょ。どう考えても。その上、こちら側にメリットがなさ過ぎる」
「でも――」
「まぁ、こうなることは薄々予想していましたし、本気で止めなかった私にも責任はあります。ですから、今回は協力させていただきますよ」
エリックは不満げな顔を収めて、サシャの方に向き直る。
「それでは、話を戻しましょう。つまり、その呪術師が私たちに戦争を仕掛けるよう促しているのはエルヴィシアを疲弊させ、シェリル様を奪うためってことでいいですか?」
「そうです。まぁ、疲弊させたところを襲うのか、それともあなたたちに潰してもらうのかはわかりませんがね」
「そもそも、サシャはなんでそんなことを知ってるの?」
「あの呪術師、怪しいと思って何度か部屋を調べたことがあるんですよ。短い時間だったので詳しくは調べられませんでしたが、シェリル様についての手紙がいくつかできたので間違いはないと思います」
「なんでそれを誰にも言わなかったんだ?」
責めるようなエリックの言葉にサシャは顔色一つ変えずにさらりとこう口にする。
「国王様は彼に心酔していますし、そもそも孤児であった私の言葉を信用する人間ではありませんから。調べていることがバレて、動きにくくなってしまってもいけませんしね」
「なるほどね」
「そもそも私は国なんてどうでもいいんですよ。シェリル様が無事でさえいれば。ですから、あなたたちがシェリル様を裏切ることがないのならば、私も裏切ることはありません」
その宣言にシェリルは彼女に抱きつきたくなった。話し合っている場なので自嘲はしたが、衝動的にそういうことがしてしまうぐらいサシャのその言葉は嬉しかった。
「それじゃ、信じるかどうか判断するためにも、どうやって国に入るか案はない? 俺たちや閉じ込められていたシェリルより、君の方が内部事情に詳しそうだけど」
サシャはルークの言葉にしばらく悩み、ややあってこう提案した。
「そうですね……。それなら馬車を奪うというのはどうでしょうか?」
「馬車を奪う?」
「国を出る前に国王様からあらかじめ言われていたんですよ。『合図を送ればすぐに迎えに行く』と。エルヴィシアとオルテガルドの国境には、四つの村と街があります。その近くに馬車を用意してくれているそうです。私がシェリル様を説得するか連れ出すかして、その村まで来て合図を送ると、国境を越えて迎えに来てくれるそうです。その馬車を奪い、あたかもシェリル様を連れて帰ってきたという風を装えば、王宮に入ることはたやすいかと」
「国境の街。なるほど、その一つがここ、か」
「はい。なので、私も行動を起こしたわけですは」
「本当にそんなに簡単にいくんですかね」
エリックが溜息交じりにそういう隣で、ルークが明るい声を出す。
「ま、やってみないとわからないよ。とにかく、作戦を立ててみよう」
その日の夕方。シェリルは屋敷の中庭にいた。
いつも座っているベンチに腰掛けながら、彼女はひとり、はぁっと溜息をつく。その手には、珍しいことに本はなく、彼女はただただ夕日を見ながら物思いにふけっていた。
「はぁ……」
「シェーリル!」
「ひゃっ!」
突然背後から声をかけられて、シェリルは飛び上がった。後ろを振り向けば、そこにはいつもどおりの笑みを顔に貼り付けたルークがいる。
彼は上からのぞき込むようにしながら、シェリルの顔をじっと見つめていた。
「こんなところで溜息なんてついてどうしたの? もしかして、作戦がそんなに不安?」
「不安、というか……。なんだかまだ信じられなくて。こんな大事になるとは思っていませんでしたから」
「ま、そうだよね。突然馬車を奪うとか、びっくりするよね」
ルークはそう同意を示しながら、シェリルの隣に腰を下ろした。
肩が触れあうほどの近すぎる距離になんだか急に緊張して、シェリルの身体は強ばった。同時に湧き上がってきたのは、ここ最近ずっと胸の奥でくすぶっていたとある疑問。
「あの、どうして、ルーク様は私の事を助けてくれようと思ったのですか?」
「ん?」
「今回のこと、ルーク様たちには何のメリットもないのに……」
ルークたちの話を聞いていて思ったのだ。
自分がルークの立場なら、自分の事は見捨てるかもしれないな……と。
だって、ルークたちに戦争を止めるメリットはない。エルヴィシアが戦争を仕掛けてきてもオルテガルドに勝つことは万が一にでもないし、たいした痛手も負わないだろう。それならばこのままエルヴィシアが仕掛けてくるのを待って、粛々とシェリルを処分した方が彼にとっては面倒が少ないはずである。
もちろん国境に有する街を持っているので、その心配はあるだろうが……
シェリルの質問に、ルークは「えー?」と首をかしげる。
「えー? 理由は前に言わなかったっけ」
「き、聞きましたか? 覚えがないのですが……」
「メロメロになっちゃったから?」
「へ?」
「シェリルにメロメロになっちゃったから、死んでほしくないなぁって思ったんだよ?」
シェリルはその言葉が飲み込めず、しばし固まった。
しかし、すぐさま彼の性格を思い出し、唇をへの字に曲げる。
「ルーク様、そういう嘘はよくありません! ルーク様が、嘘がお得意なのはわかりますが、人によってはそれは傷つきますよ!」
「嘘ねぇ?」
「そもそも、メロメロになった人はそのような反応はしません! もっとこう、顔を赤らめるとか! 胸を押さえてキュンとしたりとか! 情熱的な言葉を吐いたりとか! そういうことをするはずです!」
「それも本の知識?」
「はい!」
大きく胸を張るシェリルにルークは楽しそうに肩を揺らす。
「そっかー。伝わらないかー」
「さすがにそんな嘘には引っかかりませんよ!」
かみ合っているようでかみ合っていない会話に、ルークはさらに笑みを強くした。
ルークは「まぁ、いっか。今はまだ」と独り言を呟くと、シェリルの手を持った。
「ルーク様?」
「そんな賢いシェリルに、これあげる」
「これ?」
ルークはシェリルの左手にそれをそっと乗せると、彼女の手のひらを優しく包み込むように握りしめた。
シェリルは驚いたようにルークを見上げる。
「これは、特製のお守り。どんなことがあっても肌身離さずつけていて。……きっとシェリルの事を守ってくれるよ」
..◆◇◆
数日後――
(本当にうまくいくんでしょうか……)
作戦実行の日が来た。
作戦は以前話したとおり、サシャが『シェリル様をロースベルクまで連れてきたから迎えが欲しい』と連絡を飛ばし、それを受けてやってきたエルヴィシアの馬車を奪う手はずだ。
囮役のシェリルとサシャは馬車の中。ルークとエリック、それと追加で連れてきた三人の兵士は木の影に潜んでいた。馬車と落ち合う場所は、鉱山から外れた山中の旧道。大きな道が通ったがために使われなくなった荒道だ。
迎えに来る場所には目立たないよう、二人ほどしか乗っていないらしく、追加の兵などは必要ないという意見もあったのだが、万が一の事態に備え、ルークは信頼を寄せる口が硬くで誠実な三人の兵士に協力を仰いだという。
「大丈夫ですよ。シェリル様は安心して馬車に乗っていてください」
シェリルの不安げな表情に気がついたのだろう、隣に座るサシャがそう声をかけてくれる。そんな彼女に「わかりました」と頷いてシェリルは胸の中に蟠る緊張を耐えるように、太ももに置いている両手をぐっと握りしめた。
そうしていると、馬の蹄の音が耳に届いた。馬車が来たのだ。
しかし、その馬の蹄の音にシェリルは妙な違和感を覚えた。どう考えても数が多い気がするのだ。一匹や二匹の数じゃない。
シェリルは窓に張り付いて馬車の姿を確認しようとしたが、うまく見ることが出来ない。
姿が確認できたのは、馬車がもうすぐそこまで近づいたときだった。
馬車の他になぜか馬も見える。
(騎馬の数が、一、二、三、四……――!)
多くて正確な数が把握できない。
シェリルは隣に座るサシャを振り返った。
「サシャ!?」
「すみません、シェリル様。やはりあの二人は信用できません」
冷たくそう言うサシャに手首を掴まれた。彼女の力は思った以上に強く、どれだけ振りほどこうとしても振りほどけない。
「サシャ、離して!」
「シェリル様、このまま大人しく私と帰りましょう」
「それは――!」
そうしている間に馬車の外から金属がぶつかり合うような鋭い音が聞こえてくる。不安に駆られたシェリルが窓に視線を向けると、ルークやエリックがやってきた人間と剣を交えていた。よく見るとシェリルを乗せるはずの馬車の他にももう一台に馬車があり、どうやらそちらにも人が乗っていたらしい。目立つからか、やってきた人間はエルヴィシア兵士の格好の上から灰色のフードを身につけていた。なので、顔はよく見えない。
ひしめき合う窓の外から、剣を打ち合う音に、争うような声が聞こえる。
「サシャ、手を離してください!」
「ダメです。それに、貴女が出ていてどうこうなるものでもないでしょう?」
「そんなことはっ!」
『シェリル! 出て来ちゃダメだよ』
その声は扉の外から聞こえた。
「ルーク様!?」
『大丈夫だから、そこにいて!』
「でも――!」
こんなの多勢に無勢だ。ルークたちは五人。かたやあちらは十人以上だ。
シェリルはまるで助けを求めるように手首を掴む彼女の方を向く。
「サシャ!」
「許してください、シェリル様。これが一番確実な方法なんです」
サシャが力無くそう謝ったときだった。視界の隅で鮮血が散った。
シェリルは慌てて窓を見る。
すると、相手方の剣がルークの腹部に深々と突き刺さっていた。
ルークの足下に広がる赤い血。それはどんどん広がって、地面に染みこんでいく。
「ルーク様――!!」
シェリルが悲鳴のような声を上げるのと同時に、ルークの身体が力なく地面に倒れ込んだ。それを確かめてサシャがトントンと御者がいる方向の壁を叩く。すると、上にある小窓が開いた。
「先ほど刺した人間が大将です。早く馬車を出してください。あまり長いと他の兵士が駆けつけてきます」
「わかった。だが、馬車はどうする? 乗り換えるか?」
どうやら御者ももう入れ替わってしまったらしく、まったく聞き覚えのない声が小窓から聞こえてきた。
「今すぐはシェリル様が興奮してらっしゃいますから無理だと思います。しかし、このままこの馬車で移動するのも目立つので、良いところで入れ替えましょう」
「わかった」
御者の男がそう短く答えて、馬車が走り出す。
シェリルは泣き叫ぶことも、サシャにつかみかかることもせず、その場に崩れ落ちた。
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