2.『お前にはエルヴィシア王国の元姫と結婚してもらうことになった』
数週間前――
「ルーク、お前にはエルヴィシア王国の元姫と結婚してもらうことになった」
防音の効いた、窓のない、狭い一室。
内緒話をするには最適なその場所で、オルテガルド皇帝ビンセント・ヴァティムは、目の前の男にそう決定事項を告げた。
ルークと呼ばれた男は、皇帝の前だというのにもかかわらず、不遜な態度で唇の端を上げる。
「へぇ。結婚ねぇ」
「なんだ? 不満があるのか?」
「いいえ。ただ、こんなところに呼び出すんだから、どんな物騒な話かと思っていただけですよ。まぁ、誰かが貧乏くじを引くと思っていましたが、まさか俺とは……」
一応、敬語を使ってはいるが、ルークの態度は正面の最高権力者を敬ってはいない。ともすれば、小馬鹿にしていると取られてもおかしくなかった。
そんな彼にビンセントは不機嫌になることもなく、溜息一つついただけだった。
「でも、元姫って。人質にするにしても人選が微妙じゃないですか? 元がつかない方が、人質としても有効でしょうし」
「仕方がないだろう。かの国の国王には息子しかいない。こちらに差し出せる最も血の濃い王族の娘は彼女しかいなかったんだ」
「へぇ」
「それに、彼女はトリニアム教の神使だ」
聞き慣れない単語にルークは「神使?」と片眉を上げた。
「エルヴィシア王国が、元宗教国家だということは知っているだろう? 彼女はトリニアム教における三人しかいない神の使いらしい」
「神の使い……ねぇ」
「と言っても、実質権力なんてものは与えられていないらしいがな。ただのお飾り――象徴のようなものだ」
ビンセントの説明にルークはあからさまに鼻白んだ。
「それならやっぱり、人質としての意味はないんじゃないですか?」
「しかし、殺すには適した人選だろう?」
そう言って足を組み替えた皇帝に、ルークはわずかに怪訝な顔をした。
「殺す?」
「我々の見立てだと、エルヴィシア王国は三ヶ月から半年以内にもう一度仕掛けてくる。そのときに彼女の首を民衆の前で落とせば、多少なりと国民感情は収まるだろう」
ルークは、ビンセントの言いたいことを理解し、「あぁ、なるほど」と頷いた。
半年前、エルヴィシア王国がオルテガルド帝国に攻めてきた時、民衆の負の感情は攻めてきたエルヴィシアよりも、自国のオルテガルドへと向いた。
エルヴィシア王国のように弱い国にどうして攻められるのか。
舐められているのではないか。
外交では何をしていたのか。
そもそも国境の兵たちは何をしていたのか。
それらの感情が一気に吹き出して、帝都では暴動にまで発展しそうなほどに国民感情は高まっていた。収集がつかなくなった皇帝は軍を取り仕切っていた貴族を罷免することにより、なんとか事態を沈静化させたが、二度目の襲撃となれば、同じような手が通用するかどうかわからない。
ただ、人質として嫁いできたエルヴィシアの大切な神使を殺せば、オルテガルドがかの国に強く出ていることを国民にアピールすることはできるだろう。
「三年前の大規模な内乱は、お前も知っていることだろう? 我々はまずは内側を固めなければならないのだ。正直、エルヴィシアのような弱小国家との戦争なんて構ってはいられない」
「つまり俺は、我が国の国民感情のために、敗戦国の元姫を娶り、時が来たら殺す、と?」
「ま。さすがのお前でも良心が痛むだろうが――」
「ははは」
ビンセントの言葉を遮ったのは、ルークの笑い声だった。彼は心底面白そうに、目を細め、口元を歪めている。
ビンセントはそんなルークの表情に嫌悪感を隠すことなく眉間に皺を寄せた。
「お前――」
「いや、随分と面白いことをさせるのだなぁと思いましてね。ちなみに、今回のことを了承した場合の、こちらの見返りは?」
「前々からお前が要求していたロースベルグ鉱山の利権を一定期間そっちに貸し与える」
「貸し与える?」
「……――わかった。引き渡そう」
「ありがとうございます」
「で、この話は?」
「もちろん、お引き受けしますよ」
「いいのか?」
「いいですよ。むしろ、普通の結婚じゃなくて安心しましたし」
ルークは話を切り上げるようにソファから立ち上がる。
そして、そのままビンセントを見下ろした。
細められた目にはどこか狂気の色が見え隠れする。
「だってほら、いつか壊すおもちゃなら、どれだけ乱暴に遊んでも構わないってことじゃないですか」
ルークの言葉に、ビンセントは先ほどよりも強い嫌悪感を顔に貼り付ける。
その表情がよほど面白かったのか、ルークはさらに笑みを強くさせた。
「そんな顔をしないでくださいよ。こんなひどい命令を出したのは他でもない貴方でしょう? あぁ、可哀想に。俺の花嫁は殺されるためにこの国に来るんですよね」
ルークは皮肉げに笑いながら、わざと芝居がかった口調でそう続けた。
そのまま扉の方へ歩き、ドアノブに手をかけた。
「それでは、失礼します。俺は早く帰って、可哀想な花嫁を迎える準備をしないといけないのでね」
そう言って扉を閉めるときまで、ルークは終始笑みを絶やさなかった。
静かな室内に扉が閉まる音が広がって、直後、扉越しに鼻歌が聞こえた。
どうやら、よほど今回の仕事が気に入ったらしい。
ルークがいなくなった室内で皇帝は深くソファに腰掛ける。
すると、心配そうな顔の側仕えがそっとビンセントに声をかけてきた。
「いいのですか? あの者に任せて」
「仕方がないだろう。普通の人間はどれだけ金を積んでもこんなことはしたがらないからな」
側仕えは、ビンセントの言葉に先ほどルークが消えた扉を見つめる。
「でも、まさか本当に、自分の領地のためにあそこまで出来る人間がいるなんて……」
「全くだ。嫁いできたばかりの花嫁を殺すなんて、血の通っていない人間にしか出来ない所業だよ」
ビンセントはそこまで言った後、ルークが消えた扉に向かって低くこう吐き捨てた。
「……死神が」
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