23.……で、死んだ
扉を閉めるといつもどおりの静かな空間が広がった。腹の奥を震わせるような地響きも雨が窓を叩く音ももうなにも聞こえない。図書館らしい静寂がその場を支配していた。
二人はその中で折り重なるようにして倒れ込んでいる。
「なに、ここ……」
そんな空間に困惑したのは、当然ルークだった。
無限書庫内をぐるりと見回したルークの視線は、シェリルの前で止まる。
答えを求めるような視線から、シェリルは逃げるように顔をそらした。
「な、なんでしょうかね……」
「もしかして、さっきの黒いフードの男が言っていた『能力』ってこのこと? 知ったら、俺たちが手放さなくなるってやつ」
「……」
「シェリル?」
そこか責めているようにも聞こえるルークの声に、シェリルはしばらく考える。
そうして、どこか諦めたように、何かを決意するように、口を開いた。
「実は――」
「つまり、歴代の神使が読んだものが全部ここに保存されているってこと?」
「はい。そして、この書庫に行けるのは、この鍵をもつ私のみです」
シェリルはルークに全てを話すことにした。隠そうにもここを見られた以上、どうしようもないと思ってしまったのだ。
ルークはソファに座りつつ、無限書庫内をぐるりと見回す。
「読んだものっていうことは、本以外のものもここに納められるってこと?」
「はい。本以外だと証書や手紙もあちらに――」
そう言ってシェリルが指す先には全面引き出しの棚があった。そこではふわもこたちが楽しそうに作業をしている。
「なるほどね。だから、軟禁なんてことをされていたわけだ」
「叔父様からは、浚われてはいけないから、と言われていました」
シェリルが塔に隔離されていた理由をそう話すと、ルークはぴょこぴょこと作業をしているふわもこたちを眺めた。
「まぁ、それが主な理由ではあるんだろうけど、病的なまでに塔に閉じ込めていたのは余計なものを読ませないようにってのがあるだろうね。紙は燃やせば無くなるし、人の記憶は本人を殺せば良いけど、ここにあるものたちはそうもいかないんだろ?」
「はい。基本的にここにある書物は不滅です。燃やすことも破ることも出来ませんし、万一燃やしたとしてすぐに元に戻ります。無限図書自体がなくなれば話は別かもしれませんが、現状無くす方法は誰も知りません。少なくとも私はそう認識しています」
「つまり、外に絶対出せないような大事な証書とか、密約とか、その辺の書類を間違ってもシェリルに読ませるわけにはいかないんだろうね」
ルークは、なるほどねとまた顎を撫でる。
「で、大事な確認なんだけど、俺たちはここから出られるわけ? さっきの土砂で小屋ごと扉、壊れてそうだけど」
シェリルはゆるゆると首を振る。
「それは……わかりません。私もこんなことは初めてで。ただ扉はあるので、どこかしらには出られるのではないかと。以前つなげた場所に出るのか、新しく扉が生成されるのかは不明ですが……」
「まぁ、それならしばらくはここにいた方がいいね。以前つなげた場所に出るならいいけど、さっきまでいたところに出るなら、少なくとも雨がやんでからの方がいいだろうし」
「そう、ですね」
シェリルがそう頷いたところで、二人の間に沈黙が落ちる。
なんとなく二人とも以後腰が悪そうにまごまごとしてしまう。
そんな雰囲気が耐えられず、シェリルは口を開いた。
「あ、あの、お時間があるのでしたら、先ほどのお話の続きを伺ってもよろしいでしょうか?」
「さっきの?」
「ルーク様が、妹様の事を……」
どう言えばいいのかわからずそれだけ告げると、ルークはなんともないような表情で「あぁ」と頷いた。
「妹のことね。……続きもなにも、あれが全部だよ」
「全部?」
「俺が妹を殺した。それが全部」
あっけらかんとそう言われ、シェリルはルークに身を乗り出した。
「そんな! な、何か理由があるんじゃないですか?」
「ん?」
「私にはルーク様がそんなことをするような人には見えなくて――」
ルークは一瞬虚を突かれたような表情になったあと、はっと息を吐き出すようにして笑みを浮かべる。
「さっきも言ったでしょう? 俺はそんなにいい人じゃ――」
「でも!」
いつになく強い否定をするシェリルにルークは顔を上げる。瞬間、二人の視線が絡まり、シェリルはなぜかいたたまれなさに俯いてしまう。それでも口を動かしたのは、妙な意地があったからだ。
「で、でも、ルーク様は、私を海に連れて行ってくれました。街にも。失敗ばかりする私に怒ることなく、いつも笑ってくださいました」
「それは――」
「言いたくないのなら、無理にとは言いません。でも、その……夫婦になるのには相互理解も必要だと思うので!」
「……」
「私は、ルーク様の事がちゃんと知りたいです! 噂とかではなく、出来れば貴方の口から出たものを真実として受け止めたいです!」
必死さの滲む声に、ルークは思わずといった感じで軽く笑った。
「すんごい口説き文句。……でも、別に面白い話じゃないよ?」
「面白い話なんて期待していません」
「幻滅するかも? それ以上に俺のことが怖くなっちゃうかもよ?」
「過去に何があろうと、いま私の目の前にいるルーク様がルーク様です。あと、そもそも、いつだってちょっと怖いです! 私、人質でここに来ているので!」
シェリルの正直すぎる言葉に、ルークはとうとう堪えきれなくなったとばかりに笑い出す。腹を抱えて笑ったあと、彼は目に浮かんだ涙を拭う。
「俺はさ、助けに行かなかったんだよ」
「え?」
「妹が死ぬって時に、助けに行かなかったの」
悲壮感など一つもなく、むしろ唇を弧に曲げたまま。けれど視線だけは下げつつ、彼はそう語り出した。
「ほんの三年ぐらい前まで、俺、あんまり領地に興味なかったんだよね。だってほら、俺ってこんな性格だからさ、面倒ごとってのが一番嫌いで。領地ってその最たるものでしょ? こういう家に生まれてきたことには色々と感謝するところもあったけど、でもそれ以上に面倒だと感じることもあってね。
でも、妹は違った。妹はヴァレンティノ領が大好きだった。生まれ育った土地を、そこに生きる人を愛していた。慈善活動もよくしててさ。子供たちに読み書きを教えたり、災害が起きればすぐさま駆けつけて住民を励ましたり。よく言われたよ。『お兄様はもうちょっと真面目に領地経営をしてください』って。だから、本当はアイツが領主になれば良かったんだろうけどね。でもアイツは病弱だったから、父が死んだあと、なし崩しに、仕方なく、俺が領主になった。
でもさ、まぁ、それなりに俺も頑張ってたんだよ。面倒ってだけで、領地のことは嫌いじゃなかったし。でもその頃、うちの国は内紛が絶えずに大変だったんだよね。いろんな民族を無理矢理力業で一つにまとめたような国だからさ。元々住んでいた奴らが反発を起こしたり、元々あった経済的な格差に不満が起こったり、そんな混乱に便乗して地方の権力者が反旗を翻したり。もうめちゃくちゃ。それで、三年前のあの日、俺は国からの要請で、少し大規模になってしまった内乱を治めるために兵たちと一緒に領地を留守にしていた。だけどさ、タイミング悪く、うちの領地でも内乱が起こってさ。で、内乱が起こった場所が、妹が先週から静養で滞在している村だった。俺がその報告を受けたのは、内乱が始まってから三日後。だけど、俺は領地に帰らなかった」
「どうして……?」
「実は、こっちも苦戦していてさ。帰るって言っても全員で帰るわけに行かないだろ? せいぜい他の人間に兵の指揮権を渡して、俺だけがとんぼ返りするぐらいしか出来ない。でも、それじゃ意味がないし、その上、指揮権を渡せそうな奴は、みんなろくでもなくて、内乱を治めることよりもできるだけ目立ってより多くの報償をもらうことばかりを考えているような奴らだった。そんな奴らにうちの兵士を渡したらどうなると思う? あいつらの見栄のためにうちの兵士が犠牲になるのはわかりきっていた。兵士たちの中には、一緒に酒を飲んだり、飯を食ったり、家族の話を聞いた奴らもいてさ。俺が今ここを離れたらそれが全部ぐちゃぐちゃに蹂躙されるんだって思ったら、離れられなくて。それに、さすがに逃げているだろうって思ってたんだよね。それぐらいの、アイツの身を守るぐらいの兵力は置いていたから。静養していた場所も村の中心からは外れていたしね。だから、屋敷の人間と一緒に逃げるだろうと思っていた。実際に屋敷の中にいた奴はほとんど逃げおおせていたんだよ。だけど、アイツは逃げなかった。一人で兵を率いて、内乱を治めようとした。……で、死んだ」




