22.「根も葉もない、ねぇ」
「王子様が助けに来たよ」
ふざけたような台詞を吐きつつ登場したルークに、黒ずくめの男は舌打ちをした。
そうして、彼はすぐさま身を翻し、そのまま逃げていく。
ルークは男を追うことなく、その背中が消えるのを待ってからシェリルに近づいた。
「大丈夫? 怪我とかしてない?」
「はい。あ、あの、ルーク様はどうして――」
「とりあえず、どこかで雨宿りでもしない?」
ルークはそう言ってちらりと空を見る。確かに先ほどから雨脚が強くなっている。
先ほどまではそれどころじゃなかったので気がつかなかったが、シェリルの服もルークの服ももうそれなりに濡れていた。雨粒も大きくなってきたし、話し合いをするのならばなおさらどこかで雨宿りをした方が良いだろう。
シェリルは辺りを見回す。すると、近くに小さな小屋のようなものがあった。
「ルーク様、あれ!」
「倉庫にでも使われていたところかな。とりあえず、行ってみようか」
二人は少し駆け足で倉庫に向かう。
本当ならブルーノの家まで行けば良かったのだろうが、家まではそれなりの距離がある。それに、今ブルーノが在宅かもわからない。
たどり着いた小屋には鍵がかかっていなかった。二人はおそるおそる中に入ると中を見回した。小屋の内部は思った以上に広かった。広さはヴァレンティノ邸のシェリルの部屋ぐらいだろうか。ルークの予想どおり元々倉庫として使われていただろうそこは、現在なにも置かれておらず、がらんとしている。
「とりあえず、雨宿りは出来そうだね。ってか、思ったよりもびちゃびちゃだ。最悪」
そう言うと、ルークはおもむろにシャツを脱ぎはじめる。
すぐによく引き締まった上半身があらわになり、シェリルは思わず下を向いた。
なんとなく、見てはいけないものを見てような気分になったのだ。
ルークはそんなシェリルに構うことなく、着ていたシャツをまるで雑巾のようにぎゅっと絞った。ばたたた……と水が木の床を跳ねる。
床の上を跳ねる水を見つつ、どうしたものかとシェリルが考えていると、ぽん、と頭の上に何かが置かれた。シェリルは顔を上げる。
「え?」
「着替えとタオル。そこの棚に置いてあったよ。見た感じ綺麗だから、嫌じゃないなら着替えたら? そのままだと風邪ひくし」
「……ありがとうございます」
シェリルがそうお礼を言いつつ着替えを受け取ると、ルークがこちらに背中を向ける。
きっと、この間に着替えろということだろう。
シェリルはそう理解して、自身の服に手をかけた。
(……どうしましょう)
シェリルがそう思いつつ固まったのは、それから数分後のことだった。
着替えとして渡されたのは、男性もののシャツとズボンだ。
服の持ち主が大柄な人間だったのだろう、サイズは小柄なシェリルの一回りも二回りも大きい。それでも、シャツを着る分には問題なかったのだが……
(ズボンがぶかぶかです……)
シェリルはウエストの部分を手で持ったまま困り顔になった。
なぜなら、こうやって手で持っていないとズボンがストンと落ちてしまうのだ。ベルトもないので、どうやっても留めることは出来ない。一瞬ウエスト部分を結んでしまおうとかとも考えたのだが、結ぶほどウエストは余っていない。
シェリルは迷ったあげくシャツだけを着ることにした。
幸いなことにシャツは膝が隠れるぐらいの長さがあるし、少し短いドレスだと思えば、なんとかなると思ったのだ。
シェリルはルークの背中に声をかける。
「すみません、もう大丈夫です」
「そう? ――は?」
振り返ったルークはシェリルの姿を見てあからさまに固まった。
「な……ん、で、下を履いてないわけ?」
「すみません。ズボンの方、すごくぶかぶかで。持ってないとずり落ちてしまって……」
シェリルの言葉にルークはズボンの方にちらりと視線をやって「……そう」と口にする。その表情がいつになく強ばっているように見えて、シェリルは視線を落とした。
「す、すみません。お見苦しいものを見せてしまって。本当は濡れている方の服を着ようかとも思ったのですが、あまりにも冷たくなっていて、その、勇気が出ず……」
「いや、別に見苦しいとかじゃないけどさ……」
ルークはそう言って溜息をつく。視線を落としているので表情は見えないが、きっと愉快な表情はしていないだろうということだけは、声色でなんとなく想像がつく。いつも笑っている印象が強い彼が笑顔でないという事実に、シェリルは身を小さくした。
そうしていると、ふわりと身体を何かで包まれた。それは先ほどルークから渡してもらったタオルで、顔を上げればルークがそれをシェリルにかけているのが見えた。
「ルーク様?」
「とりあえず、肌色のところそれで隠しといて。目のやり場に困るから」
「目のやり場……?」
「狙ってやってるんなら良いんだけどさ。そうじゃないんでしょ?」
なにを『狙っている』のかもわからずシェリルが頷くと、ルークの金色の瞳がのぞき込んでくる。
「とりあえず、寒くない?」
「はい。寒くはないです」
「まぁ、それなら良いか」
ルークはそう言って微笑む。彼の表情に笑みが戻ったからか、それとも気遣いが嬉しかったからか、シェリルは自分の頬が熱くなるのを感じた。
ルークはそんなシェリルの様子に気づくことなく、窓に近づいた。
「雨、まだ止みそうにないね」
「そう、ですね」
「この地域、雨多いからなぁ」
その時、シェリルはルークの耳がわずかに赤くなっていることに気がついた。小屋の中は暗かったし、シェリルはずっと俯きがちだったので気がついてなかったが、もしかするとルークの顔も赤くなっているのかもしれない。
(もしかして、熱でもあるんでしょうか……)
そう思い至った瞬間、シェリルははっとしたような表情になり、ルークに詰め寄った、
「ルーク様!」
「は? な、なに?」
いつにない剣幕で詰め寄ってきたシェリルに、ルークは困惑の表情を浮かべた。先ほどまで窓の外を見ていたからか、ルークの後ろには壁しかない。
シェリルは困惑するルークに構うことなく、彼のむき出しの肌に触れた。
瞬間、ルークが息を呑む。
「ちょっと、シェリル!?」
シェリルは、ルークの言葉を無視して身体を確かめる。額に手を当てて、そのまま頬を両手のひらで包み、首筋に触れて、胸板や腹部をペタペタと触る。
シェリルの手から逃れようとしたのだろう、ルークは背を窓側の壁から離し、身をよじった。しかし、数歩後ずさったところで踵が何かに引っかかってしまい、尻餅をついてしまう。
「――っ! いや、は!?」
「ルーク様、次は背中の方も見せてください」
ルークが体勢を崩しても、シェリルは構うことなく真剣な表情で身体を確かめる。
尻餅をつくルークに、四つん這いで迫るシェリル。
「シェリル。さすがに怒るよ。もしかして、これもメロメロがどうとか言うつもり?」
「……」
「あのさ、そろそろ冗談じゃすまなくなるから、やめてって……」
「……」
「いやもう、ちょっと、マジで。知らないじゃ済まされない事って世の中にはあるからね!? というか、本気でそういうつもりだったりする? いや、それはさすがに、もうちょっと自分を大切にしよう。いや、俺は良いんだけど、君はさすがに嫌でしょ。最初がこんなところってのもあれだし。というか、そもそも俺はこういうのじゃ絆されないって、前にも言って――!」
「ルーク様!」
「だから――……はい?」
「お身体は熱くないですか? 悪寒などが走ったりはしませんか!?」
「は?」
「頭痛は? 筋痛は? 腹痛は?」
シェリルはただでさえ近い身体を、更にルークに近づけて、そう聞いた。シェリルがあまりにも必死だったからだろうか、ルークは眉間に皺を寄せつつたじろいでしまう。
「なに言って――!」
「黄疸などが出たりは!? 咳をしたとき出血などはありませんでしたか?」
「……」
「ルーク様!」
「いや、出てないけど……」
「……よかった」
「よかった?」
ルークは、先ほどとは一転、怪訝な顔になった。
そんな彼の表情の変化に気づくことなく、シェリルはさらに一歩ルークに近づいた。興奮しているのか、顔が近いのも気がついていないようだった。
「ルーク様! 私、わかったんです! 川がなにに汚染されているのか!」
その言葉を聞いた瞬間、ルークの表情が三度変わり、真剣なものになった。
「あの川を汚染したのは土砂です。川に流れ込んだ土砂の中に汚泥症を引き起こす原因が混じっていて、それが街の人々を苦しめていたんです。鉱山は関係なかったんです!」
「汚泥症?」
「古い文献から見つけたので、今は違う呼び名になっているかもしれません。でも、汚泥症で間違いないと思います。その証拠にブルーノさんのところの豚さんも汚泥症に罹っていました。汚泥症に罹った豚は黄疸や貧血などの症状が見られ、妊娠している豚では流産や早産、死産などが症状としてあるみたいです」
「つまり、ブルーノが水を飲んで平気だったのは、土砂が紛れ込む前の上流の水を飲んでいたから?」
「だと思います。汚泥症の原因に汚染された川や池は、通常大雨が降ったあとや土砂災害が起こってから数週間や数ヶ月で綺麗になります。しかし、半年間も続いているということは、もしかするとこの辺の放牧されている動物がみんな汚泥症に罹っている可能性があります。ですから、この辺の畜産をされている人たちに声をかけて、動物たちの様子を見てもらい、放牧されている動物たちが川に入らないように対策を――」
「ねぇ。もしかして、それを確かめるためにここまで来たの?」
思わぬ問いかけに、シェリルは目を瞬かせる。
「え? ……はい。そうですが」
「なんで?」
「なんでって……」
「だってこれは俺の問題で、シェリルには関係ないことでしょ?」
「それは――」
言葉に詰まる。言われてみれば、ルークの言うとおりだ。
シェリルが自らヴァレンティノ領主と結婚すると決めたならまだしも、彼女は人質としてここに連れてこられたに過ぎないのだ。だから本当ならば領民のことなど考えなくても良いし、放置していても何ら問題はないのだ。
なのになぜ、自分はここまで必死になってしまったのだろうか。
(ルーク様の時間がなくなると、構ってもらえなくなるというのはありましたが……)
けれど、それは最初のきっかけだ。なんなら今の今まで忘れていたぐらいである。
ならば、本当の理由は――
「だって、なんだが胸がモヤモヤしてしまって……」
「モヤモヤ?」
「仕方がないのかも知れませんが、ルーク様は頑張っているのに、なんだか皆さん色々言っているのが気になってしまって……」
その言葉にルークは虚を突かれたような表情になった。
「もしかして、俺のことで怒ってくれたの?」
「怒って? そう、なのかも知れません。私は怒っていたのかも……」
「自分でわからないの?」
「わかりません。あまり身近に怒る相手というものがなかったので……」
サシャはシェリルに辛辣ながらもいつも彼女の意図を汲んでくれるし、国王に怒ろうと思ったこともない。思えば、胸の中に蟠るモヤモヤは理不尽な物語を読んだときと同じようなものだ。
「シェリルが気にしなくても良いのに。それに、ここの住民が怒るのももっともだよ。俺がもっと気を配っていれば避けられていた事態ではあるしね」
「でも! ルーク様が妹を殺したって、根も葉もないことを……」
シェリルの言葉に、なぜかルークがわずかに息を呑んだのがわかった。
「ルーク様?」
「根も葉もない、ねぇ」
ルークは困ったような顔で苦笑を浮かべている。それはどこか自嘲的な笑みに見えた。
「俺はね、シェリル。シェリルが思っているほど優しい男じゃないよ。……俺が妹を殺したのは本当の話だからね」
「それは――」
こちらを見つめるルークの目はとても冗談を言っているようには見えない。
けれど、シェリルの知っているルークは、そんなことをする人間ではない。少なくとも、理由なく人のことを傷つける人ではないのは確かだ。
(だから、何か理由が――)
そう思い、口を開いた時だった。小刻みな地面の震えと、木をなぎ倒す音。そして、大きな獣のうなり声のような地響きが聞こえた。
シェリルは立ち上がり、窓の外を見る。すると、巨大な茶色い塊がまるで水のようにこちらに迫ってきているのが見て取れた。
「やばっ、土砂だ」
いつの間にか隣に立っていたルークも焦ったような声を出す。
襲いかかってくる波打つ泥の横幅はとても広く、今から小屋を飛び出したとして泥から逃げることは叶わないだろう。しかし、このままだと二人は小屋ごとあの泥の塊に呑まれてしまう。
シェリルは一瞬の間を置いたあと、ルークの手を取る。そして扉に向かった。
「ルーク様、こちらです!」
「いや、今外に出ても――」
「大丈夫ですから!」
シェリルは首にかかっている鍵を扉に差し込んだ。
そして、扉を開けると、ルークを押し込み、自分も扉の中に飛び込んだ。
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