21.そう思っていたのに――
それは、数時間前に遡る。
「はあぁあ、疲れた」
「結局、専門家の方の見解も一緒でしたね」
その日は専門家に来てもらって、鉱山の廃水が川に流れていないかどうかを見てもらっていた。しかし、結果はやっぱりどこにも流れていないとのこと。
専門家も言っていたのだが川と貯水場とは距離が離れているので、土壌を伝って川が汚染されたとするには距離が離れすぎているし、その間にある草木にも何の影響がないので、やはり排水が川に流れ込んだというのは、考えにくいとのことだった。
なんの手がかりもつかめないまま数日。
そんな日々に嫌気がさしていたが、ここで投げ出すわけにもいかない。
ルークは溜息をつきながら、遠くに視線を投げた。そのときだった。
(シェリル?)
シェリルがたった一人で森の中に入っていくのが見えた。いつも一緒にいるサシャの姿もそこにはない。
「ルーク様、そういえば例の件なのですが、やはり思ったとおり――」
「悪い。先戻ってて」
「は?」
驚くエリックを置いて、ルークはそばにあった柵を乗り越えた。
「ちょ、ルーク様!?」
「とりあえず、今日聞いたことまとめといて! よろしく!」
ルークは呆けるエリックを置いて、シェリルを追いかける。
シェリルは森の中を進んでいた。背後のルークには全くと言っていいほど気がついていない。
(どこに行く気だろ?)
ここはエルヴィシアとの国境に接している街だ。もしかするとこのまま足で国境を越えるつもりなのかもしれない。
(いや、そんなわけないか……)
国境に接している街といっても、女子供の足で踏破できるほどのものではない。ましてや、シェリルの体力では途中で動けなくなるのがオチだ。
シェリルはどんどん坂道を登り、ブルーノの家があった方に向かっている。
(もしかして、子ぶたに会いに行ってるとか? ……いや、自分に都合が良いように解釈しようとしているな)
『シェリルがオルテガルドから逃げようとしている』より、『子ぶたに会いに行っている』と思う方が現実的だ。けれどそれ以上に、ルークはシェリルが自分の元から逃げようとしているという事実が受け入れられなかった。
シェリルを殺せと言われたら、今だって殺せる。これまで領地を守るために、どんな非道な願いだって聞き届けてきたのだ。このぐらいなんともない。
(だけど――)
そうやって気を気を抜いたのがいけなかったのだろうか、シェリルのことを一瞬見失ってしまう。
次に見つけたときにはシェリルは一人の黒ずくめの男と対峙していた。
二人は何か話しているようだった。黒いフードの男はナイフを握っている。
「一緒に? 私をどこに連れて行こうというのですか」
「エルヴィシアに、です」
「エルヴィアに?」
「そもそも、国王様は貴女を手放す気はなかったんですよ。オルテガルドにどうしてもと言われたから差し出すしかなかっただけで。貴女の能力があちらに知られていない今がチャンスです。能力が知られてしまったら、オルテガルドはなんとしても貴女を手放そうとしなくなる。その上、塔にいたとき以上に貴女の生活は不自由になる事でしょう」
(能力?)
ルークは怪訝な顔になる。
シェリルに黒ずくめの男が一歩近づく。
「また閉じ込められるのは嫌ですか? 本以外の全てを奪われることが耐えきれませんか? でも、ここにいればいずれ貴女は殺されます。あの男はためらわずそれをする。わかっているでしょう?」
「そんなことは――」
黒ずくめの男はシェリルに向かって手を差し出した。
「死にたくないのならば、貴女はこの手を取るべきです。軟禁だって、十何年も続けてきたことじゃないですか。死ぬより、ずっとマシでしょう?」
「だから、帰りましょう。貴方の故郷に。国王様が、貴方の叔父上がお待ちです」
「私は――」
黒ずくめの男がシェリルに手を伸ばす。止めに入らなかったのは、その方が彼女にとっても幸せかもしれないと思ったからだ。
だってこのままだと、本当に男の言うとおりに自分は彼女を殺すだろう。
居丈高で嫌な女だったら良かったのに……と思ったことは一度や二度ではなく、だけど、殺す以外の選択肢がない。
だから、彼女はこのままこのままエルヴィシアに帰った方が幸せだろう。
そう思っていたのに――
「いや――」
彼女の掠れたそうな声が聞こえた瞬間、ルークの身体は自然に動いていた。
面白かった時のみで構いませんので、評価やブクマ等していただけると、
今後の更新の励みになります。
どうぞよろしくお願いします!




