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20.「王子様が助けに来たよ」

 山から戻って二日が経っていた。

 あれ以来、シェリルは無限書庫に入り浸っていた。書庫を出るのは食事の時や湯浴みなどといった最低限の生活に必要なときだけで、彼女はそれ以外の時間全てを無限書庫で過ごしている。

 シェリルが何時間も居座っている机の上には、過去の神使たちが読んだ鉱山や公害についての本が積み上がっており、彼女はそれら全てに目を通す勢いで、読書にふけっていた。

 シェリルは今日も本のページをめくる。

 目で文字を追いながら、彼女はふと二日前のことを思い出していた。

『さすがは自分の妹を殺した男だよ』

(あれは、ルーク様のことなのでしょうか……)

 ルークに妹がいたという事実は知らない。けれど前に一度だけ――

『……まるで、妹みたい』

 ルークがそう呟いていたことがあった。それは波の音にかき消えそうなほどか細くて小さな声だったけれど、シェリルの耳には確かに届いていた。

「ルーク様が、自分の妹を殺した……」

 あんなのは数ある中のルークの当てにならない悪評だとわかっている。わかっているのに、波打ち際で見た薄く笑うルークの表情が忘れられない。

「あぁ。ぐるぐるします……」

 シェリルは本を持ったまま机の上に突っ伏した。

 自分の中に複数の感情が渦巻いている。現状に対する困惑と不安。街の人たちに対する同情に、相反する胸のむかつき。ルークのあの少し寂しそうな目への共感に、それをなんとかしてあげたいという強い願い。

 そのどれもが、今まで自分の中にあまりなかったもので制御が難しい。

 頭の中がいっぱいで、熱くなってくる。

「はぁ、小ぶたちゃんに会いたい……」

 シェリルが癒やしを求めたのは、ブルーノの家であった子ぶただ。あの愛くるしい表情を思い出すだけで胸がぽかぽかとしてくる。しかし、同時に豚の病気のことも思い出し、わずかに表情が曇った。

「気分転換に、少しだけ調べてみましょうか」

 ブルーノは豚の病気のことはなにもわからないと言っていた。

 ただ周りの農場の豚や牛にもおなじような症状が出ていたらしく、なにか共通の原因があるのではないかともいっていた。

 シェリルは立ち上がり、無限書庫の奥の方に向かって声をかけた。

「ふわもこさん。持ってきてもらいたい本があるのですが、よろしいですか?」

 声をかけると、無限書庫の奥から白いもこもことしたものがぽよんぽよんと跳ねながらやってきた。大きさはシェリルの膝丈ぐらいで、形は丸い。もこもことしているのは全身に白い毛が生えているからで、彼らには目や鼻や口もなかった。

 彼らは無限書庫を管理する精霊たちだ。本を読んでいるときは静かな場所に隠れていて、必要になったときに呼べば現れてくれる。彼らに出来るのはシェリルの求めている本を無限書庫内から持ってくることと、読んだ本の片付け。書庫の整理。それと、書庫の案内だ。ただし、書庫の案内はおすすめできない。それこそ、無限の回廊を歩かされる羽目になるかもしれないからだ。

 ちなみに、『ふわもこ』というのはシェリルがつけた名前だ。歴代の神使たちが彼らをどう呼んでいたかはわからないが、ふわもこたちはどうやら自分の名前を気に入っているみたいだった。

 シェリルはブルーノから聞いた豚の症状と見合う本をふわもこたちに見繕ってもらう。

 そうして出てきた本はどれも分厚かった。

 シェリルはそれらを机に運んでもらい、「ありがとうございます」とふわもこを撫でた。すると、彼らはぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねたあと、またぽよぽよと無限書庫の奥に消えてく。

 シェリルは彼らを見送ってから持ってきてもらった本のページをめくる。

 そうしてしばらくして――

「あ、あった! これね!」

 ブルーノが言っていた症状と同じものを見つけた。

 そこには『汚泥熱』とあった。昔の本なのでもしかすると今の名前とは違うのかもしれないが症状はそっくりだ。そして、その本には『汚泥熱』の原因と、どうしてそう呼ばれることになったのかが書かれていた。

「……あれ。これって――」

 シェリルはそれらをじっくり読んだ後、椅子を倒す勢いで立ち上がった。

 そして、慌てたように無限書庫から出て、サシャをさがす。

「サシャ! サシャ、どこにいるの?」

 しかし、いつもならばそばにいるはずのサシャが、その日ばかりはどこを探しても見つからなかった。シェリルは窓の外を見る。太陽はまだ沈んでいないが、もう真上はもう通り過ぎている。早く確かめに行かなくては、すぐ日が暮れてしまうだろう。それに、見上げている雲の厚さから言って、

 シェリルはしばらく迷ったあと、意を決して外に飛び出した。


 シェリルが向かったのは、ブルーノの家があった、農場がいくつか点在する高原だった。ブルーノの家のずっと下、かつて豚小屋があったとされる場所で彼女は「やっぱり……」と呟く。

 そこには土砂が流れた形跡があった。もう半年も前のことなので、植物も生えかけているが、それでも他では生い茂っている芝生は剥がれているし、茶色い土がむき出しになっている。

 シェリルは視線で茶色い山肌を辿る。そして、たどり着いた先は例の川だった。

(半年前、ここで土砂が流れて、その土が川に流れ込んだ……)

 シェリルはある種の確信を得たような声を出す。

「つまり、川の汚染は排水が原因じゃない。――早速、ルーク様に知らせないと!」

 そうして、ここまで来た道を戻ろうとした時だった。

 振り返った先に一人、黒ずくめの人間が佇んでいた。フード付きの黒い外套に身を包んだその人は、じっとシェリルを見据えている。

 それを見た瞬間、蘇る声があった。

『塔からは出てはいけないよ。お前の力を狙っている奴は大勢いるんだから』

 それは幼い頃、外に出てみたいと言ったシェリルに対する国王の言葉。

 どうして、それをいま思い出すのかはわからない。けれど、男なのか女なのかもわからない黒ずくめの人間に警戒するようにシェリルの身体は強ばった。

 黒ずくめの人間はゆっくりとこちらにあゆみよりつつ、前の合わせの間からきらりと光る銀色の何かを取り出した。

 ――それはナイフだった。

「騒がないでいただけますか? 危害を加えたいわけじゃないんです」

 それは男性の声だった。見た目は小柄で女性か男性かわからないものの、声変わりの終わった男性の声。

 男はナイフを構えたまま、一歩、また一歩と近寄ってくる。シェリルはそんな彼から遠ざかろうとするが、足下がぬかるんでいて、うまくいかない。

「貴方は、どなたですか?」

 男はその問いには答えない。

 雨がぽつりと頬をぬらす。

 男が持っている刃物にも雨が滴り、一秒ごとに雨脚はどんどんひどくなっていく。

「貴女には、僕と一緒に来てもらいます」

「一緒に? 私をどこに連れて行こうというのですか」

「エルヴィシアに、です」

「エルヴィアに?」

 シェリルは怪訝な顔をする。どうして今更自分を連れ戻そうとするのだろうか。

 そんな想いが表情に出ていたのだろう、目の前の男は再び口を開く。

「そもそも、国王様は貴女を手放す気はなかったんですよ。オルテガルドにどうしてもと言われたから差し出すしかなかっただけで。貴女の能力があちらに知られていない今がチャンスです。能力が知られてしまったら、オルテガルドはなんとしても貴女を手放そうとしなくなる。その上、塔にいたとき以上に貴女の生活は不自由になる事でしょう」

「不自由……」

 それっきり黙ってしまったのは、男の言葉がどれも真実だと思えてしまったからだ。

「また閉じ込められるのは嫌ですか? 本以外の全てを奪われることが耐えきれませんか?」

「それは……」

「でも、ここにいればいずれ貴女は殺されます。あの男はためらわずそれをする。わかっているでしょう?」

「そんなことは――」

 そう言いつつも、自叙伝の内容が頭をちらついた。それと同時に――

『さすがは自分の妹を殺した男だよ』

 あの村人から聞いた言葉も。

 黒ずくめの男はこちらに向かって手を差し出す。

「死にたくないのならば、貴女はこの手を取るべきです。軟禁だって、何年も続けてきたことじゃないですか。死ぬより、ずっとマシでしょう?」

「それは……」

 確かに死ぬよりは、塔に戻る方がずっとマシだ。だってそれは何年もしてきたことで、塔にいたときもシェリルはそれなりに楽しんで生活をしていた。

 そうわかっているのに、心が抵抗した。

 それはナイフを握っている彼が信用出来なかったからではない。

 オルテガルドに来てから彼女の体験した自由がそうさせていた。

 ここに来なければ街の賑やかさを知らなかった。騒がしいことの楽しさを知らなかった。海の輝きも、心地よさも、潮の匂いも、知ることが出来なかった。今心を満たしている切なさや悔しさの感情だって、なにも――

「だから、帰りましょう。貴方の故郷に。国王様が、貴方の叔父上がお待ちです」

「私は」

 シェリルは、それ以上何も言えなかった。

 黒ずくめの男はしばらく黙ったままシェリルを見つめると、一つ溜息をつく。

「こんなことはしたくなかったんですが、時間もありませんし、しょうがないですね」

 男が歩み寄ってくる。そうしてナイフを持っていない方の手をこちらに伸ばしてきた。

「ぃや――!」

 シェリルが身を引いた瞬間、何かに気がついた男が後ろに飛び退いた。

 直後、ぴゅんと何かが風を切る音が聞こえ、何かが男のそばにあった木に刺さる。

 それはナイフだった。

 そのナイフが誰のものか確かめる前に、その声は聞こえた。

「あー、おしい! もうちょっとで当たってたのに」

「……」

 黒ずくめの男はシェリルの奥にいるだろうその声の主を睨む。シェリルが背後を振り返れば、そこには見知った人物がいた。

「大丈夫、シェリル」

「ルーク様!?」

 ルークはシェリルを庇うようにして男と対峙する。

「王子様が助けに来たよ」

 ふざけたようなその声に、シェリルはなぜか涙が出そうになってしまった。


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